変化の連続に生きる
長い年月に渡り車いすに座っているとマイナスな点が現れて、身体も手足も硬直し痛みや痺れなど変化が起きます。同じ姿勢で長年生活していたことがすべての原因とは思いませんが「このような姿勢でいると悪くなって当然!!」と医師に指摘されても反論も出来ませんでした。昨年は、ホームドクターもケアーマネジャーも変り一新しました。МRIやいろんな検査の結果、悪いところは見当たらず「お腹の中を切っても治らない」と片桐医師に言われましたが、その答えに長い間の心のモヤモヤが私なりに少しは晴れたような気分でした。しかし、よくなったり悪くなったり繰り返しで時々すごく良くなった時には永遠とその至極の時が続くような錯覚になりますが、直ぐに現実に戻されてしまいます。それでも少しでも痛みがない時にはとても幸せな気分になり、単細胞な私なのです。
胸椎からマヒがある私は、障がいそのものの不自由さよりも排便排尿の目に見えない不自由さが遥かに精神的なバリアがあり夢中で壁にぶつかり歳を取ることさえも忘れて過ごしてしまいました。月日の流れがそのまま身体の「きしみ」となり「痛み」となり現れてしまったようです。
私の人生は自分で意志決定をしたことが多く、それは先を行くためにはやむ得ないことばかりでした。不便と考える以前にどう過ごすか?その最たることはバリアのトイレの問題でした。日常たけではなく外出する時も旅する時も、自らの結論として8年前に排便排尿を人工的な仕様してしまったのです。これですべての悩みが解決した訳ではありません。つい、最近も最終的には訪問看護訪問のナースが「私たちが手伝うから・・」と言ってくれて、実際にベッドの上で用をたさなければならないと覚悟していました。以前からの左肩の腱板炸裂から利き腕の右肩も知らない間に腱板が半分切れてしまった事実もあり、ケアーマネジャーの本田さんが「本当はトイレでしたいでしょ」と本音を言われて、平成23年10月8日の夜から24時間介護のヘルパーが入るようになりトイレから車いすに移動するケアを受けるようになりました。日々、いろんな20代、30代のヘルパーとの付き合いが始まりました。
夜のゴールデンタイムの9時には「こんばんは」と優しく元気な将来を担うヘルパーさんから付き合いが始まり、何かと頼りになり今までになかった感動や学べることも多くあります。初めての体験としてはクリスマスイヴの夜にタンタクロースの姿で「メリークリスマス」と現れた時には驚きましたがうれしかったし、何故か、暑い国での遠いクリスマスを思い出しました。これまでに私の都合とヘルパー会社の予定で3回、深夜の2時に入ってもらっています。今では私の夜の曜日による必要な日用の準備を覚えてもらってとても心身共に生活が軽減されています。
新しい愛車!!
最近の変化としては24時間のケアと共にⅠ年半も待っていた私の愛車になる電動車イスが届いたのは昨年の9月末でした。まるで新しい自動車が来たかのように心が潤い再び、自由な時を得られたようにうれしかったです。しかし、訪れた途端に日常のすべてが電動車いすの生活になってしまったことは我ながらびっくりでした。
電動車いすのことでは大変にお世話になったのはアミックスの田名網さんです。この電動車いすに出会えたのは古い友人の田中恵子さんの提言があったからでした。恵子さんはポリオで電動車いすを使用して自立生活をしている先輩です。そして、力の無い者にはどれだけ電動車いすの便利さと同時に田名網さんを紹介してもらいました。
腸の動きが弱くて年々とお腹の膨満感で苦しんでいた私の究極の対処法として最終的に実現したことが電動車いすでの生活でした。スエーデン製でペルモリール社のC400 コルプス・ロライダーです。C400 コルプス・ロライダーを選んだ訳は我が室内の便座の位置に最も近いということで決めた最初の目的は自分でトイレが出来るから・・・という訳でした。身体や背中、足元など、リグライニング、チルドにもなり高さもⅠ0㎝の上下稼働します。
真っ直ぐに寝られる訳ではありませんが、最初に試車の同型に乗った時に「あぁ、お腹がとてもラクチン!!」と感じました。待っていた時間はとても待ち遠しかったです。この待っている間にも私の身体は着実に衰退していきました。電動車いすが届けられて前後するように、私の利き手腕に力が入らず突っ張ることも腕を上げてもバタッと落ちてしまうようになりました。トイレから車いすに戻れなくなってしまい、何度も何度も近所の人や近くに住んでいるヘルパーさんなどに助けられました。そんな訳で電動車いすの練習もリハビリで考えていましたが、練習するどころか?本番スタートでした。電動車いすで生活するようになって早や3ケ月を過ぎました。入浴の前の晩だけ手動車いすに乗りますが、つい電動の動作にたり、もう、既に身体に馴染んでいる様子です。結構と図々しく走り回って生活を楽しんでいます。周辺の人々もきっとあきれていると思っています。困ることは商店街などに買い物にスイスイと出かけると暇そうなおじさんが近寄ってきて「見かけないいい車いすだなぁ、いくらしたんだ」とか尋ねられて困ることもあります。

つい数年前に左肩の腱板が炸裂していると言われて、先々にはリフトの生活をするように診断されていました。もっと早くに電動車いすにすれば利き腕の腱板だけでも切れなかったように思いますが、今以上に悪くなったら寝たきりになってしまいます。しかし、このような状態になる経緯も含んで本当に重度になるということはどのようなことなのか?人の言葉、今まで気をつけていてどのような言葉で人の心を傷つけて来たのではないか?また、傷つけられたられたことなども思い出しました。
この電動に乗ってこの短い期間にいろんな場所に出かけました。昨年の10月には姪の聡子とNHKホールでの佐渡裕指揮のドイツ交響楽団に出かけて久しぶりに生のシンホニーを聴きました。神宮外苑の紅葉や近くでは川崎などに買い物や絵画を観に出かけています。出来るだけ道の凸凹を避けて身体に振動の負担を掛けないようにマイペースで走り、まるで自動車を運転する気分で交通規則を守りながら移動しています。こんなふう人生になることは漠然とは考えていましたが、これが早かったのか?遅かったよりも、1日を大切に生き抜き、お腹の痛みも最近は少しだけ落ち着きこのまま少しだけもよくなってくれたらどんなに幸せかなことか?と願っています。そして、よい、旅や本、音楽などときめきと恋心を抱けるような幅の広い出会いを考えたいと思っています。
長い年月に渡り車いすに座っているとマイナスな点が現れて、身体も手足も硬直し痛みや痺れなど変化が起きます。同じ姿勢で長年生活していたことがすべての原因とは思いませんが「このような姿勢でいると悪くなって当然!!」と医師に指摘されても反論も出来ませんでした。昨年は、ホームドクターもケアーマネジャーも変り一新しました。МRIやいろんな検査の結果、悪いところは見当たらず「お腹の中を切っても治らない」と片桐医師に言われましたが、その答えに長い間の心のモヤモヤが私なりに少しは晴れたような気分でした。しかし、よくなったり悪くなったり繰り返しで時々すごく良くなった時には永遠とその至極の時が続くような錯覚になりますが、直ぐに現実に戻されてしまいます。それでも少しでも痛みがない時にはとても幸せな気分になり、単細胞な私なのです。
胸椎からマヒがある私は、障がいそのものの不自由さよりも排便排尿の目に見えない不自由さが遥かに精神的なバリアがあり夢中で壁にぶつかり歳を取ることさえも忘れて過ごしてしまいました。月日の流れがそのまま身体の「きしみ」となり「痛み」となり現れてしまったようです。

私の人生は自分で意志決定をしたことが多く、それは先を行くためにはやむ得ないことばかりでした。不便と考える以前にどう過ごすか?その最たることはバリアのトイレの問題でした。日常たけではなく外出する時も旅する時も、自らの結論として8年前に排便排尿を人工的な仕様してしまったのです。これですべての悩みが解決した訳ではありません。つい、最近も最終的には訪問看護訪問のナースが「私たちが手伝うから・・」と言ってくれて、実際にベッドの上で用をたさなければならないと覚悟していました。以前からの左肩の腱板炸裂から利き腕の右肩も知らない間に腱板が半分切れてしまった事実もあり、ケアーマネジャーの本田さんが「本当はトイレでしたいでしょ」と本音を言われて、平成23年10月8日の夜から24時間介護のヘルパーが入るようになりトイレから車いすに移動するケアを受けるようになりました。日々、いろんな20代、30代のヘルパーとの付き合いが始まりました。


新しい愛車!!
最近の変化としては24時間のケアと共にⅠ年半も待っていた私の愛車になる電動車イスが届いたのは昨年の9月末でした。まるで新しい自動車が来たかのように心が潤い再び、自由な時を得られたようにうれしかったです。しかし、訪れた途端に日常のすべてが電動車いすの生活になってしまったことは我ながらびっくりでした。電動車いすのことでは大変にお世話になったのはアミックスの田名網さんです。この電動車いすに出会えたのは古い友人の田中恵子さんの提言があったからでした。恵子さんはポリオで電動車いすを使用して自立生活をしている先輩です。そして、力の無い者にはどれだけ電動車いすの便利さと同時に田名網さんを紹介してもらいました。

腸の動きが弱くて年々とお腹の膨満感で苦しんでいた私の究極の対処法として最終的に実現したことが電動車いすでの生活でした。スエーデン製でペルモリール社のC400 コルプス・ロライダーです。C400 コルプス・ロライダーを選んだ訳は我が室内の便座の位置に最も近いということで決めた最初の目的は自分でトイレが出来るから・・・という訳でした。身体や背中、足元など、リグライニング、チルドにもなり高さもⅠ0㎝の上下稼働します。
真っ直ぐに寝られる訳ではありませんが、最初に試車の同型に乗った時に「あぁ、お腹がとてもラクチン!!」と感じました。待っていた時間はとても待ち遠しかったです。この待っている間にも私の身体は着実に衰退していきました。電動車いすが届けられて前後するように、私の利き手腕に力が入らず突っ張ることも腕を上げてもバタッと落ちてしまうようになりました。トイレから車いすに戻れなくなってしまい、何度も何度も近所の人や近くに住んでいるヘルパーさんなどに助けられました。そんな訳で電動車いすの練習もリハビリで考えていましたが、練習するどころか?本番スタートでした。電動車いすで生活するようになって早や3ケ月を過ぎました。入浴の前の晩だけ手動車いすに乗りますが、つい電動の動作にたり、もう、既に身体に馴染んでいる様子です。結構と図々しく走り回って生活を楽しんでいます。周辺の人々もきっとあきれていると思っています。困ることは商店街などに買い物にスイスイと出かけると暇そうなおじさんが近寄ってきて「見かけないいい車いすだなぁ、いくらしたんだ」とか尋ねられて困ることもあります。

この電動に乗ってこの短い期間にいろんな場所に出かけました。昨年の10月には姪の聡子とNHKホールでの佐渡裕指揮のドイツ交響楽団に出かけて久しぶりに生のシンホニーを聴きました。神宮外苑の紅葉や近くでは川崎などに買い物や絵画を観に出かけています。出来るだけ道の凸凹を避けて身体に振動の負担を掛けないようにマイペースで走り、まるで自動車を運転する気分で交通規則を守りながら移動しています。こんなふう人生になることは漠然とは考えていましたが、これが早かったのか?遅かったよりも、1日を大切に生き抜き、お腹の痛みも最近は少しだけ落ち着きこのまま少しだけもよくなってくれたらどんなに幸せかなことか?と願っています。そして、よい、旅や本、音楽などときめきと恋心を抱けるような幅の広い出会いを考えたいと思っています。

# by rakudazou | 2012-01-17 00:04 | 《エッセイ》中村陽子 | Trackback | Comments(1)









