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人生で一番、春を体感出来てうれしさでいっぱい!! 
 この年齢となりこんなにもいっぱい、住んでいる身近な地域でいろんな桜の花、他の春の花々を愛でて、花咲く場所を追いながら地域の良さを理解し感じられたことがとても幸せな本当に生きていてよかつた!!と思ったことはなかった。つい、陽気が良いと限られた時間の中で、江戸彼岸桜、ソメイヨシノ、八重桜と追いかけてしまい、今の時期は、花水木の花、藤の花、さまざまなツツジの花々と毎日のようにたのしんでいる。
こんな都会のはずれにこんなに沢山の自然に囲まれていること、そして、最近では家々の周辺の丹精に育ていろんな色鮮やかな香りや花咲くガーデニングのさまざまな風景に春の日々の楽しさを心から感じた。どのような花々でも目に止まったらカメラに収めて自らの物にするうれしさ、花の美しさに見惚れて「きれいですね」と語りかけると誰でも幸せな笑顔が見られるものである。

 これもあれも、電動車いすに乗りひとりで出歩けることがハミングが出るほどたのしくて・・・こんな軽やかな気持ちでのんびりと出かけられる当たり前の出来事が私には初めての経験でとても新鮮な風景に限りなく充実した季節となった。地域のいろんな商店街の新しい発見は電動車いすのままで入れる食事の出来るレストランやお蕎麦屋さん、スーパーの中もかっかり慣れて、店先ショッピングも町なかの人々が受け入れてくれるようになった。
暖かい日差しを追いかけ、暑い時には日陰に身を置ける、何となくの当たり前のことが何故か感動してしまうのである。そんな訳で久しぶりに自らも化粧をして、新しい帽子をかぶり薄着の服装になり少し浮かれてしまって、気候の変化に身体の気温が付いて行けずにお腹を冷やして大失敗をしてしまった。

早々の不具合にシヨック?
 待ちに待っていた私の人生の大きな変化となる、これからの生活の手足となってくれる電動車いすが2011年の9月末にようやくと届いた。まるで昔、運転免許を取り立ての頃に自動車を運転する時の気持ちというかそれ以上の緊張感で手も身体もカチカチになって電動車いすを動かしていた。その操作が慣れるかどうか?の時に、初心者マークも取れない早々の時期に私の電動車いすは不具合を起こしてしまってショックであった。身体の補ってくれるリグライニングで身体が延ばせて、前後動作、上下稼働をする大事な部分が動かなくなり、利き手のコントロールボックスだけでしばらくの間は操作をして不自由な思いをしたが、後に考えると簡単な基本的な不具合だったことが分かり慣れない時期での不具合で日々、不安な思いをしてしまった。これも使いこなせない経験不足と思うしかないが、この治らない期間、やはり国産の電動でないので取り寄せる時間がとても長く感じてしまったのであった。充分な練習する時間もなく手動車いすから即、電動車いすでの生活は慣れるまでは夢にまで見る試行錯誤の繰り返しであった。家の中でも外に出る時もすべての移動は電動車いすの日々となってしまった。シナリオ以上の予期せぬ出来事で身体中が特にお腹の痛みで苦しくて、首、肩、腕がコチコチに固くなってマッサージや鍼を受けて少しでも軽減を試みた。強い痙攣とお腹と両肩腕の痛みと向かい合いながら、電動車いすから見るこれまでと違った世界を楽しみ、身体の一進一退で今の自らの現実を受け入れられるように努力と生活の行動範囲の広がりに新鮮な喜びと新たな緊張感を常に伴って生活をしている。


日本の企業の取り込みは? 
 日本人ほど真面目なものづくりの精神を取り入れ何でも自からの文化にてしまうし優れている人類はいないと思う。私の乗っているスゥエーデンのペルモディール社のC400ローライダーであるが、現在では北欧諸国、ヨーロッパよりは、アメリカに生産の本拠地を移し、アメリカから電動車いすの生産をどんどんと世界に向かって市場に出回っている事実がある。シャレではないが障がい者だから外車に乗るということでは無いと思うが
、この20数年の過去を振り返ると世界中の電動車いすが輸入される中で提供する側も利用する側も、国産の本来の電動車いすに乗っている人々も多いが、最近では高齢社会の中で殆どと思われるほどに簡易電動車いすの時代になってしまった。また、多種多様ないろいろな国々の作る洗練されたデサイン、利便性の伴う機能を持つ電動車いすを乗るようになり、また、自らの障がいに合わせて大々的に改造して乗っている重度障がい者には自らのステータスのようになってしまっている。
日常の中で世間の反応を感じることは、高級感のある選ばれた障がい者が乗る特別の存在に見られる電動車いすのようにて感じている。我が国に初めて電動車いすが移動手段として日本の障がい者の前に登場した頃は、誰でも求め易い電動車いすを使用することにより重度の障がい者が行動範囲を拡大と向上の計るものとしてすべての人々が期待したものであった。

あれから30数年が経過し、今日ではスズキ自動車系列の電動車いすもトヨタ自動車系列のアイシン精機の電動車いすも以前よりは性能もデザインも良くなったと思うが、日本人の気質や精密さでそれぞれの違いのある障がいに合わせた改造したさまざまな電動車いすを見て来た。しかし、大手企業の市場参入は今だ、見られずに残念なことに電動車いすを本気で作ろうとしている企業が無いことである。
介護保険制度の荒波にもまれて、現在では電動車いすの製作、改造や修理を行うのは中小企業のごくわずかな人の数になってしまった。日本の技術力であれば世界に通じる性能の高い電動車いすが開発されるはずだと思うが、日本では採算性が合わないと作らないようである。
しかし、国内だけの対象を考えるのではなく、日本自動車業界と電動車いすに関わる熱い思いの人々の力と技術と経験を結集し世界に誇れる高性能な電動車いすが出来るはずだと信じている。唯、儲からないと作らないだけでなら残念な現実である。国内だけではなく世界中の人々が乗りたいと思うような?コストは手が出る値段のほうがよいが、性能の良い優れた電動車いすを制作するなら、国内の選択肢も多くなり、何よりも生活の身体の一部となる健康と利便性を望んでいる。それらの収益が国内の経済を潤す産業になるはずだと信じている。今後、更に重度な障がいを持つ人々のためにも、シニア時代の増加する世代の中で身体の機能が失われて諦めている人々のためにも、電動車いすのさまざまな機能を生かすこと自立の最優先の手段であると思う。生れて来て歩行が出来ない人々人間らしく生きること望み、残存能力を生かして努力し出来るだけ自らの努力により生活をしたいと思うことが生きることの最優先の望みである。
作り出す技術と情熱と努力を期待し、独りごとの嘆きでは無く懸命に取り組み「作ろう!!」とする情熱を傾け続けている技術力を持つ人々を身近で長年に渡り見続けて来た。これから時代を乗り越えてならない人々のためにも、行先に夢の適う新しい社会に対する自立の一歩になり更に真の障がいを持つ人々の担い手となる選択肢の中の手段となるように我が国の企業の技術力を投じた誰でも安心して乗れる国産の電動車いすの普及を望みたいと思う。私の愛車は私の身体と一体なのである。国産のみんなに誇れる電動車いすをこの目でみたいものとだと期待したい。

さくらだより 
 今年は開花時期が遅れますよと言われて3月も半ばも過ぎる頃に、小さな駅に「三浦三崎で河津桜とまぐろを食べよう!」とポスターの見出しを見て、駅員さんに「咲いていますか?」毎日届くさくらたよりが行ってみたい時期と機会が偶然にもあって、やさしい春の日に誘われて、最も今まで沢山乗ったはずの知っている人は知っている
エンジ色の京浜急行に乗り、私をガードしてくれる友人と共と「花より団子」の小さな旅をした。一旦、川崎で急行に乗り換えて初めての電車での三浦河岸行きである。

若いころ
 20代~30代の頃、朝早くから、自動車を運転して唯、唯、国道をまっしぐらに大型自動車の排ガスで顔を黒くしながら走り続けて、幾つもの隧道を抜けると衣笠の地名を見ると、あと、もう少しだと思ったものだ。当時、城ケ島大橋を渡ると車いすや杖でも動ける場所や砂浜があり、潮風と新鮮な空気を吸って、釣りを楽しみ散策をした。
青空の向こうの浪間を走る観光船から北原白秋の「城ケ島の雨」のメロディが時々流れていたが、1度も雨には降られた覚えはなかった。釣り上げた魚や海の中に転がしておいたスイカなどを食べて充分に幸せであった。若いということは貧しいと言う意味は頭の中から弾けて、貧しいと言う人のほうが心も身体も貧しいと思っていた。何かに向かって行動するだけで充実さと生きている幸せを感じたものである。

 さくら、さくら
 
車窓から景色を見ていると1時間足らずで三浦海岸駅に到着した。直ぐ目に飛び込んできた濃いピンクの河津桜が満開で微風さえも無くて、さくらの木の回りには歓迎するベンチ置いてあり、みんな「きれいだねェ」とうれしくて一斉にさくらを見上げてしまった。
ベビーカーの若い家族、熟年のご夫婦が「立派なものに乗られて・・・」言われて、車いすは立派でも「私の運転は不慣れです」と言ったがかなり私の電動車いすは目立っていた。みんなきれいな桜と葉の花の咲き誇る緩やかな坂道を記念写真を撮る人、花々を写す人、順番を譲り合いながら気分はみんな友だちになったように「今、会った人は今日から友達気分」であった。陸橋の上からは多くのアマチュアカメラマンが葉の花畑と今や盛りの河津桜の間を走る京浜急行の瞬間の姿を写そうと見まがえていた。途中、松が丘公園という小さな公園で一息して、桜見上げては前輪の回転する段差の少無い道路を導かれて、新しく建てられている住宅街を見つけては「住む佳人を想像しながら・・・」すこしずつ坂道を登って、きっと1キロ少し先が三崎口駅であった。この先からは電車は無く京浜急行のバスだけだそうで、そのまま三崎港まで走ろうと思ったが、バスでも15分はかかると言われて、体力を蓄えるつもりでバスに乗ることにした。    

マグロづくしのランチ
 しばらくすると京急バスの担当の人が来て、横の入り口からスロープが出てきて「乗って下さい」と合図があった。じつは私はこの電動車いすに乗り公共バスのスロープを利用するのは初めてで内心はドキドキ、でも、このような時も必ずあると思い、それまで練習してきた乗り降りの感覚を思い出しながら、スロープと車との位置だけを指示してもらって、真剣に止まることなく上手に乗ることが出来て、心からよかった!と思った。
最初に乗せてもらって、待っていたお客がどんどん乗り込んできて今までに無い混雑さであった。バスから降りた景色は、三崎港は静かで大型船もいくつも見られて、周りに「マグロ、マグロ」の店があり、港の側に大きな魚市場があった。中に入ると更に人の活気が伝わり、お腹ペコペコで人の良さそうな店の人に「私の入れる美味しいお店がありますか?」と尋ねると親切に近くまで案内してくれた。
「魚音、うおとん」という店の前には、目当てで待っている人の行列があった。友人に車いすの席を確保してもらって、ほどなく席に付き、みんな満足そうに食べていた。おススメのメニューと赤身、中トロ、大トロの刺身を注文して、腹7分目程度に食べて、みんなの幸せそうに食べている様子を眺めていた。店を出るとまだ、まだ、行列は絶えていなくてきっと有名な店なのかもしれない。
 

可愛い女の子
  帰りには歩いて眺めた河津桜と菜の花の並木道が走る車窓からな何倍の速さで観られて、今年初めてのさくらに別れを告げた。電車に乗り込むとてもハニカミ屋さんの小さな女の子が隣にチョコンと座った。並んで座る友人が言葉をかけると顔中嬉しそうに笑みをうかべて大きな目をクルクルさせながら、頭の中で何か云わなければと側にいるママに助けを求めながらもずっと身体を緊張させて終始ニコニコしていた可愛いおさげ髪の女の子の会話が楽しくて、川崎でさよならをしても心に残った。最後にコーヒーで一服してから帰途についた。すでに、町も私の電動も走る自動車などもライトを点灯する夕闇になっていた。


小澤征爾さんの休養
 1年間の活動を休むことが発表されたが大変に残念であるが前向きにかんがえよう。ガンは克服出来たが、あの全身に力あふれる、今までの数え切れないほどの指揮のスタイルはきっと越でも身体中を痛めてしまったのてしょう。ゆっくりと休養して、音楽活動の総集編が観られるように心から祈ります。我も体力をつけて、来年は絶対に小澤氏のコンサートに行けることを目標とししょう!!元気に戻ってくるように回復を世界中の音楽フアンが待っている!!斉藤先生、カラヤン先生、バーンスタイン先生、見守ってくださいね。
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