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by rakudazou

◆プサンで学んだこと◆                中村陽子

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誘われて・・・(2003年12月2日~3日) 
突然に降って沸いてきたような話で、11月の初旬に勝矢光信さんからmailが来て、「韓国に行かないか」と誘われた。以前から、韓国は日本にとって最も隣国であり興味はあった。個人的にはともかく、重度な障害者の団体として出かけることはアクセスの確保が出来ないと言われてその度に諦めていた。1泊2日の今までに経験したことのないプサンの最短な日程と参加費も格安であった。
この旅を企画し添乗員をしたのは、大手旅行会社のピカピカの社会人1年生の冨吉さんという青年である。勝矢さんとは学生時代から付き合いで、タイとかいろんな旅行の経験があるという、その頃からの素養と元々の天性の性格が備わっていたのでしょう。
勝矢さんとは38年間からの付き合いであるが共に旅行したのは初めてのことである。考えるといろんな不安もあったが、冨吉さんから届いたmailや電話で話したときの雰囲気で「この人なら安心して行けるなぁ」と自然と感じられた。

見えないところまでよく気が付く人 
冨吉さんの旅行に対するひそかな望みは、障碍があるなしに関わらず年代や国籍や住んでいる場所、その他いろいろな「立場」が違う人で普段あまり接することのない人たちをつなげていけたら、それも旅の中で実現できたらと思う気持ちが今回のプサンのツアーに強く反映されていると思われた。
勝矢さんから誘われた意味も、ピカピカの社会人1年生の彼とはホンの1日も満たない間だけの付き合いであったが、心配りや気転が利き、ちょっと彼の姿がないと思うとその間に入浴介助やトイレ介助をして、短い時間に、至極当たり前のように現れてはみんなの先頭に立って行動し、自分の身体を休む時間もなかったのではと思った。
それぞれの障碍者、若い学生さん達も、何故か彼の企画の中にみんなの心が溶け込むように等しくやさしい人々であった。あれだけ良く気が付き敏感に対応できる添乗員が多く育つと重度障害者の旅行も怖いものがなくなると感じた。

一般旅行の中に参加して
 障碍者にとって韓国は最も近くて遠い国と思っていたが、今回は富吉さんの企画で一般旅行の中に障碍を持つ人も普通に参加が出来たらということは現実に新しい風に当たったような気持ちがした。最初から車イスの配慮は出来てないという現状で、後輩にあたる立教大学観光学科の多くの学生の皆さん、その他の方々も含めてこの方々の理解や好意がなかったら障碍者は出来なかったと思う。
5人の車イスの参加があり、その中でも全く歩けないのは私を入れて3名でした。何が大変かというと移動のためのバスの乗降時で、男性2人がかりで最初から最後まで何回もの介助で大変な労働であったと思う、感謝。参加者の学生は、男4人女3人の7名と障碍者等で総勢14名のグループであつた。

階段のある時のタイミング
 12時過ぎにプサン金海空港到着後、まず、空港内も階段、しかし、階段があると深刻に考える暇もなく、空港の係員がサッサッと上げてくれた。最初に専用バスに乗る要領が分からずに少し手間取ったが、バスは次から次へと目まぐるしくスケジュール通りに走り、プサンの港町は高いビルが多く、高速道路、海までつながっているカンアンリ川を渡る世界一の橋、道路の道幅も広く自動車が多い、日本の車に良く似ているがすべて国産車が走っている。ハングル文字がなかったら都内の何処かにいるような気がした。
宿泊先のコモドホテルに到着し、此処も階段、サーッと係りの人が上げてくれた。階段があっても、考える暇もなく上げ降ろしをしてくれタイミングがとても快かった。

段差と坂道の連続 
こんなに自由で優雅で贅沢な散策はあるであろうか。そう思いながら落ち着く暇もなく高台にあるホテルを後にした。一般道や歩道、町並みを求めてプサンの街へ車イスを押してもらって移動をした。歩道の段差解消は無い、道路から道路へ行く途中が突然に急勾配があり、歩道と車道の区別がない場所、介助がなかったら動くことさえ危険な感じがする場所が沢山あった。みんなと一緒なら怖くないという気持ちであった。
明るい街へと移動を続けるうちに横断することになったが、横断歩道は無く地下道になって入り口に立派なスロープを上がると設備があるのに呼び出しても誰も来ない。
そのうち、通りがかりの人々も集まり出し、ようやく係員が来て40~50段はある階段をイッキに降ろしてくれて、また、イッキに息切れもせずに上げてくれてびっくりし、それも通りかがりの人まで気軽に手伝ってくれて感激した。
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元気な市場
 平坦な道路にでると急に人出も多く何故か店に居る人々がとても元気で活気があった。賑やかな国際市場がいろんな方向に珍しい物、高い物、安い物いろんな屋台があり、みんなお腹が空いていたので何買っては分け合ってみんなで美味しく食べた。夜になり寒かったので蜂蜜入りの「ゆず湯」の温かさをみんなで味わった。道路に出ている屋台の物かは車イスからでもよく見られたが、歩道の上の店には段差があり車イスで入ることは出来なかった。
海岸の水産市場 「チャガルチ市場」に出ると道も広く店先にはいろんな魚介類を売っていた。みんなの列が止まった店先にはクジラ肉の山があった。「エッ、クジラ食べてもいいの」と思ったが、手早く刺身にしてくれて、つまみの浅葱と共に醤油を付けて食べたが、クジラの味を初めて知った人と懐かしく感じた人がいたと思うが、目の前で
作ってくれて食べたのは初めての経験である。

早朝の散歩
 前の晩に夕食後、ホテルに戻ってから、富吉さんの部屋に集まってコンビニで買ったいろいろなお菓子やお酒で遅くまで過ごした。今日Ⅰ日の長かった出来事や、まだ、私などは参加して色々と介助してもらった学生さんの顔と名前がハッキリとしていない。最後に冨吉さんが朝早く起きられる人は、ホテルの外で朝食をしょう!と言い、同室の20歳の土田夢子さんと参加することにした。
 翌朝、目をこすりながら6時半にホテルの外に出た。あたりは薄暗くこれから朝が明けるころ、ビーンとした寒さで眠気も吹っ飛んだ。
 また、坂が多く店が開いているのはコンビニとか、何故か、ふぐ料理の店が多く人も入っていた。最終的にホテルの近くにあった大衆食堂と日本語であり、メニューも日本語で書いてある店の中に入った。車イスの私を見るとほかにお客が入っているのに、アッと言う間に席を作ってくれた。具のある暖かいスープの入っているご飯とキムチや野菜、小魚等の7つの小皿が出てきて健康的な朝食だと思った。
 ホテルに着くと、バスが待っていてそのままバスに乗せてもらった。いろいろと細かに街中を歩き、車窓の中からもプサンの街では車イスの人を見かけることはなかった。短い旅行であり中身は一週間くらいの内容の濃い旅が出来たと感じた。
by rakudazou | 2003-12-02 16:14 | イベント体験記