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by rakudazou

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駅員さんありがとう。

 いつも電車に普通に乗っている電動車イスの人々から比べると私が電車に乗る機会はまだまだ、これからですが、ひとりで電車に乗ってみようと思えたのは、公共アクセスが本当によくなってきたからだと思います。  2003年の秋には、いよいよ新幹線が品川駅(港南口)に止まるようになります。昔、ひまわり号で品川駅を利用した頃は不便な駅だと思っていましたが、今では、京急との乗り換えもとてもし易くなりなりました。
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京急から品川駅(高輪口)に降りるときに階段が6段あり、さらに6段降りると段差スケットが付いています。段差スケットに乗ってカーヴのとき、完全に前方が見えなくなると駅員さんは、外側から一緒に走りながら「車イスが動いていまーす」と大きな声を出しながら人を避けて操作しています。


品川駅から京急に乗るときは、階段の横にエスカレーターが付いていて、普段は2Fから下に動いているらしいのですが、車イスが利用するときだけはエスカレーターの動きを逆にするのです。利用者は戸惑う人、何をしているのだろうと見ている人、少しの間、エスカレーターを独占する状態になります。何故かうつむいてしまうのは私だけでしょうか?同じような体験で飯田橋の駅では、さすが駅員さんが慣れていてエスカレーターの操作も車イスの扱い方もスムーズでした。

公共である区役所へ行く不便さ:
 JR蒲田駅は西口と区役所のある東口がありますが、両方ともエスカレーターだけで、駅ビルも西口には東急プラザ、サンカマタとあり、東口にはパリオという3つの雑居ビルのように固まって建っています。これらの駅ビルの中には5~6段の階段があり、車イスや松葉杖の人、高齢者の人などには利用不可能なとても不便な駅の構造になっています。
西口から区役所に行くには駅員さんを呼び、上下から交通整理をしてもらい利用者が使っているエスカレーターを止めて、一般の人は階段を利用してもらいます。このようにして2Fに上がり東口に渡るエレーベーターで下に降り駅ビルを越えるとやっと隣のビルが区役所です。利用者の足を止めてエスカレーターに一人で乗っているとき、駅員さん以外は私が区役所に行くために乗っているとは知らないでしょうが、電車に乗るための手段はともかくも他の目的で使うことは人道的にはあまり使用したくないそう思わせてしまう駅です。この駅ビル周辺がもっとスマートにひとつに統一出来ないものかと思っています。

電車とのんびり車イス どちらが便利?
 d0019913_11173647.gif京浜急行沿いに住んでいて、各駅止まりしか止まらない大森町駅で電車に乗るためには6段の階段があります。駅員さんが1名の時には、「暫く待ってくださいね」と言われて待っていると平和島駅から私を階段に上げるためにもう1名来てくれます。帰りにも平和島で電車が止まった時に同じ駅員さんが私を降ろすために乗ってきました。
こんなふうにして階段の上げ下ろしをいつもしてもらって電車を利用していますので、いつも駅員さんには感謝し、お世話になっています。
最近、蒲田にある大田区産業プラザPIOに用事があり、最寄りの京浜蒲田駅にはエスカレーターが付いていると聞いて電車で行ってみようと思いました。自宅から車イスで駅まで10分、電車が動いたら2駅先であっと言う間に到着しました。駅員さんが待っていてくれて、車イス専用のエスカレーターに2回乗り、更に、1Fの半分ほど下って、ようやく道路に出ました。
にぎやかなアーケードを500mほど抜けると、大きな道路に突き当たりました。通りがかりの人に尋ねながら目的地には40分ほどかかって到着、とても遠く感じました。
帰りも電車で帰るつもりで、途中国道15号線を横断した時、真っ直ぐに延びている道路を眺めているうちに気分が変わって、このまま国道を車イスでマイペースに帰ることにしました。陽が沈む雑踏の中で普段、見過ごしている物をいっぱい目にしながら途中、夫婦橋(国道15号線)の交差点の辺が少し坂になっていただけで、後はそれなりに迷っている3つの選択:
 いつの頃からか、遠くに行くには、自動車(左腕に痛みがあり、注意しながらやっとのことで乗り降りしています)。地域は電動車イス。室内及び近くの外出は手動車イス、こんな使い訳を現在しています。ですが使い分けをいつまで出来るのか、自らの限界に挑戦している思いです。少しでも頑張ることにより自らを励ましているようにも感じます。迷っていると言うよりは、いつまでも選択するのは自然と出来なくなり、近い将来の私の姿は電動車イスになるでしょう。
最近、諦めるというのは自分から諦めるのではなく、諦める時が誰にでも訪れるということが分かりました。

これからの駅のバリアフリー化を加速させて!! 

 平成15年2月7日にJR大森駅に(中央改札)ようやくエレーベーターが付きました。次はJR蒲田駅になるでしょう。
私の住んでいる京浜急行の大森町駅は、3年後にバリアフリーに向かって工事が始まるそうですが、品川駅から高架線で作られるそうで、完成するには10年くらいかかり、果たして、その頃、私は元気で電車に乗れるかどうかわからない遠い話です。
 全体的には、車イスでこんなに電車を利用出来るようになったことは、大きな社会福祉の前進だと思います。これからの選択は冷え切った社会を生きぬくためには、公共アクセスが便利になることにより、自らの自家用車を運転している障碍者も、半分以上は愛車を手放し電車を選択する人が多くなると感じています。ヨーロッパのようにストレッチャーに乗って生活している人が公共アクセスを利用し、我が家に帰れる日はいつになることでしょうか。
なだらかな道のりでのんびりと季節の花を眺めながら1時間ほどかけて帰りました。
果たして電車か車イスかどちらが便利であったのだろうか?とつくづく考えてしまいました。でも利用しなければ分からないし良くはならないので、これからも公共のアクセスをいろんな機会を通して利用したいと思っています。
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by rakudazou | 2003-04-29 11:00 | 《エッセイ》中村陽子

◆花追い人◆

車いすと鉄道:                            
 鉄道はここ10年余りの間に、急速に便利になってエレベーターが整備され、老人も 障害者も旅行し易くなった。いままで旅をあきらめていた人も、簡単に安心して旅行 ができる時代になった。
私も車イス生活になって「旅」をあきらめていたが、これだけバリアフリーな環境になっててきたのだからと、勇気を出して再び旅を始めた。
 98年長野パラリンピックの映像から勇気を得て、99年4月19日、3種類の特急を乗りつぎ、冬季オリンピックが終わって落ち着きを取り戻した長野の日帰り旅を決行した。
3種共、新型列車なので、車イス対応になっていた。多目的室付きの列車であった。 気分の悪くなった緊急患者や、幼児の授乳にも使われる部屋であった。 長野新幹線「あさま509号」は東京駅20番線から出ていった。こいのぼりが風に舞っていた。高崎観音が見える高崎駅を過ぎ、トンネルを抜けると、もう軽井沢駅。駅周辺の桜が満開であった。車内販売の「釜めし」を食べながら、目は窓にはりついていた。

長野は日本のスイス:
 善光寺は、駅から徒歩25分だった。スロープが完備していて、寺の中まで見る事が できた。寺の桜とチューリップも満開であった。
長野からは篠ノ井線「ワイドビューしなの22号」で松本へ。眼下に開けた絵のような農村の春の景色。長野盆地は桃の花ざかりであった。とても高い山の上を走っているので、下の村々のワイドな景色は絵本の世界であった。「日本のスイスだなぁ!」と感じた。

花追い人: 
篠ノ井駅から聖高原駅を通って松本に至る展望は、桜一色。ずっと桜ぜめであった。 桜、さくら、サクラ、Sakura!こんなにたくさんの桜を見たのは、生れて初めて。
「ウッソー」「ウゥ~ン、死んじゃうよーッ」と心で叫びながら、たくさんの桜を見た。桜は人の心に魔法をかけてしまうのかもしれない。窓に顔をくっつけたまま、食い入るように、外を見続けた。
日本は美しい国だと思った。日本って、日本人って、こんなに高度の美意識を持っていたのだ!こんなにたくさんの桜を見て、罰があたるのでは?本当に美しかった。あまりにも美しくて、これは現実ではなく夢なのではないかとさえ感じた。日本には「花追い人」がいると聞いていたが、そんな人がいてもおかしくないと思った。
松本からは「スーパーあずさ10号」で新宿に。日は落ち、夢のような一日が終わった。
「あさま」「しなの」「あずさ」新型の列車は外観も内部も美しかった。特に、グリーンの 車イス座席は豪華であった。車体全体が美しかった。デザインが優れているので入線の時などは、ゾクゾクした快感が体中を走った。
各駅の駅員さんもとても親切であった。しかも、駅にも電車にも車イス設備が十分に整っていた。何も心配が無かった。こんなに美しい風景を見られるなんて!こんなに楽に旅ができるなんて!
これからも、ずっと旅を続けていきたい。
旅は最高のリハビリであると思った。
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by rakudazou | 2003-04-10 15:24