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by rakudazou

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障碍者の旅行その1

旅行の原点

 障碍者の旅行も最近では環境、構造上では恵まれて来ているが、基本的には昔と変わらないことも多くある。特に重度な障碍者は身体的にも外に出るというだけで健康面から心の中まで不安なことばかりが先に立ち、行きたい気持ちは抱いても行けない理由をつけて断る人もいる。まだ、そのような内向的な在宅の障碍者には結構いると思われる。このような人を何度か誘って、誘って何かのきっかけで1度、外に出る機会を得ると自らの行動に自信が持てるようになり、その次の機会からは自ら進んで旅行に参加するようになれる人は多いし楽しみを分かち合える人は幸せな人だと思う。
 私は人が止めても行きたい方だったが、それでも旅行するにはいろいろと身体的な不安と戦いながら、その時々でクリアしながら経験や創意工夫をしてきたが、障碍があるなしに限らず、旅行をするということはいつも外に向かって興味を示す人でないとお勧めは出来ない。

旅への憧れ 
 10歳くらいの頃、家から思うように出られない私に父は、世界の写真集をよく与えてくれた。それを見てはヨーロッパのお城の絵を描いたりしていた。大人になってそれらの景色を本当に見た時、遠い日に見ていた写真と変わらぬ風景と歴史の深さに驚きを覚えたことなど何故か今でも覚えている。
 旅行の機会を与えられて自らの意志で出かけられるようになったのは20歳を過ぎてからである。d0019913_1253019.jpg
 家族旅行は憧れであったがついに実現させることはできなかった。いつも楽しいことは1歩も2歩も下がって遠くから見ているだけの自分の環境が嫌で、大人になってその頃の思いが積極的に外の世界に目を向けていろんな機会を自ら計画して、同じ思いを抱いている仲間にも誘ってみんなに喜ばれて、それが励みになり私の人生の大半は自分の楽しさを人にも感じてほしいと奉仕する旅行の積み重ねで生き来てしまった。
 これからの残された人生は、また、違った捕らえ方をしている。自らの体験したことを必要な人には伝えたい、身体で感じて来たことは同じ思いで悩んでいる人しか分かり合えないことも多くある。
 重度な障碍者が一人で外出したり、通勤したり、勿論、旅行も一人で出かけられるようになったことは、大変な進歩である。重度の人ほど公共交通機関を上手に使っている。案外、中途半端な人のほうが自動車の移動に頼っている傾向がある。
 しかし、一人旅行も何か起こるか分からない緊張とワクワクした気持ちがあるが、みんなで出かける旅行も「旅をする独特な気分があり」親睦を深めとても楽しいものである。

旅行に行くためには・・・
 以前は旅行をしたいためには、現在と違って出かける手段として自動車の移動の方法しかなかった。最初は自分たちで自動車を持ってる近隣の仲間同士の障碍者家族旅行、次は団体でバス旅行、1970年代の頃ではまだ、リフト付きのバスはなく、普通のバス旅行で、一人で乗れない人はボランティアに抱えて乗せてもらったり、乗り降りがお互いにとても大変であった。当時の私もバスの乗り降りにはその度に相手に全面的に身を任せる訳なので、相手の人も一生懸命だが、私自身もいかにしたら少しでも楽に乗り降りが出来るかそのときの状況により考えたが、これまでに何回も落ちるのではないか?と危険を感じたことはいっぱいある。
 みんな揃って1台の車で出かけることは共に同じ楽しさを感じることが出来て格別なものがある。やっと一般の旅行に参加出来た思いがあった。団体旅行は今でもそうだが、問題は現地集合解散がネックで行けなかった人が多くいた。
 現在ではリフトバスもさまざまなのがあり、いろいろな交通機関も利用出きるになり、これからはさらに進歩すると思われるが、肝心なことは楽しい部分でどれだけの人が、自由に出られるか?である。
 私たちの会では今までに何回となくにサクランボ狩りに出かけているが、d0019913_12475893.jpg今年の6月に介助者も含めて総勢13名で行って来たが、何度も行く人も多くて、現地でのボランティアでお世話になり、その後の交流をしている人もあり、今回はその常連のNさんがが「私、以前、サクランボ狩りに来たときとてもお世話になったUちゃんと会う連絡がとれたので、途中で降ろしてくれる」と言われ、Nさんは電動車イスだったので、宿泊先まで「来られるの」と聞くと「何とかしてくれる」と言うので、Uちゃんが迎えに来てくれていたので降ろして、他の皆さんは芭蕉ラインの舟下りしてから宿泊先に到着したと同じ時間にスロープ付きのワゴン車で送って来てくれていた。レンタルで借りた車だと思うが、現在は地方に来ても安心した旅を楽しむ時代になった。

当事者からの発想が原点に・・・

 旅を楽しむ同士がみんなで一緒に旅行がしたいと言うのが私の夢であった。一定の条件が揃っている人たちだけの旅行はお互いに気の合った人たちででかけるのもよいが、だんだん出かけている内に、旅行する機会の少ない主に在宅している重度な障碍を持っている人たちとの旅行を考えるようになった。そう思うようになったのも、その当時、1983年からケア付き移動サービスを行うようになった。一番の目的は旅行である。普通のことでありなが私たちにとっては、みんなと同じ車両の中で障碍もさまざまで、もちろん車の中では移動はできなくとも、同じ雰囲気を出来事を感じながら「おしやべりをしながら・・・」行けることが理想であった。
 車イスの人でも電動車イスの人でも差別なく安心して行ける旅行をするためには、リフト付き車両が必要だと思っていた。d0019913_1251094.jpg地域ではなく広域でどれだけの参加者があるのか?不安であったが、広まるのに1年以上の月日は経ったが口コミで広がっていった。その頃はリフト車両の数も増えて、とにかく当時車両を改造するには、車イスが1台でも多く乗せられることだけを優先に考えていた。参加者と介助者が回数を増す如く、信頼関係が出来て来ることは「旅」の楽しさを倍加するが、そこまでたどり着くのが大変である。
 最初は近場の旅行をして、参加する人々との意見も取り入れながら、遠距離の国内旅行の始まりは地方とのネットワークを相互に生かし、遠距離の旅行は新幹線や飛行機を利用して、都内いちえん、北海道、秋田県、宮城県、山形県、福島県、名古屋、京都、奈良県、山口県、福岡県、熊本県、鹿児島県、沖縄県等と現地での車両と人材の確保のネットワークがなければ不可能な旅行を果たして来た。参加する人も介助する人も都内だけも広いが、神奈川県、埼玉県など近県に及ばず、遠い地方の人まで参加していただいてありがたいと思った。
 昔から個人的旅行からバス旅行に至るまで、いつも計画する係りは何故か私がする役目になっていた。参加者の募集から始まり、バスから宿泊先、ボランティアの確保、観光のスケジュールとトイレタイムとか食事時間の調整など、すべて一喜一憂しながら行ってきた。その積み重ねで出来たのがハンディホイラーの会である。
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by rakudazou | 2007-07-27 13:00 | 《エッセイ》中村陽子