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by rakudazou

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さくら三昧  
 今年は全国のトツプをきって東京及びその近くでは桜が満開になったらしいとのニュースであるが、桜は見事に満開になり、花びらが風に舞い上がり散際も見事である。
 d0019913_2242545.jpg今年は思いがけないお花見を2回、続けてしてしまつた。27日には、つくば市の友人の和風ステーキレストランに出かけて行った際に、私が訪れからと前日に下見をしていてくれた、近くの民家の片隅にある泉子育寺の境内にしつそりと、しだれ桜が地面に枝をすり合わせるように大きくしだれて、しだれ桜が3分咲きで、ピンクが濃い花びらと蕾が美しく咲いているのを見ることが出来た。大きな大木なのに人気もなく、独占して枝にそっと触れては桜の息づきを感じることが出来て感激だった。女性は桜の枝に立っては「かんざし」をしているような気持ちにさせるそうだ。

池上本門寺の桜 
 29日の土曜日には、三重県伊賀市出身の今年、北里大学に合格して晴れて入学する、近くの大学生になるNさんが来て、「お花見に行かない!!」と誘ってくれた。私はうれしい!!「本門寺に行きたい」とリクエストしてしまった。車イスを押してもらって呑川沿いに咲いている桜を眺めながら、行きかう人に何度か尋ねながら池上会館を目標に進んだ。風も無くお天気もよく、桜も満開、近くで眺めると花びらがきちっと整列してみんな思い切り開いている。d0019913_2251622.jpg
 池上通りを横断すると池上会館は直ぐに分かった。会館の側にも老木の桜がとてもいれいに咲いていた。中に入るとエレベーターで屋上に出ると本門寺の境内になる。建国400年になるお祭りで五重塔の2階の門が開いていて、お坊さんが熱心にお経をあげていた。あたりは桜の木々で花々は満開、犬を連れている人、杖をついている人、車イスの人も沢山見かけた。みんなのんびりと散歩している。よき友のおかげで私は楽しいお花見が出来た。
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by rakudazou | 2008-03-31 22:06 | 《エッセイ》中村陽子
生命保険に入れないという事実
 子供の頃に何となく記憶しいてることがある。保険の外交員のおばさんと母との会話が聞こえて来たのだ。「障碍があると保険には入れないのですよ」と母は更に「障碍を持っているからこそ保険が必要なんじゃない?」詰め寄っている様子の声が聞こえて来たものだ。
 それから、大人なると直ぐに親元から離れて生活するようになり、何でもないことが一番だが何かのときの安心を得るために保険のことについて友達に聞いたり調べてみたが、当時から保険制度には障碍者に対して差別があった。当時の郵便局での制度だけは医師の診断の必要のない小額の保険に加入することが出来た。障碍があると言わなければ加入出来ることが、それって何だか障碍を隠しているようで嫌な気持ちだった。
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保険は強い者の見方なのか
 生活をするということは、いくら努力してもお金を貯めるのには限界があり、私が保険と言う名の付くもは多分、自動車に乗るようになり自動車に関わる保険であったように思われる。社会生活をするようになり、障碍があるということだけでいろんな差別を感じた。
 あるときに私たちの気持ちを理解してくれる保険屋さんに出会った。障碍とは身体のすべてに障碍があるのではないということを理解してもらえた。その障碍のある部分を外してとの条件で、怪我、疾病保険などに加を入した。当時、思わぬことに乳ガンになり、初めて保険というものが下りた。そのお金は自分のために使おうと思い、パソコンの奔りの物を購入した。ウルトラマンのような強い見方のNさんとのながーい付き合いは今でも続いている。

他には類のない共済保険の誕生
 3年近くの空白期間が合ったが、保険のことでNさんとの連絡が必要となり私の仕事場に来てもらった。そんな時、Nさんを通して知り合いになった違った業界の人とのつながりの中で何気なく「私たち保険に入れないの・・・」と話すと「じゃ、みんなで作ればいいじやぁない?」ということに進展してしまった。その後、試行錯誤をして多くの専門家の意見と障碍を持つ当事者の意見を取り入れて、今から13年前に有志3人の資本金を下に、日本でも初めて、世界にも類のない、障碍の持つ人々の生活全体を支援する「ハンドインハンド共済クラブ」が誕生した。d0019913_16353817.jpgこの共済の基本は、過去2年間の入院経過がなければ、6歳から80歳まで、どのような障碍を持つ人々でも、疾病、傷害いずれにも加入出来て、パートナーシップとして一般の人々が障碍を持つ人々を支えるシステムになっている。今までしつかりと支えてくれた多くの理解ある人々に感謝の気持ちでいっぱいである。051.gif051.gif051.gif

自己責任が守られる生活
 車イスの生活の中で多くの数知れない人々に私はいろんな世話になって生活をして来た。自動車の乗り降りの時に車と車イスの間に落ちてしまい助けてもらう時、外出や旅行などの時に段差や車イスを押してくれた人々、室内でのいろんな介助や手伝いをしてくれる人々、いつも感謝して生きてきたが、自分の身体をかばうより先にこれらの善意ある人々に、私という障碍者に関わったことで、もし、怪我とか命に関わることがあったら「私はどのように対処しようか」とずっと思いながら生活をしてきた。
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 この「ハンドインハンド共済クラブ」が出来てからは少なくとも、何か不意な事故などが起きた場合に、私自身だけではなくその時に親切に関わってくれた人でも保障が出来ることは何よりも責任を果たせるという安心感が持てるようになった。特に外出の際の人混みの中での通りがかりの人や駅員さんなどの階段の上げ下げとか、エスカレーターの介助とか「もし、落ちたらどうしょう!!」危険を感じる時でも、そんなことがあってはならないことだが、万が一の時のことでも自分で責任が持てるということは幸せなことである。社会生活をする上で最小限の責任を得た生活が出来るようになった。003.gif026.gif029.gif
 障碍者が障碍者のためにつくった共済保障『ハンドインハンド共済クラブ』の詳細はこちらへ。
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by rakudazou | 2008-03-25 17:30 | 《エッセイ》中村陽子
最近のハナコ 
 ようやく、暖かい春が訪れて日当たりの良い桜の枝先には、少しふくらみが感じられて、いよいよと桜の便りが訪れるようになった。d0019913_1836868.jpg
 ハナコと過ごす冬も春も、クリスマスもお正月もお雛様も、季節の変化が感じられるものは、すべて、ハナコと過ごす最後の時かもしれないと感傷的になっている。
 ハナコはそんなことはまったく関係なく、今日も元気で過ごしている。そんなハナコを見ていると病気のことを一瞬忘れさせてくれるが、毎日の2度の薬を与える時には現実に戻ってしまう。最初は薬も独りで与えられなかったが飼い主として何とか薬だけでも与えたいといろいろと工夫して、時々、指の間を噛まれて血が出るときもあるが根気欲続けている。d0019913_2523557.gif

モミモミ、ゴロゴロ、プクーン 
 最近のハナコの変化は私の膝に飛び乗って来て、まずはモミモミと少し爪を立てて、両手両足で足踏みの如く、私の腕に乗って来たりして、ハナコの全身の重みが腕に感じて、まるで指圧をしてもらっているみたいだ。腕か痛いのでその重みがとても心地よいのだ。
この仕草は前からあったが、赤ちゃんの時に母親のミルクを飲むときに両手で交互に乳首の周りを押すようにモミモミして、ミルクがいっぱい出るように、自然に身についた動作が今になっても残っているらしい。d0019913_2535448.gif
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 この動作が終わるとゴロゴロと喉を鳴らして上機嫌、そして、膝の上でプクーン、プクーンと吐息をたてながら眠ってしまう。私まで幸せな気分になって一緒に眠りに誘われてしまうのだ。この癒されている気分は動物を飼ったことのある人しかきっと分からないだろう。
 少し前、いつものようにハナコが膝の上で寝息をたて、私も誘われてハナコを抱いて夢の中にいた。ふと気づくとその寝息が聞こえなくなった。身体を動かしても反応が無い、このまま、天国に行ってしまうのではないかと、本気で恐れたことがある。グッスリと寝ていただけだったが、その時に思ったことは、いつかはこのようにして、ハナコは天国に行くのだろうと思った。
 ハナコは病院食の缶詰は食べてくれない。何とかカリカリご飯は食べてくれている。獣医師の先生は「食べない子には勝たない!!」と普通の缶詰とか、マグロのお刺身を食べることは容認している。
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ピンポーンの音にブレーキ 
 週に3回、獣医師の先生が往診に訪れる。ピンポーンと玄関で鳴ると何処にいてもダッシュするが、先生だと分かると玄関の少し前でブレーキがかかってしまう。決して歓迎してない訳でもないのだが、もう、半年近く続けている注射の時の気持ちが分かっているらしく、最初は従順に注射をされていたが、最近は後ろを見ては確認を取ったり、出来れば逃げ出したいと機会を伺っている様子で敏感になってしまった。
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 訪れる人はハナコの姿を見ると「とても元気そう・・・」と云われるが、それなりに健康維持するために治療を継続しているから元気なのだと思っている。
 ハナコの2つの腎臓は腎機能が弱っていて、あるとき、先生は「何処かで子猫を一生飼うつもりで貰ってきて、1つの腎臓を子猫からハナコに移植すれば、「病気は治せる」と云われたが、私は即座に断った。ハナコは6月の誕生日が訪れと人間の歳で14歳、猫の歳では72歳になるのだ。命あるものは必ず寿命があるはず、ハナコはきっと自分が病気であることなど意識している訳ではなくて、唯、日々、元気で過ごしていてくれるから治療を続けている。苦しがったりしたら延命処置などはする気はない。亡くなった時に悔いを残したくないという、飼い主の勝手な思いで獣医師に診てもらっている。
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シャカシャカ通りの袋 
 ホワイトデーの日にハナコは先生からプレゼントをもらった。大きな包みで開けて見ると、シャカシャカ通りの袋という、猫の80%が喜ぶというおもちゃだ。ピンクの長方形の長さの半分のところにいろんな色の窓があり、その下には猫が出入いり出来る大きな窓がある。先には2つ、中に鈴の入っているボールが付いていて、もう、ひとつの先には、袋の端にハリガネが入っていて、トンネルのように猫が入って行けるように作られている。d0019913_18403186.jpg
 このおもちゃをハナコにあずけて見た。直ぐに興味を見せて、獲物を取る仕草でダッシュして飛び掛って行った。するとシャカシャカとハナコの大好きな音がした。手先でボールを蹴り、飛び上がったりしてしばらく興奮して遊んで、遊び疲れて寝てしまった。

シャンプーの季節 
 外の世界にあこがれてはいるけれど、外に出たことのないハナコは、外の景色を眺めるのは毎日の習慣になっている。以前は外に猫たちの姿を発見するとすごい勢いで側に近づきたいのか暴れまくったものだが、今は歳を取ったせいか落ち着いてきた。d0019913_18415334.jpg
 気候が良くなると年に1度のシャンプーの季節になる。1度だけサマーカットにしたら、帰って来たハナコを見てびっくりとしてしまった。顔と手足の部分だけ元の姿で後はみんな肌か透き通って見えるほどにカットされていた。猫というよりは痩せたライオンの子のようであった。しかし、サマーカットした年だけはしばらく毛も抜けなくて楽だった。昨年は、もうじき、また、暖かくなったのでカットしてもらおうかと思っていた矢先に病気になってしまい、シャンプーだけにした。今年も多分、シャンプーだけだろう。シャンプーした後は毛玉もなくて全体がフンワリとして香りもよい、ハナコは長毛の猫なので、週に2回、ヘルパーが訪れるが、最後に私はハナコを背にダッコして、胸やお腹などを櫛でとかしてもらっているが、きれいにしてあげているのに、機嫌が悪くなり、嫌だと言わんばかりにウーウーと唸って「ハナちゃんはきれいにしてあげているのにねぇ」とヘルパーに言われてしまうのだ。d0019913_2553035.gif

もう、少しハナコや頑張ろうね。
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by rakudazou | 2008-03-18 18:45 | 私の猫・ハナ太郎との日々
現在の身体状況 
 身体が硬くなる、胸から下の痺れ、左肩、腕にかけての痛み、右手のイタバネと俗に言う指先の変形と鈍い痛み、私の障碍特有のツッパリと痙攣、これらが融合されて、日常の動作も年々と想像以上に速度を増している。020.gif021.gif
現在の私の身体の状況下で最も精神的に不安なことは、車イスからのベッド、トイレ、自動車の乗り降りなど、生活上で最小限の動きでも常に落ちるのではないか?という不安が伴い、生活する中で介助を受けないと生活が成り立たなくなってしまった。
危険を感じて、電動リフトを取り付けてもらい、車イスからの転落のときは、何処で落ちてもリフトのある場所まで行かないと車イスの上には上がることが出来なくなってしまった。注意していても、瞬間に落ちてしまうことがある。年に数回はあるが、リフトの操作で上に上がるときにリフトから落ちたらどうしよう!!といつも感じている。015.gif
 以前、恩師は60代は年々、70代は月々、80代以上は日々にと身体の衰えを表し、障碍を持った友は50代、60代、70代、それぞれの年齢の節目如く「あなたもその年齢になって御覧なさい。私の気持ちがよく解るわよ」と何度となく聴いていたが、まさに彼女の嘆いていた精神的、肉体的な身体が変化してく様は、「私もその世代に入ってしまったのだ」と実感する。そして、これらは遅いか早いかの違いは人により異なっても、障碍があるから無いからとは関係なく、誰にでもいろんな形で訪れる「衰退」という事実である。
d0019913_1637026.gifだから、素直に受け止めたいと思う気持ちと、これからどのように共生し自然体で生きるのか?迫り来る現実をひとつずつ解決しながら立ち向かいたいと思う。

身体はロボットの如く?  
 自らの身体の自己管理はやさしそうで難しい、怠ると必ず身体に跳ね返ってくる。現実と常に向かい合いながら生活しているが、心と身体のバランスが大切である。
 現実に1年先の自分の変化も予想がつかない状態である。5年前の私と5年後の私の現実は、今までになく急速に変化している。
 20数年前から、私はバルーンカテーテルになって、排尿の自己コントロールにしてしまい、すごく生活が快適になった事とその安易なツケが今にして自らに回ってきている。
そして、3年前の秋に今後の介護のことを考えて、まだ、保険対象になっていない盲腸ポートの手術をして排便の自己コントロールにしてしまった。
良かれ悪かれこの両方は、維持するためには2~3年に1度は手術及び交換をしなければならない。002.gif007.gif021.gif
 排泄を機械的にしてしまったのには、排泄のことで介護が必要になった時のことを優先して私が決めた事である。但し、そうしたことにより、安心な部分と生活圏の範囲が狭くなり、遠くに出かける時や旅行などの時には、完全に介護が必要となってしまった。これが日常生活に影響して来る事も必死である。023.gif019.gif
 当たり前のことであるが、日に3回の食事も苦痛であるし、水分を多く取る事の必要性も苦痛なことがある。機械的に食べて飲むことは涙が出ることもあるが、独りで生活するということは、すべてに自己責任を有することである。d0019913_16421776.gif
 また、入浴が介護入浴に変って今年の春で3年になる。そうなる前には半介護などの経過はあるが、大きな動機は隣人の浴槽の中での溺死である。ヘルパー1人で私が自宅入浴を相互に負担を架けずに行う事の結論は、浴槽を大改造してシャワー入浴に決めたのも私である。
 それまでの私はどんなに夜遅く帰宅しても、毎日、入浴し冷えた身体を温めて眠ったものだが、その頃、当たり前のことが今は、とても自由で幸せな生活だったと思える。
冬のシャワーは寒くて辛いが身体の清潔を守るという考え方に変えている。入浴が出来ない人の事を考えると暖かいシャワーに当たっている時の私は幸せだと感じている。そして、この動作も自分で維持出来なくなった場合にはディサービスに通い入浴させてもらうことになるだろう。
 ガスで料理することも危険を感じて電気調理器に変えた。すべて、独りで生活するための安心感を得るために出した私の結論で、果たしてよい結果ばかりではないと思うが自分で決めたことである。012.gif010.gif003.gif

手を抜くようになってしまった!! 
 いつの頃からだろうか?肩と腕の痛みが増していく中で、最悪だと思っている事がある。以前から体温調整は駄目、温度の差などで衣服の着替えは苦手であり、熱くて汗を拭き取っている人を見て健康な人の姿だと思った。
身体の移動も衣服の着替えもすべて両腕が頼りである。その腕の一方が不自由になるといろんな行動の妨げになり次第に自分の身体から手抜きをするようになった。最初はどんなに時間がかかっても自分で着替えをしていたが、1度人手を借りてしまうと「こんな楽はない!!」と人の手を当てにするようになり、今では、週に2回の入浴の日にその次の日の事までしっかりと考えて、ヘルパーに着せてもらっている。寒い時など簡単に脱げる物は取るが、殆ど日中と同じ格好のままで寝てしまう。脱ぎ着に費やす労費と時間を考えると窮屈でもそのまま寝て起きる事に慣れてしまった。しかし、ヘルパーが訪問する日の前夜は時間がかかっても服を脱ぎ寝るとすごく身体が軽く楽だとホッとするが、果たしていつまで出来ることだろうか?
こんな怠けた生活をしているのは私だけかと思っていたら、身体が重度な障碍を持ち動作の不自由人は同じような生活をしている現実があるらしい。011.gif013.gif

リハビリ通院をするようになって 
 肩の痛みを緩和するために、しばらく在宅でPTの先生の訪問でリハビリを続けていた。人に薦められて「針・灸」にも通ってみたが身体に合わずに直ぐに辞めた。019.gif
 d0019913_225693.jpgある日、PTの先生が在宅では限りがあるので「本気で治してみないか」と言われて、本当は入院して徹底的に治したいと助言を受けたが入院と云う事態は避けたかった。042.gif025.gif023.gif
025.gif長年の痛みが本当に無くなるとも思えなかったが、昨年の10月から週に2回、ヘルパーにヘルプしてもらって車イスで25分程で行ける近くの病院に通っている。1時間の間、主に後ろの背中の下の筋肉の強化と左手の力の強化、ベッド、自動車とか車イスからの乗り移り等の生活に密着したリハビリを基本としている。PT室を見回しても皆、歩行訓練とかで私は異色の存在だ。2月の整形外科の診断で3ケ月間の延長になった。036.gif043.gif
現在までの経過で可動力は60%出来上がっているが、日常の動作での痛みは取れず、これからの仕上げに期待を賭けると事になるが、やるだけのことは頑張ってみたいと思っている。

肺を動かしタンを切ることの難しさ。 
 胸椎に私の障碍の根源があり、20代の頃で私の肺活量は1200しかなかったが、盲腸ポートの手術のときに更に減り、肺活量は1000ギリギリの数字と減り医師に、「今後の全身麻酔は難しい」と云われた。033.gif033.gif033.gif
歳を重ねると体力も減るしすべての機能が衰退するのは仕方が無いと思う。PTの先生が肺活量とタンを切る力などを検査し、何とかギリギリの線は保つことが出来たが、今後の維持を保つために「アカペラ」と云う、器具で肺活量の増進をはかる改善の練習を自分で日々の練習をするようにと指導された。d0019913_1639745.gif
 また、数年前から無呼吸症候群になり非浸襲的人工呼吸治療「ニップ」と云う呼吸器を取り付けて、吐く息と吸う息の呼吸のバランスを保もてる方法を取り夜間の時間帯だけ必要となってしまった。このような状態なってしまったことには最初は戸惑いもあったが、健康管理を考える中では日常の習慣のひとつとなった。060.gif060.gif

在宅で見守りされている日々  
 数年前に膀胱婁の手術を試みたが、箇所から尿が漏れてしまって困り果てた時から、地域の訪問看護ステーションから看護士さんが訪れるようになり、適切な処置とアドバイスを受けて、経過では落ち着くまで毎日訪れてくれて本当に助かっている。その時の身体の状況により看護士さんが訪れて管理してもらうようなり、一番感謝していることは、これまでにいろんな調子で大切なカテーテルが外れてしまった時に、緊急に電話すると短い時間にかけっけてくれて、交換してもらった途端に、パーンと破裂してしまった。夜、遅い時間なのにまた、新しいものを近くの病院までとりに行ってもらい交換してもらった時もあるが本当に感謝している。訪問看護は週に2回、胸から下の身体の感覚が鈍い私には、見えないところの変化や傷を早期発見してもらえるし、身体を清潔に保て気分も和らぐ貴重な時間である。012.gif
同時に訪問ドクターも訪ずれるシステムになった。月に2回、定期的に訪問し医師は私の在宅管理を行う。現在は呼吸器科の先生だが、必要なことは何でも行ってくれるし相談にものってくれている。薬の処方箋や、身体の変化等をチェックし、私の健康管理の基本になり、緊急な時も24時間体制の中で電話で看護士とも医師とも相談も対応する体制になっているので安心した生活が維持で出来ることは幸せだと感じている。処方箋をFAXすると薬も届けてもらえて助かっている。d0019913_195388.jpg
 地域行政が緊急時に通報出来るシステムも取り入れてもらった。手の届くところに通報する装置とペンダントが渡された。これは、地域行政が委託会社と契約し、玄関の外に部屋の鍵を入れた場所があり暗証番号が会社だけしか知らない。ペンダントは胸に付けているものと思い、しばらくつけていたが、何かの間違いで知らないうちに押してしまったらしく夜遅い時間帯に気づいたら数人の人が部屋に入ってきてびっくりしたことがある。練習にはよい機会だったが、それからペンダントは車イスのポケットの中に常に入れるようになった。
 携帯電話も外出の時、寝ている時など、何か緊急時には大切な物だし、私にとってベルが鳴るよりは、自分で知らせるという事のほうが優先である。どうしても手に負えない時などには隣人に知らせるしかないが、これらの事柄はすべて、日頃の地域との連携を保つことが大切である。使うことがないように常に心がけているが、これまでにも緊急事態で何度か隣人に助けてもらっている。外での緊急時は通りかがりの人でも助けを求められるが、室内の危険性は自ら発信しないと誰にも伝わらない。062.gif
 私は今の地に移り住んで5月が訪れると18年になるが、仕事に追われて身近な干渉に無関心で過ごしてしてしまって、これからは自ら参加し周囲から関心を持ってもらえるような生活をするように反省している。030.gif029.gif

新しい車イスに変化が起きる 
 最近、新しい車イスが出来上がってきた。改善するところは直して、高さとかは同じにしたはずなのに、いつも車イスが変ると多少の変化はあり、それなりに慣れるしかなかった。今回は特に、車イスからの移動が私の身には大きな問題提起を起こしているので、不安だったが、ハッキリと身体で感じたことは高さが1cmは高くなっているという実感がした。最初に乗り換えた早々にベッドへの移動はクリア、しかし、ベッドから車イスへの移動にはベッドの高さを上げないと安心した移動は無理になってしまった。トイレへの移動はクリア、しかし、トイレから車イスの移動に3回も失敗してしまって、「これからはリフトを使わないと駄目か!」と思った。何故か、車イスが動くのではなく、ブレーキが外れてしまうのだ。
 ヘルパーに空気を入れてほしいと頼むと「エッ、新しいのに入れるの・・・」の不信がられたが「とにかく、入れてほしい」と頼んだ。空気を入れたらブレーキが外れなくなった。神経質のようだが、車イスの空気が甘くなると移動のときに車イスが動いてしまうことは私には致命的なことだ。室内での少しの段差でも油断すると落ちてしまうのだ。042.gif
 外での車イスの操作は更に注意が大切で、この辺は坂道がない事だけは幸いだが、道路は起伏があり、ガスや電気の鉄板も怖い、商店街の見た目にはきれいだが、レンガのはめ込んだ道はとても動きにくいものだ。特に踏み切りや交差点を渡るときには細心の注意をしているが、最近、人に押してもらっていている時に2度も踏み切りの中で転倒してしまった。押している人も私も「一瞬、どうしよう!!」と蒼くなるが、周囲の人々が飛んできてサッと車イスに乗せてくれた。お礼を言うより、まずは踏み切りから出るうちに誰が助けてくれたか分からなくなる。踏み切りで怖い経験をした人はきっと、その後、2度と繰り返すことは無いだろうとが、私も起こしてほしくはない。最近、ヘルパー会社の責任者に、車イスを押して外出するときには、ヘルパーに身を任せて乗っている人が多いので段差、特に踏み切りを横断する時には「最善の注意をして・・・」と呼びかけた。007.gif018.gif030.gif
018.gif 自動車にも乗ってみた。乗る時には以前の車イスより楽に思えたが降りる時には変化はなく、車の座席と車イスの上の間に一瞬、身体が落ちて、腕の力で車イスに乗れるという形だ。しかし、自動車の場合は野外か公共の場が多いので、通り道の人に助けを求めるか、ビルの関係者に携帯して助けてもらう他にはない。
 1cm高くなった新しい車イス、移動の変化だけではなく、たった1cmの差なのに、私の室内での目線にも変化があり、今まで取りにくかった物や置けなかった物が取れるようになったということは、経験してみないと分からないことだと思った。030.gif005.gif

4月になると・・・  
 私の愛車は2月に車検を取ったが、平成3年に新車となり、中古車として私が運転するようになり12年目、もう、この車種のタイプは道路では走っていないが私の足の確保をずっとしてくれた。何でもそうだが愛情をかけて上げないとストライキを起こすかもしれない。いつのときも「あなたが最高よ!!」と問いかける。本当にすべて自動で座席が動き上下可動もして、滑るように走るこの車を薦めてくれたディラーの担当者に感謝している。003.gif
 4月から、月に1回、私の信頼するガイドヘルパーが訪れて、車の清掃と点検、私の車からの「乗り降りのリハビリ」と都内の変化を一緒に走ってこの目で確かめたいと思っている。d0019913_16434133.gif
車にも私の身体にもやさしい時間帯、町並みは常に変貌している。何処に行くかは私が決めなければならないが、後、2年余りの車との付き合いを大切にしなければならない。058.gif003.gif026.gif
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by rakudazou | 2008-03-15 15:46 | 《エッセイ》中村陽子