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by rakudazou

奈良県障害者運転者協会・40周年のあゆみ・おめでとうございます

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自動車生活を振り返って

奈良県 磯田恵三
  私は、昭和17年、7人兄弟の一番末っ子として生まれました。健康優良児でした。昭和20年3歳の時にポリオにかかり下半身麻痺。不運は続きました、4歳の時、母が亡くなりました。父は元気で経済的には恵まれましたが、母を失い不自由な身体なのに甘える人がいなくなり辛い幼少時代でした。
 私は、一般の小学校、中学校に入学でき卒業しました。今だったら養護学校があるのでそこに入ったと思います。父は学校に改善は何も要求していません。母がいたらしたかもしれません。そのため、本人の私は学校にいる時間帯は地獄でした。朝から学校終了まで教室の椅子に座ったままです。トイレも学校が終わるまで我慢しました。11時頃からたまらないほど小便がしたいが我慢しました。学校の帰り道端でしますが、痛くて出ません。幼少ながら朝水分を取らない知恵もつき、毛穴が広がり水分は汗で出す体質に変わりました。朝8時に用をたすと夕方5時ぐらいまで大丈夫になりました。奈良県障害者運転者協会・40周年のあゆみ・おめでとうございます_d0019913_1564098.jpg
 自転車屋さんに子供自転車を三輪自転車にして、ペダルを手でこぐようにしてもらい、それで学校まで行き、一人の学友におぶってもらい教室に入りました。その美談は中学卒業までに何回も新聞に載りました。子供自転車と同じスピードが出ました。田んぼに落ちたり、怪我もしましたが自転車屋さんにそのことを言いませんでした。現在では怪我をされて訴えられたら損害賠償を支払わなければなりませんのでそんな危険なもの作ってくれませんでしょう。その三輪車のおかげで近所の子供達と活発に遊べました。座わり相撲を考案して遊んだり、レスリングも野球もして遊び筋肉隆々のガキ大将になりました。その体験が今も役に立っています。
 藤森さんという方が日本で初めて手動式の自動車で免許を取得したのを新聞で見ました。早速、父に自動車を買ってくれと頼みましたが、父自身免許取立てでミゾにはめたりしている時でそんな危険なものダメと言われました。20歳の時、父が癌で亡くなりました。人生が真っ暗になり、将来が不安で死にたい気持ちでした。そのどん底の中で光となったのは自動車でした。自動車を発注しました。父が亡くなって2ヵ月後、手動式のマツダクーペが入ってきました。今でも自動車は父が変身したものだと思っています。
 車を購入したが奈良県警では検討すると言って6ヶ月間運転免許試験が受けられず、自動車学校へも行かず、直接試験場のコースを走り合格し21歳の時に免許を取得しました。
 また、独学で簿記を勉強し、兄におぶってもらい商工会議所の簿記2級まで取りました。1級を取れば大学卒とみなされ税理士試験を受けることが出来ます。しかし、難しくて1級は取れませんでした。
 病院で岡本前会長と知り合いました。趣味で挿絵を描いていたのが私の人生に幸運を招きました。岡本会長は印刷の版下、写植業をしておられて、絵は生かせると言われ岡本さんのところで、写植を修行しました。修行中、奈障運設立のため車で県庁等関連機関を回ったのを覚えています。28歳の時、岡本さんから独立して写植業を自営しました。
 奈障運の運転競技会は最初から参加し、奈障運の車8台ほどで連なって行く旅行も行きました。全車にリボンを付けて、最後の何回かは無線も付けて走りました。全車旅館に横付けしたときは付近の人々に大臣でも来たのかと思わせるほどで優越感を味わいました。白浜、岡山、鳥取等を旅行したのを覚えています。鳥取の旅行は冬でした。畑か道か分らないほどの積雪の中、チェーンを付けてもらい走りました。坂道でブレーキを掛けたため半回転したのを覚えています。奈良県障害者運転者協会・40周年のあゆみ・おめでとうございます_d0019913_158424.jpg
 協会の行事で東京都小金井市から障害者専門の東園自動車教習所が奈良へ来てくれました。それをきっかけに奈良県の障害者多数が運転免許を取得しました。その時まだ奈良県では手動式は軽自動車しか免許を与えてくれませんでした。東京都では手動式でも1200㏄までの普通車だったら免許を与えてくれると聞きました。東園には宿舎が有り、運転免許が取れるまでその宿舎が面倒をみてくれます。奈良県障害者運転者協会・40周年のあゆみ・おめでとうございます_d0019913_1594696.jpg
 東園で免許証を取得したいという3人の障害者と私が運転するマツダキャロル360で東京へ行きました。4人全員歩けません。その時代、軽自動車に載せられる小型の車椅子など有りません。もしトランクに載っても誰も降ろしに行ける人はいません。エンストが起きても誰も車から出られません。そんな危険な状況で名神高速、東名高速を小便はペットボトルにして永遠と走って東京小金井市の東園に着きました。途中、交番で降りられないので大きい声で道順を尋ねると降りてこいと怒られました。
 私は、軽免許から普通免許に切り替えるだけなので2週間で普通免許を取得し一人奈良へ帰りました。3人は一ヶ月後免許を取得し東園の車で奈良に帰ってきました。2回目の東京行きは、トヨタパブリカに兄夫婦を乗せ東京足立区のホテルで妻と見合いしました。
 私の免許歴は47年です。今の車は11台目です。今乗っているトヨタアルテッツァが一番古く乗っていて13年目になります。175,000km走っています。47年間の総走行距離は600,000km~700,000kmの間だと思います。地球から月までの距離は384,400kmです。もう月に着きました。月を見て、ああもうあそこまで車椅子の人間が行ったんだなぁと思うと感無量になります。今は地球への帰り道です。80歳まで車に乗っていてもおそらく無理でしょう。90歳まで乗っていれば地球に帰れるかも。
 平成9年に仕事を止め無職になりました。そして奈障運の理事をさせていただきました。ボランティア部所属のときは、大勢の会員ドライバーで送迎依頼者を送迎しました。編集部所属の時は、奈障運だよりを1号~18号まで4人の編集部員で発行しました。そして昨年理事を離任させていただきました。
 これからは、子供の時の経験を生かし障害者と健常者の格差を無くすことに頑張ろうと思っています。これからは色々な人と触れ合って障害者のパワーを見せ付けて頑張ります。色々な人をどんどん乗せて走り回り運転競技会で賞を頂いた証を見せます。
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by rakudazou | 2011-06-16 15:05 | 日本の障がい者・運転の歴史50年