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by rakudazou

カテゴリ:《エッセイ》中村陽子( 112 )

シナモンのうたの先生

d0019913_14283671.jpg幼さが残るオカメインコのシナモンは9月15日を迎えると生後6ケ月になり体重は80ℊで元気に成長している。何でも興味を示し考えられない行動を行い私生活に至るまで脅かす悪戯をして、私に出来ることは可愛いからこそお互いの安全を注意しなければならないと反省している。d0019913_18284878.jpg

名前だけは憶えてもらいたいと「シナちゃん」と呼び続けていると、3ケ月を経過した頃に肩に止り遊びながらグチュグチュとつぶやいていたが、フト耳を傾けると耳元で「シナちゃん」とあどけなく言った瞬間、私は「アッ、名前を言っている!!」シナモンが愛おしくとても嬉しかった。いつも身辺をお世話になっている友人にそのことを話すと、私の顔を見ながら「親バカですねェ」と言われて信じてくれなかった。最初は小さな声で呟いてみたり叫んでみたり最近は、「シナちゃんおはよう」と言えるようになった。そして、ひそかにシナモンは♂だと確信するようになった

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昔、初めて飼ったメルちゃんと言う同類のオカメインコは「ウグイス」の鳴き声をとても上手にさえずっていたのを思い出すのである。あの頃と異なり年月を経て私の精神も身体も衰退してしまったが、シナモンに「ウグイス」の鳴き声を出来るなら覚えてほしいと思った。私は口笛が吹けないのでヘルパーさんたちにウグイスの口笛をお願いすると、ウグイスの声にシナモンはすぐに反応して動きを止めてじっと聞くようになった。d0019913_18403463.jpgそのうちに「ホーホケ・ケキョケキョ」から「キョ」がつながり調子の良い時にはビックリするほど大きな声ではっきり鳴くようになった。この「ホーホケキョ」には幸いにシナモンにとって口笛の先生がいた。毎週、土曜日の夜のヘルパーさんは仕事の合間に熱心に「ウグイス」の口笛で話しかけてくれる。シナモンは聞き入って確かに上達はしているが、先生の口笛の抑揚が有り過ぎて迷いながら最近はアレンジして自信なさそうに懸命に唄っている。正しく唄えるように今は練習中である。d0019913_4145376.jpg

しかし、日増しに自己主張が強く大きな声で「オハヨウ」と叫んで聞こえるのは私だけで、周囲には唯「出してョオ!!」と怒鳴って大きな声で朝夕は騒いでいる。
 注:インコ類は口笛によく反応し雄は雌の気を引くために教えるとよく覚える。

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触発されて

シナモンを観察していると何度も繰り返す言葉をそのまま覚える学習力がある。話し相手をしていると私の胸元に飛んで来てシナモンの重みを感じながら、シナモンの頭、嘴、背中などをそっと優しく指で撫ぜたると目を細めて気持ち良さそうにしている。覚えたての言葉を聴きながらシナモンと過ごせる幸せを実感じているd0019913_3493136.jpg

人が訪れるとシナモンは歓迎してくれる人には直ぐに嬉しそうに飛んで行くのである。初めての人などは驚き「すみません」いつも言うのであるが、中には目を細めて「このような経験は余りないので構いませんよ」と動物好きな人もいる。殆どの人は仕事で訪れる人々で事前にケージに入れるように生活のメリハリを覚えさせたいと考えている。d0019913_35189.jpgさいわいにシナモンはドアを開けても直ぐには出ようとはしないで入口を行ったり来たりと遊んでから、のんびりとゲージの扉の舞台の裾で首を傾げたり、さあ、これから飛ぶぞと羽を大きく広げて見せたりて、シナモンは何でも見る物は興味を持ち飛んで行き車イスの背丈より高い人が訪れると飛んで来て止まるのである。シナモンには人それぞれを見分ける力があるのだろうか。相手の迷惑なんてかえりみず飛んで行き肩に止り驚かせている。

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電動車イスが被害

シナモンの存在は我が家に子供が誕生したようなものである。しかし、シナモンの興味津々の悪戯をどのように回避するかは知恵くらべのような日々でもあるd0019913_3581960.jpg

これまでに最大の悪戯は私の大切な電動車イスの先端の操作盤のライトやウィンカーなど、ふといねむりをしている間にシナモンは喜々として丈夫な嘴で「ほじくり返して」しまったのであった。気づいた時には更に悪戯をする構えであったが、叱ることも出来ずに私の油断が招いた結果である。d0019913_442961.jpg

気に入っている麦わら帽子を穴だらけにしたり、観葉植物の根元をパチリパチリと千切ってしまったりと、更に困惑したのは大切なパソコンの上を止まり木にして遊んでいることであった。考えたあげくにノラ猫防止用の尖った芝生のような荒い物を切って断絶用のテープで取り付けて後ろ側は100円ショップにある穴開き滑り止めて様子を見ているが、シナモンンの遊びは限りなく続いている。結論としては飼い主の好きなことにはみんな遊びだと思っていると考えているようである。

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オムツをして・・・

訪れる友人がシナモンの細かい世話をして貰えてとても感謝している。その彼女が「シナちゃんにオムツをして・・・」と何度となく訴えている。小鳥にオムツとは考えていなかったが現実に小鳥にオムツをする方法はないと思うのだが、私の肩や身の回りがシナモンのフンだらけで平気でいる神経が許せないらしい。d0019913_419428.jpg家に居る時は肩掛けヤエプロンをして下さいと言われるが、気持ちはよく判るのであるが、出来るだけ回避したいと願っているが、それでもシナモンは我が心のすべてなのである。d0019913_42079.jpg

最も高い窓辺で一人遊びをしているときも、「シナモンおいで」と呼ぶと飛んで来てはインコ独特の癒せる動きでヨチヨチと動き周り、いつの間にか疲れて肩に止ったままで首を羽の中に埋めて共に眠ってしまい、ふと目覚めた折にシナモンは探すまでもなく顔を羽に埋めて寝ている姿を見る度に私はシナモンに支えられていると感じてこの穏やかな日々が少しでも長く過ごせるように努力をし願っている。

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 オカメインコの寿命をしっていますか?寿命は20年ですとも言われていますが、平均寿命は18年です。大切に育てると末永いパートナーとなります。

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by rakudazou | 2016-09-02 03:25 | 《エッセイ》中村陽子

今の時代に思う・・・

私の昭和6417日は?

d0019913_14460132.jpgあの頃は、知らない町に住むようになってから日が浅く不安と緊張でいっぱいの昭和64年の新年が始まっていた。最近、横山秀夫の最高傑作の映画化、64-ロクヨンを観て、あの日々の頃がいやに古びた映像に観えて遠い年月を感じられた。

長い昭和の歴史から新しい平成が始まり、私は人生最後の力走をしていた。まだ、両腕にも力があり自動車は自らの大切な足であった。日常は利便さからすべてが普通の生活に逆戻り、シンプルな生活の大切さを発見、自らの新な生活と障碍者等の社会参加への意味を奔走の最後の機会ともなった。

引っ越しで住民登録をしたのは2度目、私か最初に運転免許を取得し、世田谷区で初めての自動車登録は品川ナンバーでその後、新宿区での練馬ナンバーから再び、都内の城南地域になり、その後は品川ナンバーである。そして、28年前には自立生活に古墳沸騰した。64-ロクヨンを観て思い出されたのである。

師走の忙しい界隈の中で新生活のスタートした昭和6312月の実感は短く間もなく64年の新年を迎えていた。まだ、門松の取れない17日の午後、今、思い出すと目の前の国道15号線沿いの当時の近鉄ホテルのレストランに居た時の風景を思い出すのであった。目の前の花々の赤い花だけをボーイさんが除いている風景を見て、アッ、何か、社会が代わったのだ・・・と直感したのである。

そして、間もなくニュースで昭和天皇の崩御を知った。昭和という63年間が終わり新しい時代が訪れると身近に感じた。この時代は最後のバブル崩壊の前の勢いがあったように感じた。そして、昭和天皇の具合が悪い事実は国民に知らされていた。自動車で近くを通る高松宮邸の正面門の前には何時観ても黒塗りの自動車がエンジンを掛けたまま待機していた

 あれから28年が過ぎ去り、今年も後半の時が過ぎて、多くの思い出と、年を経て多くの物を認識して来て今、映画「64-ロクヨン」を観て、あの頃の私自身を思い返した。あの当時はまだ、何とか身体の頑張る余禄があり、とても不自由な生活をひとつずつ解決をしながら一生懸命に日々の生活の忙しさに追われて過ぎ去ってしまった。

 直前に迫っているリオのオリンピックは安全なのだろうか?ダッカでの狙撃事件が生々し過ぎて、余りにも無残な事件が多すぎて忘れ去ることが恐ろしいと思う。d0019913_14504951.jpg18歳からの選挙権で何か若者たちへ新しい日本が変化するのでしょうか?今回の参議員選挙、東京都知事選と続いての有様に、選挙は「出たい人より出したい人を」の意味が本当にどれだけの人々が真剣に考えているのであろうか?私の身近な若者たちはこのままでは都税を払いたくないと不信をいだいている。これまでの2度に続く都知事の金銭に関する余りにも不透明さを追求されないままで辞任し都知事選となり、また、思惑ぞろいの候補者に都民の大切な税金が使われるのかと思うと嘆く思いでいっぱいである。この先の2020年のtokyoオリンピック・パラリンピック大会への都財政に大きな都民への負担が及ぶならば、誰しもオリンピックなどやらなくとも良いとも言い出している現実もある。ギリシャ、リオで見られるように国が破たんするような財政難の現実にこれからの世界の国々でお金の掛かりすぎるオリンピックの引き受ける国がなくなるように思う。

 d0019913_14521079.jpgそもそも、パラリンピックは1964年の東京オリンピックの折りに最初に始められた経緯があるが、いくらオリンピック後の開催とは言え、パラリンピックへ参加する多くの有能な障碍者が一同にスポーツの祭典のためにどれだけの更に大きな財政が必要であるのか?みんな知っているのだろうか?今後の経済不況、子育て支援、若者たちへの進路への救済、1964代の高度成長の礎になった多くの高齢者難民を目隠しをしたままで、政治が先に動くことは島国では危ない、日本の国民が希望することではないと思う。21世紀のアジア諸国のリダーシップの出来る見本になれるよきあこがれの日本に唯、なってほしいと考えるのである。


by rakudazou | 2016-07-11 04:11 | 《エッセイ》中村陽子

延命の本音が恥ずかしい

延命の本音が恥ずかしい!! 

 d0019913_05291995.jpg今回の舛添都知事には多くの疑惑が都議会の集中審議に対してすべて納得のいく答えは無く、日本人として都民として恥ずかしい限りである。こんなことになる前に事務方や側近は何も言えなかったのだろうか?都知事とはそんなに権力者で非常識で暴君になれるものなのだろうか? 前回の都知事も金銭を受け取った疑惑が実現ものになり百条委員会が決まり辞任したが、舛添知事はそれより増して、給与全額カットしてまでも居座る本音が来たるリオデジャネイロオリンピック・パラリンピックに東京の顔として出たい!!という本音こそ、東京都として大切な審議は何も出来ないままでこの人の人格が現れてこの舛添氏を推薦した自民党、公明党も苦しいとは思うが、このまま参議院選に突入されたほうが国民の信任は得られないで有ろう。毎日と報道されて、日増しに厳しくなるあの顔は観たくもない。「政治家の審議」と何度も繰り返しているが、既に猶予はなく辞任しかないであろう。本当に辞辞してほしいものである。これ程に金銭に汚い知事を選ばれて本当に恥ずかしい限りで情けない。


by rakudazou | 2016-06-14 07:15 | 《エッセイ》中村陽子

甘ったれのインコ・シナモンとの1ケ月

 d0019913_19381984.jpg甘ったれで暴れん坊?なオカメインコのシナモンが訪れて早いもので1ケ月が経過しました。どこかホッとした気持ちです。シナモンが訪れて守って上げる存在が出来て、生活も一変し笑みが自然にこぼれ、私なりの穏やかな日々を取り戻し1日がとても早くに過ぎるようになりました。d0019913_16212861.jpgこのような充実した生活がこの先、どこまで続けられるのか?ふと自らの健康に対して不安を感じながらも日々の変化を大切に生きています「あなたに会えて本当によかった!!」とシナモンから生きる意欲とふたたび愛情の注げる対象が出来てとても幸せです。

 d0019913_16214908.jpgこれで身体の痛みが少しでも良い方向になるとどんなによいかと思いますが、あれもこれもと欲張ることは切りがありません。身体のあらゆる変化は既に確かな老化現象に入っている現実の中では少しでも長く現状維持が保たれるような努力は最期まで続けなければならないと考えています。d0019913_15583110.jpg昔、ある整形外科医が「痛みがあることは生きている証拠!!」と言われたことがありますが、確かに痛みを感じることは生きている事でしょう。

 シナモンは最近では一人遊びも結構と自由に出来るようになりました。食欲もとても旺盛で私が何か食べていると必ず何処からか飛んで来て「ちょうだい、ちょうだい!!」と、口元からくちばしで同じ物を食べようと構えてゆっくりと食べることが出来ませんので、そんな時にはゲージに入れてしまいます。首を傾げては目標に向かって飛んで行ったはずなのにびっくりするような場所に落ちそうになって止まっている時だけは「たすけてよッ」と大きな声で鳴き助けを求めています。d0019913_16220507.jpg
 何でも自分のオモチャとして遊びを見つけてしまいます。磁石付きのぬいぐるみや小さな鈴に糸を付けて上げると大変に気に入りゲージの上でくちばしで摘まんだり運んだり落としたりと遊んでいます。羽を何度か切りましたが、それでも直ぐに飛ぶようになります。飛んでも行き一人遊びに飽きると私の頭上に必ず着地して来ます。d0019913_18413054.jpgd0019913_13035928.jpg
 朝、一番に私のお世話係からシナモンは水を新しくしてもらいます。餌は夕方に新しくして寝る前までにお腹いっぱいになるように取り換えています。もう、さし餌は訪れて10日間ほどで小松菜も好きになりました。もう少しで大人の餌に出来ることでしょう。
 自分の領域内でも環境も人々に対しても「怖さ」を全く知らない可愛いシナモンは周囲で、危険なことから守ってあげないと思う気持ちでいっぱいです。いろいろと観察をしていますが、生後
2ケ月を過ぎばかりのシナモンは性別はまだ、判りません。今は大切な成長期ですのでシナモンとよく遊ぶことや危険な事などは教えることも必要な過程だと思っています。d0019913_13035928.jpg

口を大きく開けては何か、言いたそうな振りをしたり、突然と大きな声でさえずっています。ある日、突然に言葉としておしやべりをしたらいいのに・・・とは、期待はしています。けれど可愛い手乗りインコとしての愛鳥で充分だと思っています。d0019913_19383734.jpg
 私の肩や胸元でグチュグチュとつぶやき、シナモンの頭やホッペ、背中を優しく撫でると目を細めてとても満足そうな表情をして、私がつい寝てしまうとシナモンもじっと側で眠っています。ときどき、大きな声でピイピィと鳴き、一人遊びをしたい時にはひと声「いやだよ」と鳴き叫びます。

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 誰が訪れても肩や手に乗りみんなに愛嬌を振りまいて愛されているシナモンはいつの時もマイペースです。

 d0019913_19371188.jpg51日は日曜日で香りのあるランの鉢植え持ち年老いた母が訪れて来ました。シナモンを見るなり「あら、話し相手が出来てよかったね」とニコニコとしてシナモンに話しかけるように言いました。そう、私はこの、94歳になる母より先には逝くことは親不孝になる事なので、頑張らなければならない目標があるのです。シナモンはその後、このランの花びらの上に着地して花びらを美味しそうにつまんで食べてしまい、私の飼う動物はみんなどうして花を食べることが好きなのでしょうか?

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d0019913_18315770.jpgシナモンにはこれからの未来が沢山あります。私には今、出来る自由を求めて楽しむ時間はあります。散歩の折り、冬場にはホットワィンを紙コップで買い求めて飲みながら帰ったことがありました。多分、その時々の気候によると思っていますが、最近では通りすがりのワィン酒場でワンコィンの赤ワィンを紙コップに買い求めて電動車イスで酔っ払い運転で帰ることは違反になるのかはどうかは確かめていません。しかし、此のくらいではほろ酔い気分だけですが、運転には充分に気を付けています。d0019913_18314440.jpgコップが空になる頃には焼き鳥屋さんの側を通り、ヤキトリを2本求めてはコップに入れてもらい、目の前の公園で食べてから帰る事を今になって覚えてしまったようです。


by rakudazou | 2016-05-25 18:34 | 《エッセイ》中村陽子

 桜が散り春風が気持ちよい季節になったd0019913_19433894.jpg424日の日曜日は私にとって記念すべき日となりました。d0019913_19413514.jpg少し肌寒い気候でしたが、久し振りの車の外出でした。羽田から首都高速に乗り横浜新道を下車して原宿の交差点を左折すると40㌔ほどの距離で閑静な緑の中に小さな小鳥屋さんに到着しました


 友人の女性と共に車から降りると横浜市戸塚区の可愛らしいリトルフェアリーの小鳥たちの家は平屋作りで、辺りは自然の緑にあふれてウグイスの声が聞こえリスやハクビシンなども姿を見せるそうです。花々がいっせいに咲いて周辺を囲む竹やぶがあり木々の間には山フジも咲いています。小鳥たちが育つには何よりの環境です。d0019913_2061926.jpgオーナーの飼鳥のオカメインコのマイちゃんは自然の大空を散歩することが大好きな、緑の木々に囲まれた自然のいっぱいのところでした。

 小鳥専門店リトルフェアリーのことは昨年末にネットで知り、インコ類を求めるならこのような専門店にしたいと思って、〈暖かくなったら、小鳥を飼いたいと希望を持っています〉と、Mailを出しました。d0019913_209429.jpgしかし、3月に手術をしたり肺炎になったり気持ちが沈んでいました。年齢のことや身体の進行具合なども考えると、もう、小鳥を飼う自信が持てなく到底無理だと考えていました。d0019913_2011527.jpgとは言え、心はとても寂しく過ごし私はペットロスに落ち込んでいました。


 しかし、いつまでも悩んでいても始まらないと、これまで懸命に生きて来た現実があるなら最後まで悔いの残らない素直な気持ちで生き抜きたい
!!と思いました。その気持ちをより後押ししてくれたのは周囲の理解と身近で世話になっている人々や同行の女性が〈飼えなくなった時には引き取りますから、小鳥を飼いましょう〉と励ましてくれたことで、私の希望と生る勇気が蘇りました。

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 417日の日曜日、目の前で突然に電話が鳴り、オーナーの方からで「いろいろな元気な雛鳥がいますので待っていますよ」と、私が車イスであることを分かりながら親切な電話を受けて出掛ける決心が出来ました。 
http://ameblo.jp/little-fairy-kotori 

当日、リトルフェアリーの玄関の入り口まで親切にいろんな個体のインコ類をゲージのまま持って来て見せていただき説明もしてもらいました。d0019913_2019137.jpg色鮮やかな小鳥たち、私が飼った経験のある小鳥を見せてもらいこんなにやさしい贅沢な選択はこれまでにありませんでした。d0019913_2017878.jpg

 あれこれと想像をふくらまして訪れて、いくつかの小鳥たちを見て〈この子だ!!〉と目に止まったオカメインコのその雛はシナモンと言う種類で、つぶらな黒目で全体はグレーでくちばしから先は少し黄色く、頭の冠はグレーで特徴のあるほっぺは丸いほのかな朱色で羽の外側には白と長い尾の外側には黄色い尾羽が見えて地味にも見えていました。何故か、とても愛らしく初めから心をとらえていました。d0019913_2015548.jpg出来れば雄の雛を希望していましたが、性別は6ケ月経過しないと分からないとの事でした。そして、思案していた名前もそのままシナモンと決めて我が家の小鳥となりました。d0019913_16521056.jpg


 シナモンを迎えてから今日までの短い間で、成長する過程はシナモンを中心の日々となり私の心も穏やかになりました。シナモンは日増しに毛並も変化し個体もしっかりして個性もハッキリとしてきました。訪れて数日で高く飛ぶようにもなりました。最初の半月ほどはお腹を空かすと雛特有の鳴き声で餌を与えるまで耳元でジィジィと鳴き叫び自己主張して、さし餌ですごい勢いて食べてはくちばしの周りから胸元まで餌だらけにして、食後はティシュできれいにしています。d0019913_1655025.jpg腹時計が訪れる度にまた、鳴き出し自分で食べられるようになってもさし餌がほしいとシナモンはねだり甘えています。次第に足元には大人になるための過程の蒔き撒き餌や小松菜を食べられるようになり欲しがるとさし餌と交互に与えています。もう、すでに餌箱からもしつかりと食べられるようになり、水も胸元を濡らしながら飲むようにもなりました。一人前の小鳥になったか?ように(シナちゃーん)と呼ぶとゲージの入り口にピョーンと来ては胸元に指先を差し出すと上手に手に乗って来るようになりました。d0019913_16562139.jpgシナモンは頭や顔の周り背中などを優しく撫でると目を細めて小さな声で呟いているうちに安心したように寝てしまいます。お腹が空いた?とか、少しでも私が姿を見せないと大きな声で騒ぎ性格がハッキリしいるようです。訪れる人々にも〈シナちゃん〉と呼ばれるたびに元気で〈ピィ〉と応えています。よく遊んでいるので気を許すとすでに私の麦わら帽子に穴を空けられてしまいました。シナモンは性別はどちらでも構わないと思っています。d0019913_16582014.jpg


 オカメインコをさし餌から育てるのは初めての経験で毎日ドキドキとした気持ちでシナモンの成長を楽しみにしています。出かける時でもシナモンが待っていると思うと早くに帰るようになりました。雛の餌から成鳥の餌に切り替え時期を無事に過ごしシナモンが成鳥になってくれるように見守っています。シナモンが元気で過ごすことは1日1日が現状維持して過ごせる証で、そんな心穏やかな日々をとても感謝しています。私が継続出来るあらゆる努力はシナモンと1日でも長く生活したいと思う願いそのものでいます。

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by rakudazou | 2016-05-05 07:23 | 《エッセイ》中村陽子

花追い便り

d0019913_1856291.jpg入院中の私の元に3月28日付で葛飾区水元の丹治さんから春の花便りと猫のハナ太郎の春の訪れのメッセージと共に近況写真が同封されて届いた。すべて花と戯れてとても嬉しそうな愛してやまないハナ太郎の様子の写真で心も身体も疲れている私には何よりの薬で有り尖っていた神経を救ってくれた。d0019913_1858379.jpg

最近気付いたことであるが、ある時、TVの映像で動物の赤ちゃん特集を見ていてそれらの中にクロヒョウの甘えん坊の赤ちゃんの姿を発見した時にアッ、ハナ太郎はクロショウの子供にソックリと思った。顔の輪郭だけではなく鼻先の渇いたところや高い場所ばかり昇りたがる性格とか、同じ猫科の動物の野性本能がきっとハナ太郎には備わっているのかもしれないとあらためて思った。

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 d0019913_191554.jpg白木蓮が咲きミモザも咲きそして、それらの花が散る頃には毎年、大田区の大森駅~蒲田駅に通じる東邦医大通りに植樹して10年未満の若木の陽光と名の桜並木が色鮮やかなピンク一色に染まるのである。ソメイヨシノよりひと足早く満開になると人の目を楽しませてくれるのである。d0019913_19233083.jpgしかし、ソメイヨシノの淡いピンクが自然と人の目にはやさしく心を癒してくれるのである。今年の私の春の色鮮やかな花々に囲まれて心楽しませてもらい幸せな思い出となった。三寒四温、春は早、ハナミヅキやマンサクの花が可憐に咲きだしている。

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 d0019913_19271040.jpg都内の桜が一斉に満開となった日の3月31日に退院をした。港区辺りは東京タワーや芝公園一帯ではお花見の人々でにぎわい、私はやっと解放された気分であった。帰りの車窓から垣間見える風景にもすっかり満開となった桜の花々が眩しく映り2年ぶりの感動である。この季節の出会えたことに心から生きていること感謝したい。

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 d0019913_19324088.jpg翌日、4月1日、久々に痛みの無い朝が訪れて、友人と共に春寒の日和であったが、近場の馬込の文士村に近い古木の桜並木に出掛けてお花見を満喫した。桜の樹の下で花を愛でながら真っ先に持参のお弁当を開き、それでも屋台の匂いに誘われて相変わらず花より団子である。d0019913_193433100.jpgしかし、イルミネーションの電線が見え隠れしたり、提灯があったり、普段は静かな住宅街まで屋台が出たりしていると側に住む住民の平穏な日々が妨げられるのではないかと疑問に感じられた。
 何度も入院している反動なのか?どこかに今年限り桜かもしれないと?想いも重なり、池上本門寺など周辺の桜を散策したり、人の混雑をのぞけば目黒区内の花の盛りの目黒川沿いの桜はとても懐かしく、昔、行きつけの店先を覗いたり、目黒川の両岸から桜の枝が触れ合う様は美しく心騒ぐ想いであった。風か吹くたびに川面には花びらが流れていく。

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 d0019913_19383210.jpg最近のニュースによると2020年の東京オリンピックの工事のために世田谷の馬事公苑のあの閑静な美しい桜の樹々が今年限りで観られなくなるそうである。あの辺の世田谷道り沿いは世田谷区役所にも通じて、馬事公苑の周辺は私が最初に自動車を運転していた頃によく走った思い出がいっぱいある。工事が完成した後は、果たして、伐採されずにどれだけの桜の樹が見られるのだろうか?
 巨額な資金を使いオリンピックの名のもとに葬られる弱き者たちや古き物が壊されて行く中で、現代の若者にどれだけの夢が残せるのか?この高齢化社会で時代をつなぐ若者は真面目に生きて行くだけで精一杯の現状ではないか?思うのである。d0019913_19442178.jpg
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by rakudazou | 2016-04-11 06:30 | 《エッセイ》中村陽子

ママたちの力 
「人生とは物語のようなものだ。いかに長く生きるかではなく、いかによく生きたのかが問題である。」d0019913_1915647.jpgとある哲学者が残した言葉である。今の私の人生には「長く生きて来たことも、よく生きて来たことも」超越した生き抜くための目的や希望が見えて来るような努力が必要であると思う。一億総活躍社会を提言する中で保育園に落ちたママたちの現実のブログの叫びは大きなうねりとなり、国会へと嘆願されている。創世記の障碍者運動の確かさのような感触を私は勝手に感じている。何でも平均値で決められる不確かな対象の3万円の一時支援金よりはるかに優先される問題であると思う。保育師が足りない?福祉離職者を出さない?足元の現実を無視して作られる法案ばかりに政治家の非常識に怒りを感じているのだ。

 「決して俯いてはいけない、頭はいつも上げていなさい。その目でしつかりとまっすぐに世界を見るのです。」これはヘレン・ケラーの名言であるが、誰しもの自らの勇気に対して贈りたいと思う。

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ママたちがんばれ!!


by rakudazou | 2016-03-10 07:04 | 《エッセイ》中村陽子
ハナ太郎のセカンドライフ・その2
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ハナ太郎は私にとって忘れられない存在ですが、時折、花便りと共に元気に過ごしているハナ太郎の写真が送られて来るのが楽しみのひとつになり、ハナ太郎の幸せは私の幸せで有り丹治夫妻にはいつも感謝しています。ハナ太郎は黒猫ですが、なかなかと写真を撮っても目元が何処にあるのか?ハッキリと判らずよい写真は撮れないと話すのですが、ペットの写真は思うような写真はなかなかと誰でも撮れないものです。
 今年の節分にはハナ太郎も歳の数だけ豆を食べたそうです。今年の9月13日が訪れると7歳の誕生日を迎えます。専門家の話によると猫は生まれて半年で成猫に成長して最初の2年間で人間の25歳の年齢と同等になるそうです。d0019913_18125030.jpg動物の命は短いからこそ可愛いがりましょう言われていますが、猫の7歳は人で例えるならハナ太郎は今年44歳、猫の社会では早いものでシニア時期に入りこの時期から高齢用のエサに代えていくようです。
猫ちゃんは人間の4倍の早さで歳を取る!!
d0019913_2093793.jpg 猫ちゃんは生後1年で人間の15歳くらいに相当し、骨格がほぼ完成し成長が止まります。生後2年では24歳、それからは1年ごとに人間の4倍のスピードで歳を取っていきます。猫ちゃんの10歳は人間の56歳くらいですので、人間と比較してあっという間に年をとってしまいます。一般的には、7歳頃から老化がはじまる猫ちゃんもいれば、10歳になってもなかなか老化の兆しが見えない猫ちゃんもいるとされています。これは個体差もありますが、生活環境や食事内容の違いも影響しているといわれています。
猫の年齢の換算法

3ケ月:5歳  6ケ月:9歳  1年:18歳  2年:24歳  3年:28歳  4年:32歳 5年:36歳
6年:40歳 7年:44歳 8年:48歳 9年:52歳 10年:56歳 11年:60歳 12年:64歳 13年:68歳  14年:72歳 15年:76歳 16年:80歳
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 現実には人間の年齢に例えた猫の年齢を換算する方法は科学的研究方法はまだ無いよう です。人間の1年が猫の7年だと言われますが1歳の猫は7歳よりも遥かに成熟していると言われています 。専門家は、猫の命の最初の2年が人間の25年とほぼ同じと言われています。
 すると、ハナ太郎は今年で7歳の猫になり人間の年では44歳になる訳です。アッと言う間でしたが、猫の世界ではシニアに入り高齢猫用のカリカリご飯や缶詰に次第に代えていくことになるのでしょう。
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お花の大好きなハナ太郎のためにいろんなきれいな花々を買い求めて来ては、ハナ太郎はいつも自由に食べたり遊んだり悦に入る時は至極のひとときなのです。すっかり丹治家の猫として飼い主に愛されて過ごしています。胸元やお腹の周辺にまた、異なる色の長毛の柔らかな毛先が毛玉となって春が訪れると、増々と毛玉も大きくなって伸びて来ていると切らなければなりません。お母さんの話によると、ハナ太郎はこの頃は時々、抱っこされることも許してくれるようになり、抱っこはお父さんのほうが優しく撫でてくれるのでハナ太郎はどちらかと言うとお父さんが好きだと言うことです。人が訪れると真っ先に玄関に飛んで行くそうで相変わらず俊敏な動きのするハナ太郎です。やさしい両親の愛情に包まれて少しでもゆっくりと年を重ねてくださいね。


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by rakudazou | 2016-03-06 18:21 | 《エッセイ》中村陽子

人権問題への理解を深めよう!!

 障害者差別解消法が新年度から施行される。障害者権利差別法は、障害者権利条約の締結に先立って平成25年6月に制定され、約3年の準備期間を経て4月から施行されます。この法律は障がいの有無に関わらず、誰もが互いの個性と人格を尊重し合いながら共に生きる社会の実現に目指す法律です。

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誰もが有する社会参加の権利

障がいの皆無に関わらず社会参加を不当に阻害されないように人が生まれ育った権利である。たとえば、車イスを使用している人が段差のある建物や公共性の高い店などに入れなかったら、どうでしょう。こうした身近な問題を解消することが社会参加につながるのです。

不当な差別取り扱いと合理的配慮

この法律は、差別解消のため行政機関と事業者に対して、障がいを理由として不当な取り扱いをしないこと、合理的配慮をすることを求めています。

不当な差別的取り扱いとは、正当な理由なくサービスの提供を拒否したり、条件、制限をしたりすることです。これには障がいがあるという理由だけでアパートを貸さない、スポーツクラブに入会させない、などが考えられます。

また、合理的配慮とは、意思の表明があったとき過度な負担にならない範囲で、障がいのある人の暮らしの障壁となっているものを取り除くことです。たとえば、車イスを使用している人などのために補助的なスロープを用意する、聴覚障がいのある人と筆話や手話でコミュニケーションを取ることなど考えられるでしょう。

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差別解消のために

この法律に基づき、私たち障がいのある当事者はどのような対処をしたらよいのか、私は身近な地域に暮らして26年目になります。今まで入れた蕎麦屋さんが新しい店に立て直されたときに車イスでは入れない入口に造られて何故か障壁を感じたり、街のレストランの入り口にはいろんな物が置いてありいつも入る勇気が必要であったり、行きたい和食の処の店には段差があり、店主に「出来ればスロープになる板を用意してくれたら嬉しい」旨を伝えたこともあったが、その後も変化はなく何故か拒否された気持ちになったような経験は多くあります。

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 視力障がいのある人がタクシーを止めようと車道に身体を乗り出している現場に出会ったとき、見ていて見ぬ振りしている人の視線の冷たさを何度も感じたことがあります。

 公共の駅舎に通じるエレベータの利用の仕方、高速道路のサービスエリア内の駐車スペースの利用順位など、使い方の基本的マナーが守られていません。自転車が音楽を聴きながらイヤーホンを耳にして、猛スピードで歩道を走ったり、歩行者がスマートホンを見ながら歩いて来ますので危険がいっぱいです。国民の意識の問題だと思いますが、東京オリンピックまでには解消するためには、欧米のように罰則金を大きくするより他にはないでしょう。この法律が施行されるようになり、当事者の暮らしが直ぐに影響されることはないでしょう。しかし、啓蒙運動にはそれぞれの当事者の心構えも強く必要であると考えています。

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by rakudazou | 2016-03-06 03:53 | 《エッセイ》中村陽子
それは突然に変わった
 d0019913_17311325.jpgお風呂はいつも私の健康のバロメーターでした。2014年7月、これまで日常の日課として続けていたシャワー浴(2007年~2014年)から私は突然に訪問入浴サービスに変わった。いずれ、訪問入浴サービスを受けると覚悟はしていたが、その時は突然に心臓によくないと医師から告げられて訪れた。入りたい時に入浴出来ることは私にとって幸せそのものであった。d0019913_17324157.jpgしかし、自らの意志と自力でいつまでも入浴が出来なくなる時が訪れると言え恐れは感じていた。いつの時も旅を共にしている時も、入浴が出来ることは当たり前と思っている健康な人々は目前で遠慮会釈もなく風呂に入れる現実が羨ましく感じたことが幾度とく出会ったことがあった。相手の気持ちを思い遣る心がないその行動には、その度に悲しい気持ちに落ち込んでいた。




お風呂に通って
d0019913_17341672.jpg 最初から充分な準備のないままに飛び込んだ世界であり、入浴をどうするかなどは考えてもいなかった。現実には難しいことばかりが予想された。1967年(昭和42年)10月~1969年(昭和44年)4月、23歳の私は初めて自活することになった。最初に引っ越した先は世田谷・環状8号線沿いの東名高速へと続く瀬田に住み上野毛まで仕事に通うことになった。勿論、6畳1間にキッチンとトイレ付きではあったが銭湯に通わなければならなかった。車イスで通う銭湯は決して楽ではなく勇気のいることであった。風呂屋の入り口は何とかクリアして、人の履いていた靴やサンダルを踏まないようにして車イスから降ると、ようやく番台へ到着して風呂代を払い湯船に着くまでの過程<
持参した雑巾で床を拭きながら入らないと私が汚れて雑巾になってしまった。
d0019913_17352089.jpg しばらくして八百屋である大家宅のお風呂を借りられるようになり銭湯よりははるかに衛生的でよかった。その好意には感謝し切れない温かさが身に沁みた。後に、仕事の合間に自動車を運転して地域行政の入浴の出来る施設に通える事になった。次第に本来の入浴が出来るようになって、これまでの人生で何度となく移り住む地域での葛藤はあった。住んでいる事を認知される存在になると周辺の人々の善意には感謝の気持ちでいつもいっぱいであった。
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 d0019913_1737239.jpg1970年(昭和45年)5月に結婚後、早稲田に3年半、その後、新宿戸山に住みその17年間は私とっての入浴は体調も良好でようやくと心落ち着けて入浴の出来る日々が訪れた。入浴は温かく身体の緊張感が解き放たれる一瞬の至福のひとときであった。1日の中でそれは一時的でもその幸せを感じて再び明日も頑張る意欲が生まれた。しかし、昭和の終わり1987年(昭和62年)12月、23年間住み慣れた新宿を後にして第2の人生を私は探求しなければ精神が維持する事が出来なくなってしまった。

安住の地??
d0019913_1739219.jpgそれにしても大きな引っ越しだけでも5回はした事になる。現在の地は通勤拠点の範囲であると選んだ唯一、私の意志で移転を決めた。大田区大森は坂も無く駅にも近く庶民的な町で終の住処となるように願っていた。いくつかの運命の赴くままに流れ住んだが、短く住んだ地を含めてすべて思い出の地となり私には故郷に感じる懐かしさだけが残っている。d0019913_1740595.jpg 1990年5月20日(平成2年)港区三田から自から自動車を運転して大森に引っ越してから、いつの間にか25年間が過ぎ去ってしまった。時の流れは過ぎ去ると本当に早いものである。何よりも1日の疲れを癒してくれる毎日の入浴がとてもありがたく安心の持てるひとときであり、出来るだけ楽な人生を歩みたいと思った。実際には入浴を諦めた時点から、目に見えない流れが私の出来る動作はそんなにある訳でもないのにひとつずつ諦め受け入れなければならない現実が有った。
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by rakudazou | 2016-02-08 17:24 | 《エッセイ》中村陽子