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by rakudazou

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 自らの体験から生まれる技術
亀 田: あんまり暇でしょうがないので、車の手動装置が自分で乗るには重たくて仕方がな
     いので、カローラやホンダにも乗ってみましたが、従来の手動式装置としては自分の
     満足のいくものがなかったので、自分の買ったカローラを改良しているうちに、現在の
     システムが出来てしまいました。
聞き手: それは自分用に作ったのですか?
亀 田: そうです。初めは全然商売ではありませんよ。
聞き手: 自分で乗りたいということですよね。
亀 田: 関東労災病院で70人くらい一緒に入院していた仲間が全国に散ったんです。
     それで1ケ月に1度来る人もあれば、半年に1度、病院に来るわけです。私の家は北
     海道や九州から来る人に比べればずっと近いわけですね。みんなうちに遊びに来る
     んですよ。それで私が修理をやっているものですから、改造作ったんだとか、こんど
     いつ行けるからとか、みんなすごく車に興味を持ち、乗せてとか、自分で乗りたいと
     か乗りたい一心で。
聞き手: みんな乗りたい、乗りたいとなってしまって・・・
亀 田: 運転が出来なくなってしまったわけですから、中古でも良いから探してくれといわれ
     ましたね
聞き手: それでまた、新しい車を改造始めたのですか。
亀 田: 友達が泊りがけで来るようになりました。一晩中飲み明かして、手動装置の車がな
     いから。私の車を帰りにそのまま乗って行ってしまうのですよ。
     しょうがないから私はまた、他の車を買って来て、また、改良して、自分の足に乗って
     いるうちに、月に15台から20台出たのですよ。関東周辺全部回って、新車が買えな
     いから中古車ばかりを探して来て、中にはただで持っていってしまう人もいましたね。
     昔は車を買うとき、ちゃんと登録と認可を取らないから、手動装置を外すの、車検の
     時も外すのと、もう、見ていますから車検の時に引っかかっちゃう。今のように、古荘
     さんみたいに初めから条件付で、手動装置を付けてから、登録すると、その後は楽
     なのですけど、昔は大変でした。
聞き手: 仕事としてメンテナンスも大変でしたか。
亀 田: それで陸運局に相談して、しょうがなくて今度は認可を取ることに専念した訳です。
     図面やいろんなサンプルを見せてもらって勉強をして強度計算が出来て図面が揃え
     て5回ですよ。
中 村: 大変でしたね。
亀 田: 「この辺がなっていない」とか、「これでは分からない」とか、私もしつこいものです
     から、「教えてください」「そんなに時間はない」とか言ってね。「仕様がないなぁ、
     誰々のところへ行け!」と紹介して、手書きで図面を持って行き、重ねているうちに、
     いろ んな方法もあり売れるかもしれないと分かって、認可を取れることになりまし
     た。        
   
同士の連携
亀 田: その頃から、友達が「これは商売になるよ。作った方がいいよ」と言われて、「俺が宣
      伝してあげる」って、口コミで全国の障碍を持つ人にPRしてもらって、そういえば全
      国 に友達がいるんだなぁと思いながら・・・     
聞き手:それはラッキーでしたね。
亀 田: うーんラッキーでした。電話をしたらもう、実際に買ってくれる人が 現れたのですよ。
     いろんなメーカーの物を改造しました。
聞き手: 何年前のことですか?
亀 田: 昭和48年の時に第1号の認可を取ったのです。もう、大体30年以上になりますね。
     それからカタログを作って友達に配り、車ごと売るということを前提にして、うちの装置
     なんか信用性がないわけですからね。リハビリテーション病院に行くと先輩ばかりが
     いて、私が宣伝に行くと「お前の作ったのなんか危なくて乗れるか!」なんていわれ
     まして、悪いのばっかりいまして、ですから、先輩たちの障碍の世界があれちゃ
     たわけです。先輩後輩にいじめられたというよりは仕込まれたのですよ。      
聞き手: 共同生活をしていたのですね。
亀 田: そう、みんな同じ釜の飯を食べた仲間ですから応援してくれまして、しばらくは買って
     くれなかったけど、元々、修理屋でしたからね。私の方が早いものだから中古車を買
     って来ては、改造をしました。   
   
ニッシンのAPドライヴ(手動装置)
聞き手: ネットワークのつながりがよかったのですね。
亀 田: そう、同期で同じ神奈川県とか同じメンバーがいましたからね。
聞き手: この場所で最初に?
亀 田: この工場の場所では始めたのです。ここは新しく出来たのです。昭和57年に独立
     して、最終的にこの工業団地に落ち着きました。うちの場合、どちらかというと障碍者
     団体の応援が大きいですからね。
聞き手: どのようにして手動装置は選べるのですか。
亀 田: ディーラーって自動車販売していますよね。車は買いますが、中村さんが言うように
     手動式は「ニッシンの手動装置を付けてください」と指名する訳です。
中 村: 以前はフジモリ式に近い手動装置を使用していましたが、何故か私はホンダの車両
     ばかり乗っていますので、ホンダの純正の手動装置も使ってほしいと言われまして、
     一旦は取り付けたのですが、走り出しましたらカーブとかハンドルを大きく回す時に
     旋回装置と手動装置がぶつかってしまい、怖い思いをしましたので、その時から
     「ニ ッシン」の手動装置に変えました。      
亀 田: ありがとうございます。
中 村: 結局、亀田さんは全国から来ている関東労災を中心に、国立箱根病院などで紹
     介や口コミで、同じ障碍者がやっているなら応援しよう、使ってみようと増えて来た
     のと思いますが、私たちも車イスなんかも、障碍者が車イスメーカーとして始めると
     最初のうちは、どうせ作るなら同じ仲間の人から作ろうと思います。    
   
手動装置から福祉車両へ
聞き手: じゃ、手動装置の生い立ちや現在の状況など・・・
亀 田: 今、生い立ちもちょっと引っかかりましたよね。現在は今、このカタログでやって
     いるのですが、これからの展開は、電子系統とか車がいろいろと変わってくれ
     ば、それに対した装置を作っていくしかないでしょうね。まぁ、うちにないもので
     本当に重度な 人で車イス用のジョイスティックがあります。ジヨィスィテックは
     左右に ハンドルで前にブレーキ、ア クセルと、本当に重度な人で車イス用の
     車両があります。
聞き手: 近い未来に車が自動で動いてくれるようなことはありますか。
亀 田: 飛行機でも事故が起きるのですからね。それから車を買う人の価値観として、自
      分で操作しないで運転が出来る車なんて出てこないと思います。コンピュターもそれ
      じゃ、タクシーに乗っているのと同じですからね。
      は自分で乗ることに味わいがあり、操作する醍醐味ですよ。
聞き手: アッ、だから自分で道路がある限り自分で運転したい人が出てくる。
亀 田: そうです。玄関まではシステムが引けないですから、ハンドルの無い車もあるよう
     ですけど、面白くも何ともないでしよう。
     全自動でやるならサービス運送屋さんに頼んだほうが簡単だし、自分で車を持つと
     お金も掛かるし、焼却を入れると月に5万は掛かります。その他、燃料費との、駐車
     場は別ですからね。まだ、車を所有することは大変にお金の掛かることなのですね。
聞き手: 車イスのまま乗れるリフト付き車両などはどうなのですか。
亀 田: これは介護車両ですからどこのメーカーでもやっています。
     当社は既製品車は出来 ないからオリジナル、既製品はメーカー任せています。
聞き手: プラス、オプションを取り付けることもありますか。
亀 田: それもやっています。装置の取り付けだけではなく、既製品車をオリジナルやファミリ
     ーカーとか、リフト搭載とか、カタログにいろいろとあると思いますよ。
聞き手: 手動装置の開発に関する制度とか規則とか厳しいテストとかあるのですか。
亀 田: これはね。実際は認可制度があり強度計算を出して、陸運局で認可を得て型式ごと
     に一台ごとのフットでその車が変わってしまいます。型式が変わるとまた取り直さな
     ければならないシステムも同じです。97年の10月から規制緩和によって、無指定と
     変わりメーカーが強度計算をして顧客が納得すれば、これは後付であれば無認可で
     いいんです。変わったでしょう。
聞き手: あぁそうなのですか。その前は厳しかった。
亀 田: 全部認可するためには、陸運局には毎月多くの台数を持っていかなければ間に合
     わない状態になり、同じく97年度に法律改正の施行がありまして、その結果、生産
     物責任法により業者と顧客との間が責任を負いなさい。と言うことです。
by rakudazou | 2003-08-20 11:37 | インタビュー
17年ぶりの再会
 ネコとは旧姓が山根だから、ポンタとは何故かみんなが親しみを込めて呼んでいたニックネームで、二人とも私の仲の良い人生の先輩、中沢昌司・康子夫妻です。 d0019913_1144930.jpgd0019913_1145015.jpg
2003年6月6日、私は栃木県真岡市立病院を前ぶれもなく訪ねました。久しぶりでネコに会いに行ったのです。
2Fの明るい病棟の奥の病室を覗くと、私が見つけるより先に「ヨッチン!」と私を呼ぶ彼女の声が聞こえました。
「お元気…」お互いに歳はとっても、昔のままの笑顔で懐かしい話のやり取りがありました。 以前は毎年のように元気を確かめるように、真岡市内の障害者用に作られている自宅を訪ねていました。
移動サービスを行うようになってから、行かなければと思いながら私の都合により電話で話したりするだけで会う機会を作ることは残念ながら出来ませんでした。気が付いたら17年が過ぎ、過ぎてみるとアッという間の時間でした。この年月は確かな足音で一言では言えない多くの変化がお互いにありました。

施設の中でカップル誕生                   
 時期は異なりますが、同じ国立の施設を経て、ポンタは真岡市内の養護施設で暮らしていました。ネコはその頃、市ヶ谷にあった障害者就労施設に入居していました。ある時、2人に関連している整形外科医で出会った時が運命の始まりでした。ネコにとっては一度も行ったこともない真岡市内での養護施設で車イス同士のカップルが誕生、結婚生活が始まり、あれから30年になろうとしています。
この施設にいる人は当時、重度過ぎて行き場のない人々が殆ど生活していて周囲の視線の中では、2人の結婚は羨望の的でした。彼らにとっては平穏な日々が送れない事情が重なって起こり、園長の機転で新居に引越しをすることになりました。

ひとつの障害者用住宅
 当時、市内に住宅が出来ることになり、真岡市の画期的な計らいで彼らの自立する場として、50所帯ほどある中でバリアフリーの障害者用の1室を提供され、今日に至っています。
ポンタは鎌倉生まれ、ネコは横浜生まれ、もうそこに戻ることは出来ませんが、もっと生まれ育った地域に近い場所で暮らしたいと思いがあったと思います。しかし、そこに縁があり居を構えてしまうと、現実には不可能なことも覚悟していたと思います。 最近の数年の間、彼らに何らかの変化が起きていることは私も内心感じとっていましたが、遠くに居ると警告を発してくれない限り分かりようがありませんでした。
こうあるべきは大変な負担を負う。 夫は妻はこうあるべきという古い習慣は、古いまま残り夫は働きに出て妻は掃除、洗濯、食事を作る、今の世代には通用しないことも黙々と継続している家庭は今でも多くあります。
2人とも最初の頃はお互いに出来る範囲のことは努力して行い、どうしても出来ないことは元気な人が訪れたとき助けてもらっていました。
食事の支度だけはネコが支度して、ようやく立ち上がって作っていました。その後から今日まではどのようにして作っていたかは分かりませんが、来る日も来る日も食事の心配をしていたのだと思います。


遅かれ早かれ訪れる事情
 この何年か2人の様子がおかしい、昨年の暮れ心配して電話をしてネコはようやく重い口を少しばかり開きました。2人とも長い間、車イスから足を同じ姿勢で下ろしていましたので、床や道路に足先をぶつけたりしているうちに、足の傷が絶えなくなり化膿までしているらしいという話です。毎日、痛くて仕方がない「私がいなくなったらどうするの?」と彼女は夫に尋ねると、ポンタは「僕はひとりでも生活が出来る」と同じことの繰り返しをして、足の痛みの中で毎日の食事の支度で、その時もだいぶ精神的にまいっているように感じられました。

文明の力
 今年の5月になり何の連絡もないので、また、心配になって電話をしてみましたが、何度も違う時間帯にかけても誰も出ないのです。確かめる方法もなく真岡市内の病院のホームページを検索しているうちに、ある市議会議委員のホームページを見つけることが出来ました。そして、この方に所在確認の依頼のメールをしました。するとまもなく返事が来て、ネコは入院、ポンタは自宅安静ということが分かり、今の時代はこのようにしても消息が分かることに感謝し、居てもたまらなくなり、本当に最後に会う覚悟で病院に行きました。

もう少し入院が遅れていたら… 
 今はすっかり明るさを取り戻して、笑顔を絶やさないで話してくれましたが、3年前から足がおかしくなったそうです。
入院前には、むくんで足がゾウの足のように太くなり、足先は化膿し汚い話ですが、ハエが飛んで来て卵を産み切開すると蛆虫が出できたという[潰瘍性皮膚炎]の重症であと少しで手遅れになり、足を切断するところだったという話でした。長いこと悩みながら家事をしていてどんなに辛かったでしょう。年齢と共に血の循環も悪くなり我慢することも必要ですが、マヒをしていると思わぬ二重障碍になりかねません。

これからのリハビリ生活
 夫のポンタの足の傷もよくなり、むくみも普通に近く戻っているそうです。秋頃からまた、2人で生活が出来るようになるでしょう。70歳と66歳の2人、今まで充分に苦労してきましたので、介護保険の範囲でヘルパーの手を借りながら、心休まる老後の生活を少しでも快適に出来るように遠くから見守りたいと思います。
by rakudazou | 2003-08-08 11:35 | 《エッセイ》中村陽子