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by rakudazou

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果実の天国
 
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スリランカは果実の王国である。日本で手に入る輸入果物と比べると甘さとコクが格段の違い、どこの通りを走っても道路の脇から彼方までココナッツの木の実が豊かに実り、その間に青いバナナの房が枝に何段も輪になって実っている。街中でも道路に面している露天がどこにでもあり、いつでも買うことが出来る。バナナは枝ごと切ったまま店頭に並び赤い色のバナナもある。他に、パパイヤ、マンゴー、ドリアン、パッションフルーツ、マンゴスチン、ジャックフルーツと言う大きな実や覚え切れないほどの豊かな果物が並んでいる。果物、野菜は庶民の食べ物で婦人から老人まで露天で1日中のんびりと売っている、値段も庶民的である。まず、食べたのがバナナ、青い色をしていてもとても味は甘くてコクがあり、こんな取り立てバナナはめったに食べられない。みんな食べてみたかったが滞在中ではとても食べ切れる種類ではなかった。
 私は分からないことはいろいろと尋ねた。椰子の高いところの実は誰が取るの?答えは椰子の実を取る専門の人がいるということ、バナナの木は実を収穫してはまた植える1年草だということを初めて知った。
 深く茂った大木が多くあり、その大木の間にいろんな果実が実っていて、自然豊かな熱帯の国である。

本場のカレーの味
 初めてスリランカに来てカレーを食べたのは、一緒に旅をした宮脇さんの友人、コロンボ市内にある輸入業をしているヨガさんのお宅を訪問した時、食事に出してくれたのがカレーであった。スリランカ独特のサラサラした長めのご飯、チキンの入ったカレー、魚、豆の調理したもの、いくつかの野菜を調理したもの、みんな別々のお皿に盛られていた。
まず、ご飯をお皿の真ん中に入れて自分の好きなものを並べるように取る。味は違うがすべての物が辛かった。
正式な食べ方は右の親指、人差し指、中指の3本の指の第一関節を使って(右手しか物を食べる時は使かわない。 d0019913_17505493.jpgまず、ご飯をお皿の真ん中に入れて自分の好きなものを並べるように取る。味は違うがすべての物が辛かった。左手は不浄な手として決して使ってはならない。)すくうようにして食べる。よそったものを全部混ぜるようにして3本の指先で形を作り、一口大の形にまとめて器用に食べた後、フィンガーボールで指先を洗う。
宮脇さんは慣れた手つきでからめて食べていた。フォークとスプーンもそれぞれのテーブルにあったので、私は普通の食べ方をした。辛かったが私は辛い物が好きなので美味しかった。日本で食べるカレーのイメージとは違っていた。デザートにはマンゴー、厚肉でコクがありとても甘かった。最後は熱いミルクティー、これがスリランカのフルコースらしい。
話によるとスリランカ人は毎日3食、いろいろの素材を使ったカレーを食べているという、四季がはっきりしてなく木陰は涼しいが毎日30度以上の蒸し暑さがあり、カーッと太陽が昇ると、このような香辛料のある食べ物を食べないと健康が保てないのかもしれない。

カレー&食べ物 
滞在中、ホテルでの朝食はカレーが中心。パンとサラダと選びきれないほどのフルーツが朝食の定番であった。
ランチもカレー、大衆レストランでガイドのスサンタさん、ドライバーのブルパーラさんと一緒に食べた。家族づれの人や一般のお客が多くいて、車イスの私はめずらしがられたようだ。
お勧めの店には、「フライドライス」というドライカレーのような感じのもの、色々と今まで食べたことのない食材や風味のカレーが出て来て、ピリッと辛いが日本人には好まれる味で美味しかった。
 コロンボ市内に住む、宮脇さんやスサンタさんの共通の親日派のアリアさんの新築したお宅を訪問し、ディナーをご馳走になった。それぞれその家庭の独特なカレーやそうめんをスパゲッティのように調理した「ストリングホッパー」という料理が出た。印象に残っているのは、ウーロン茶のような飲める高級な紅茶と、暑いのでのど越しが良いノンアルコールで出来ている泡の出るジンジャービールのあの味が忘れられない。
 スリランカにはアラックというお酒があり、ココナッツの液100%で作った35℃のお酒で、お酒の強い人はストレートでも飲むらしいが、一般的にはソーダー割りで飲むらしい。私はジンジャーエールで割って飲んだ。
 何も分からない私は、皆さんのお陰でこのようにスリランカのいろんな階級のいろんな家庭に招かれて、食事をご馳走になった。みんな暖かく歓迎して、日本に対して憧れや友好の気持ちを持っていることがよく分かった。

象の孤児院
 コロンボを後にして1日かけて紅茶の産地、ヌワラ・エリアに向かい最終目的地はスリランカで第2の都市、キャンディに向かった。昔、キャンディ王国があった古い都市で京都・奈良のようなところである。
ヌワラ・エリア向かって車は道なき道をまるでいろは坂を細くした山道をクネクネと上がりながら走り、いくつもの村や街並みを通り過ぎて、都市を離れた一般の人々の生活の様子が見られて楽しかった。途中、ランチを取るためにケーガツラという町の郊外にピンナウエラ 象の孤児院「panatela elephant orphanage」と称する観光客が食事を取りながら象の見物が出来るレストランに行った。レストランに行く途中、象使いが乗った大きな象が川から下りて来たり上がって来る象に出会った。レストランの中から下を見下ろすと大きな川の両岸の流れにそって象も子象も水浴びをしたり、象使いから身体を洗ってもらったりしていた。
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観光客も殆ど外人が多く、ダラダラの岩道を降りて写真をとる人、象と戯れる人様々だ。孤児院と言われているのはジャングルで親を亡くし、はぐれてしまった小象の引き取られている施設だ。ミルクをお腹いっぱい飲んだ小象は一列になり川に行き水遊びをする姿を観光客にとっては可愛い仕草で楽しい。大人の象もいて数え切れない群れが壮観であった。

茶 畑
 次第に走っているうちに暑さが和らぎ、涼が感じられるようになると山々の畑に日本でもよく見かける風景が限りなく一面に広がっていた。茶畑は一本の木が丸くなってあり、日本の茶畑は細長く角が取れたように作られているが、基本的にはそれほどの変わりないと思った。
茶葉を摘んでいる様子はかなり違っていた。格好も違うがなるほどと思ったのは、頭に丁度はまる金属の輪のようなものをかぶり、後ろに向けてお茶を積む袋が口を開けるようにぶら下がっている、その中にお茶の葉を摘んで入れていくのである。このほうが沢山摘むことが出来て合理的かもしれないと思った。

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紅茶ショップ   
 この地域の山肌は殆どお茶畑である。熱帯でありながらこの気候は温暖水源にも恵まれ、山の頂上まで美しい緑の茶畑で、その中にイギリス風の建物がある。大きなティーショップで中もシックな作りで入れたての紅茶を雰囲気の良いところでティータイムをした。工場直送の紅茶のお土産が隣接していたが、普通の紅茶とミルクティー用の紅茶を買い求め、工場見学は足場も悪いのでやめることにした。

ペーラーデニヤ植物園 056.gif
 行く先々の自然だらけの細い山林の道を車で走っていると、眼下に見下ろすような渓谷地帯があり、雲の上のようなこの雑林の奥は、ハリソンフォードが製作総指揮監督主演のアドベンチャー映画、インディージョーンズの撮影現場に使われたそうだ。ペーラーデニャ植物園はスリランカで最大の植物園で自然がいっぱい、14世紀のロイヤルガーデンで、昔は庭園として由来し、4千種以上の木々があるからスゴイ。広々した芝生の真ん中に「大ジャワ・ビンロー」が緑の羽根を広げて、「この~きなんのき」のコマーシャルで歌われた有名な大木である。
園内の隅々に大きな大木があり歴史を感じる。大きな椰子の木に双子の実をつけている木があり珍しかった。もともと熱帯なので温室もあったが、温室より自然の木陰での散歩コースとして最適である。
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ヌワラ・エリア
 ヌワラ・エリアは高地で軽井沢や上高地のような涼しいリゾート地で、昔のイギリス人の避暑地として栄えて、ホテル、競馬場、ゴルフコース、イギリスの伝統が残っている。町並みの風景も今までとは違ってイギリス風になっていた。それもそのはず昔、スリランカがセイロンと言われていた時代に植民地として、イギリス国が統治していた時代に、このヌワラ・エリアにはイギリス人の別荘などを建て、インドからタミル族を使用人として連れて来て生活をしていたと言う。
建築物もイギリス的な建物が多く、空気も涼しくセーターなどを着ている人も多くいた。街の様子も周囲の樹木も花々もここだけが異なり、バラの花が美しく香り咲いていた。
 バラの咲くプチホテルでランチをとった。中は簡素でありながら重厚な温か味のあるレストランであった。クーラーが効いて寒いくらいであった。

スパイスガーデン 
 キャンディに行く途中でスパイスガーデンによった。中から3~4人のスタッフの人が出て来て、何故かと思ったらカーデンの中は急な坂道があり、多くの段差や階段があり車イスをヘルプしてくれた。大きな樹木が自然のままに生い茂り、人手に助けられて見学が出来た。とても親切に主な樹の前でスパイスの樹の説明をしてくれて、その中でもとても珍しいと思ったのは、胡椒の木とかチョコレートの木などであった。

マハベリリーホテル 
 夕方近くにキャンディに到着。キャンディは昔、王国があった歴史を感じる都市である。
ホテルの入り口の両サイドには蓮の池があり、ロビーから外に出て見ると赤ちゃんの頭ほどある大きなジャックフルーツの大木に大きな実がなっていた。
落ち着いた感じのリゾート地で部屋は1F、案内してもらうと天井も高く室内も広く窓も大きく陽射しと緑の木々がまぶしい、大きな扇風機が天井で回るようになっている。ベッドの高さも間隔も充分あり今度は大丈夫、トイレは手すりもなく変わらない、後半もこの状態で宮脇さんに手を貸してもらいながら頑張らなくてはと思った。
 
裸足のホテルマン 
 コロンボと違っていることは、ホテルの中もレストランも裸足で働いている人が多く見られた。靴を履いている人と裸足でいる人では階級のようなものがあるのだろうかと思った。
レストランは周囲が開け放してあり、陽の光だけではなく小鳥の泣き声や芝生の水巻の音まで伝わってきそうな静けさがあった。レストランの人は一部の人意外はほとんど裸足の人で、見慣れているうちにそれが自然なのだと感じるようになったが、裸足で歩いてもそれだけきれいに清潔にされているようにも思われた。


光り輝く宝石の話 
 キャンディの市街でガイドさんと宝石屋に見学に行った。初めにどのように宝石の数々が掘り起こされるのか、ビデオを見せられてから店内に案内された。d0019913_18113688.jpg男性は白いシャツにネクタイ、女性は伝統のサリーを着ていた。一番有名なのはルビーだが、サファイアとか覚えきれないほどのいろいろな宝石があった。ほしい人の購入の秘訣は、値段も決めてどのような宝石がほしいか、事前に決めてから交渉しないと、相手はどんどんと高い魅力的な宝石を見せるので迷う結果になる。条件をハッキリと言ってから値段交渉をするのも楽しいかもしれない。
話によると、日本で買うと3倍の値打ちがあるそうだ。お土産として買うのなら記念に加工されたものを、良いものをと選びたい人は希望の石だけ購入し、日本で加工したほうがお勧めである。トイレは車イスでも使用出来た。

スリランカには障害者がいない?
 ガイドさんに聞くとスリランカには障害者はいないと自信をもって答えている。障害者はタミル人との民族戦争などで、負傷した傷痍軍人しかいないと言うのである。
日本で毎年、JICAの発展途上国の障害者研修でスリランカ人も何人も研修生が来日しているが、とても若い人もいたので全部が傷痍軍人とは思われない。
このような傷痍軍人らしい人が街角に固まっている。車で泊まっていても側に寄ってきて黙って見ている、ガイドさんもドライバーもお金を渡している。そして、私にも「お金をあげなさい」と言われ3ルピー~5ルピーほど渡すとサーッといなくなる。これらの人は働けないから人に恵んでもらって暮らしている。日本で言うホームレスとは少し異なり物乞いで暮らしを立てているという感じである。でも、スリランカの人は戦争で不自由な身体になったのだから極自然のこととして捉えているらしい。滞在中このような場面が何度か経験をした。
車窓から私には何人もの車イスに乗っている老人やいろんな人を見かけたが、直接接する機会はなかったので、障害者の状況は知ることはできなかった。
何しろ、どこに行っても車イスの観光客が珍しい存在として見られたので、2~30年前の日本のような感じがした。

あとがき 
 キャンディから再びコロンボに戻ってきたが、途中で取り立ての野菜などを露天で売っているとガイドさんたちは買ったり、また、止まったと思うと椰子の実を取る鎌のような道具を買ったり、とてものんびりしている光景だと思った。
スリランカでは日常はシンハリ語で話しているが、接した人々は、殆ど英語は話せた。教育もかなり高いように感じた。ガイドのスサンタさんとドライバーのプルパーラーさんはシンハリ語で話していると宮脇さんには一部内容が分かるので、一緒に会話に入ったりしていた。
 最後に荷物をまとめて、しばらく休憩をするつもりでオーダーしておいた空港近くのホテルが室内もトイレも一番使い易いと分かったことも経験した後だからなのだろう。
とにかく、カローラの後部座席は狭くて身体が思うように滑ってくれなくて、身体の体位を保つことに最後には疲れ果ててしまった。
これからスリランカに車イスの人が出かけるのであれば、スリランカは特に日本からの輸入中古車は多く、リフト付き車両もあるらしいが、リフトを取り外して使用している現状である。1台くらいはどこかで保有してくれると、国内の人々も利用出来し、障碍を持つ人々が安心して出かけられると思う。東南アジアでもタイとかバリ島などは観光用のリフト車があり、有るというだけで大きな宣伝になると思うし、日本からの障碍者も足の不自由な高齢者も安心して行かれると思う。
日本は寒い時期に格安で暖かい地に行きたいと思っている障害者は沢山いるからだ。1週間の滞在は終わり、6月28日、同じ飛行機で、行きにモルジィブに出かけていた若い車イスの夫妻に再び合って情報交換を行い、みんな無事に帰国し、未知の新しい国を知り体験することが出来た。
by rakudazou | 2003-12-02 17:16 | 《エッセイ》中村陽子
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誘われて・・・(2003年12月2日~3日) 
突然に降って沸いてきたような話で、11月の初旬に勝矢光信さんからmailが来て、「韓国に行かないか」と誘われた。以前から、韓国は日本にとって最も隣国であり興味はあった。個人的にはともかく、重度な障害者の団体として出かけることはアクセスの確保が出来ないと言われてその度に諦めていた。1泊2日の今までに経験したことのないプサンの最短な日程と参加費も格安であった。
この旅を企画し添乗員をしたのは、大手旅行会社のピカピカの社会人1年生の冨吉さんという青年である。勝矢さんとは学生時代から付き合いで、タイとかいろんな旅行の経験があるという、その頃からの素養と元々の天性の性格が備わっていたのでしょう。
勝矢さんとは38年間からの付き合いであるが共に旅行したのは初めてのことである。考えるといろんな不安もあったが、冨吉さんから届いたmailや電話で話したときの雰囲気で「この人なら安心して行けるなぁ」と自然と感じられた。

見えないところまでよく気が付く人 
冨吉さんの旅行に対するひそかな望みは、障碍があるなしに関わらず年代や国籍や住んでいる場所、その他いろいろな「立場」が違う人で普段あまり接することのない人たちをつなげていけたら、それも旅の中で実現できたらと思う気持ちが今回のプサンのツアーに強く反映されていると思われた。
勝矢さんから誘われた意味も、ピカピカの社会人1年生の彼とはホンの1日も満たない間だけの付き合いであったが、心配りや気転が利き、ちょっと彼の姿がないと思うとその間に入浴介助やトイレ介助をして、短い時間に、至極当たり前のように現れてはみんなの先頭に立って行動し、自分の身体を休む時間もなかったのではと思った。
それぞれの障碍者、若い学生さん達も、何故か彼の企画の中にみんなの心が溶け込むように等しくやさしい人々であった。あれだけ良く気が付き敏感に対応できる添乗員が多く育つと重度障害者の旅行も怖いものがなくなると感じた。

一般旅行の中に参加して
 障碍者にとって韓国は最も近くて遠い国と思っていたが、今回は富吉さんの企画で一般旅行の中に障碍を持つ人も普通に参加が出来たらということは現実に新しい風に当たったような気持ちがした。最初から車イスの配慮は出来てないという現状で、後輩にあたる立教大学観光学科の多くの学生の皆さん、その他の方々も含めてこの方々の理解や好意がなかったら障碍者は出来なかったと思う。
5人の車イスの参加があり、その中でも全く歩けないのは私を入れて3名でした。何が大変かというと移動のためのバスの乗降時で、男性2人がかりで最初から最後まで何回もの介助で大変な労働であったと思う、感謝。参加者の学生は、男4人女3人の7名と障碍者等で総勢14名のグループであつた。

階段のある時のタイミング
 12時過ぎにプサン金海空港到着後、まず、空港内も階段、しかし、階段があると深刻に考える暇もなく、空港の係員がサッサッと上げてくれた。最初に専用バスに乗る要領が分からずに少し手間取ったが、バスは次から次へと目まぐるしくスケジュール通りに走り、プサンの港町は高いビルが多く、高速道路、海までつながっているカンアンリ川を渡る世界一の橋、道路の道幅も広く自動車が多い、日本の車に良く似ているがすべて国産車が走っている。ハングル文字がなかったら都内の何処かにいるような気がした。
宿泊先のコモドホテルに到着し、此処も階段、サーッと係りの人が上げてくれた。階段があっても、考える暇もなく上げ降ろしをしてくれタイミングがとても快かった。

段差と坂道の連続 
こんなに自由で優雅で贅沢な散策はあるであろうか。そう思いながら落ち着く暇もなく高台にあるホテルを後にした。一般道や歩道、町並みを求めてプサンの街へ車イスを押してもらって移動をした。歩道の段差解消は無い、道路から道路へ行く途中が突然に急勾配があり、歩道と車道の区別がない場所、介助がなかったら動くことさえ危険な感じがする場所が沢山あった。みんなと一緒なら怖くないという気持ちであった。
明るい街へと移動を続けるうちに横断することになったが、横断歩道は無く地下道になって入り口に立派なスロープを上がると設備があるのに呼び出しても誰も来ない。
そのうち、通りがかりの人々も集まり出し、ようやく係員が来て40~50段はある階段をイッキに降ろしてくれて、また、イッキに息切れもせずに上げてくれてびっくりし、それも通りかがりの人まで気軽に手伝ってくれて感激した。
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元気な市場
 平坦な道路にでると急に人出も多く何故か店に居る人々がとても元気で活気があった。賑やかな国際市場がいろんな方向に珍しい物、高い物、安い物いろんな屋台があり、みんなお腹が空いていたので何買っては分け合ってみんなで美味しく食べた。夜になり寒かったので蜂蜜入りの「ゆず湯」の温かさをみんなで味わった。道路に出ている屋台の物かは車イスからでもよく見られたが、歩道の上の店には段差があり車イスで入ることは出来なかった。
海岸の水産市場 「チャガルチ市場」に出ると道も広く店先にはいろんな魚介類を売っていた。みんなの列が止まった店先にはクジラ肉の山があった。「エッ、クジラ食べてもいいの」と思ったが、手早く刺身にしてくれて、つまみの浅葱と共に醤油を付けて食べたが、クジラの味を初めて知った人と懐かしく感じた人がいたと思うが、目の前で
作ってくれて食べたのは初めての経験である。

早朝の散歩
 前の晩に夕食後、ホテルに戻ってから、富吉さんの部屋に集まってコンビニで買ったいろいろなお菓子やお酒で遅くまで過ごした。今日Ⅰ日の長かった出来事や、まだ、私などは参加して色々と介助してもらった学生さんの顔と名前がハッキリとしていない。最後に冨吉さんが朝早く起きられる人は、ホテルの外で朝食をしょう!と言い、同室の20歳の土田夢子さんと参加することにした。
 翌朝、目をこすりながら6時半にホテルの外に出た。あたりは薄暗くこれから朝が明けるころ、ビーンとした寒さで眠気も吹っ飛んだ。
 また、坂が多く店が開いているのはコンビニとか、何故か、ふぐ料理の店が多く人も入っていた。最終的にホテルの近くにあった大衆食堂と日本語であり、メニューも日本語で書いてある店の中に入った。車イスの私を見るとほかにお客が入っているのに、アッと言う間に席を作ってくれた。具のある暖かいスープの入っているご飯とキムチや野菜、小魚等の7つの小皿が出てきて健康的な朝食だと思った。
 ホテルに着くと、バスが待っていてそのままバスに乗せてもらった。いろいろと細かに街中を歩き、車窓の中からもプサンの街では車イスの人を見かけることはなかった。短い旅行であり中身は一週間くらいの内容の濃い旅が出来たと感じた。
by rakudazou | 2003-12-02 16:14 | イベント体験記