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by rakudazou

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  ◆家族風呂 
最近、ホテル・旅館で「家族風呂あります」の表示が多くなった。高齢化社会になって、異性介助を必要とする熟年者・障害者の増加が、その背景にある。家族風呂の多くは、手すり・段差などバリアフリーで、浴槽の高さも車イスと同じになっていたり、中までスロープやゆるい段になっていたりする
使用時間も、障害者には長時間も許される。どこも、予約制なので、時間設定が難しいが、多くの障害者に歓迎されている。肉体的にも精神的にも、ゆったりと入れるし、医療機器を置いておけるし、介助も楽である。
 伊豆熱川の駅の看板に「車いすごと入れる花いっぱい温泉」と書いてあったので、問い合わせて、車イス数人の仲間と介助者で出かけてみた。ここは貸別荘がバリアフリーに作られていて、オーナーが建築業をしているので、陽射しが良く入るとても贅沢な作りであった。1階に内風呂もあったがその外は24時間いつでも入れる露天風呂があった。楕円形の丸い石づくりの風呂は、お風呂専用の車イスが2台備えてあり、そのまま入れてもらったり、専用車イスに乗り、夜空を仰ぎながら露天風呂を満喫し、お湯は源泉元なので豊富でちょっと温めだが長く入っていると身体の芯から温まり、その日の寝心地は最高だった。6人以上で行くと格安、自炊であるが、食材と調味料だけ持っていくと他は全て完備されている。

  ◆ナイチンゲール 
ナイチンゲールが、看護学を確立したのも、看護婦としての経験からではなく、長い間の患者としての叫びからであった。看護婦としては、わずか3年間、クリミア戦争で活躍しただけで、以後は病人として看護の理想を訴え続けた。
ベッドを清潔に、部屋を明るく、患者の気持ちをくんでなど、看護学の基礎は、患者としてナイチンゲールの訴えであった。
障害者も自分の立場を叫ぶ事が、社会を良い方向に変えていくという信念を持って欲しい。看護の理想を一番良く知っているのは患者であり、障害者の理想を一番良く知っているのは障害者である。看護の理想を叫ぶ事で、社会は変わった。自立の理想を叫ぶ事で、社会は確実に変わってきたし、今後も、変わっていくであろう。ナイチンゲールは、当時の政治家には、うるさいババアとしか映らない。その結果、奴隷以下の卑しい仕事であった看護師の地位向上につながった。
障害者が一番希望する「介助」を叫ぶ事で、ヘルパー職の地位向上につながり、結果 として、障害者の生活向上につながる。毎日、看護について書き、政府に提かった。とってもわがままだったかもしれない。

 ◆猫は見ていると 
 猫は、手が使えないので、常に主人の世話にならなくては生きていけない。ご主人がエサをくれなければ、飢えて死ぬ。部屋のドアを開けてくれなければ、トイレにも行けない。主人がドアを閉めて出ていったら、部屋でそそうをした。
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臭いニオイ。主人は、自分の責任を棚に上げて、猫の頭をおもいきりなぐった。常に主人の顔色をうかがっている。主人の問いかけを無視するとおこられる。主人が話しかけたら、わかってもわからなくても「ニャァ」と答える。答えないとしつこく責め立てる。「オマエのせいで、旅にも行けない」と言って、さかんに恩を売る。心の中では、家出をしようかと思うが、1人では生きていけなくなる。「主人なんて死んじまえ」と思うが、主人がいないと、自分は生きられない。

 ◆世界遺産・日光東照宮 
地上から坂を登って、キップを売っている入口までは、行けた。最初の21段は、横のスロープ付きの「門」を開けてもらえば、1段+1段+4段で、板が置いてあるのでスロープにしてもらって入る事ができた。そこに、障害者トイレが完備されてあった。このフロアーで「見ざる聞かざる言わざる」の彫刻、手を清める場があった。車イスでは、ここまでだった。さらに21段昇った正面に陽明門、さらに、鳴き竜、眠り猫があるが、登れないので、見る事ができなかった。
(一般1300円 障害者半額。)
天下の世界遺産でありながら、バリアフリー対策がこれほど遅れている所もめずらしい。前後42段には「手すり」さえない。前後42段は、直線階段なので、簡易リフトなどの設置は、構造上、難しくはない。なんとかならないのか?

 ◆小松川:(千本桜)公園風の広場 
日光浴。桜の紅葉、満開のコスモス、風に揺れるススキ、全てが感動であった。のんびりした散歩や野原でのうたた寝は人生最高の贅沢。秋のやわらかなヒザシを浴びながら、時を忘れ、世のわずらわしさを忘れ、身の危険も忘れ、ひたすら眠り続けた。気がついたら太陽は西に傾き、外気も一瞬ヒヤッと感じるほどになって、手を伸ばして服をさがした。至福の時というのは、金も使わないで、だれにも縛られないで、悩みを忘れた今日のような一日を指すのかもしれない。
地下鉄都営新宿線「東大島駅」で、電車の窓からこの公園を眺めると、閘門遺跡のある高台で、完璧に整備されてありながら、人の姿があまりない。「もったいないなぁ」「いつか行ってみたいなぁ」と思いつつ、なかなかチャンスがなかった。ここは、江戸川と旧中川の合流地点で、津波や大水を防ぐ重要な地点スーパー堤防として、意識的に高く盛り上げた形の公園になっている。「河川資料館」も(江東区側に)あり、江戸時代の川の役割も理解できる。今でいえば、1級高速道路に等しい。多くの魚や米が江戸に運ばれ、多くの人糞が江戸から運び出された。多くの男女が、季節になると、
「舟」で、郊外に遊びに行った。両国を越えると、草原や海岸が広がり、葛西、市川、船橋、成田山真勝寺へと、お参りと称して遊びに出かけた。高台に立つと、周囲がパノラマの様に見渡せ、深呼吸をしてぐるっと眺めると、何となく心まで豊かになる。川面に揺れるミヤコドリの群れも楽しそうであった。

 ◆文京区大塚公園 
江戸時代の「見ざる聞かざる話さざる」が、彫られてあった。江戸の統治方法を端的に語るもので、日光だけではなく、各地にその彫り物が見うけられる。戦後、民主主義思想をとり入れたが、江戸時代からの「見ざる聞かざる話さざる」意識はまだまだ私たちの心に巣食っている。これは1種の処世術で、政治家ばかりか、庶民にとっても都合の良い考えなのである。
最近、狛犬だけではなく江戸時代に盛んになった思想が彫刻という形で、道の傍らにひっそりと埋もれているという驚きと同時に、歴史は簡単には変わらなかったのだという認識を新たにし、目のさめる思いをしている。それにしても、疑問はどんどんわいてくる。儒教と関係があるのか、どうして、江戸の民衆はこの思想を受け入れたのか、だれが、いつからひろめたのか、どのようにして全国に広まったのか、だまって受け入れたのか、疑問だらけである。

  ◆「セックスボランティア」 
河合香織 新潮社 1500円(税別)ISBN4-10-469001-5   
オランダの事例を引いて、ていねいなルポになっている。さびしさを人は、愛によって埋められる。愛の形はいろいろで、話をする・触れ合う・セックスをするなど様々。自分で選んでいく以外に無い。解答は、どんな時代にも無い。ただ、教育によって苦しみは少なくなる。障害者にもっと性教育が普及しなくてはならない。
愛は、受け手でいる限り、不満が残る。愛は与える事。性も与える性でありたい。
出会いは障害者にとって仕事である。

  ◆障害者の仕事 
障害者や熟年者は、出会いを仕事とすれば良いと思う。1日に何人と会話したか?何人とすれ違ったか?何回、挨拶を交わしたか?それぞれに、自分の目標を決めて、やれば良いと思う。この世に、死ぬまで、不必要な人はいない。だれでも、必要だから、生きているのだと思う。何かしら神が求めているのだと思う。その道を探し自分なりの人生を見つけていく事。

  ◆ヘルパーさんからもらったアイデア紹介 
ヘルパーさんは、さまざまな生活の知恵を持っている!その一部を紹介する。「アイスノンで湯たんぽ」アイスノンを電子レンジで10分、温める。そのまま、布団の中に入れておくと、朝まで暖かく眠れる。低温ヤケドの心配が無い。また、風邪で熱が出たら、冷凍庫でアイスノンに。(両方に使えるなんて!)
「ホットなおしぼり」電気釜を保温状態にして、濡れたタオルを数本、入れておく。外
出から帰った時や、汗をかいた時に、1本ずつ出して、顔や体を拭く。とにかく、気持ち良いので、疲れも取れてホッとする(解説:笑うべし。勝矢常句)。
「ホッカイロ保温」冷め易いご飯やおかずの上に「ホッカイロ」を置いておく。朝作った食事でも、温かいまま食べられる。
「ゴミ袋・レジ袋」体を移動する時や体位交換の時に、体の下にゴミ袋やレジ袋をひいておくと、移乗しやすい。まさつ抵抗が無いので、重い体をするりと移動させられる。たとえば、ベッドから車イスに移る時に、体の下に敷いたゴミ袋・レジ袋を引くだけで、簡単に移動できる。ただし、体位を保てない障害者の場合は、倒れない様に注意をする。

 ◆「わ」 
 ファスナー(ジッパー)には、かわいいリボンのひもを「大きな輪」にして、付けておく。これで、手の不自由な障害者でも、ファスナーの上げ下げは可能。カバン、リュックなどにも、色を変えたリボンの「大きな輪」を付けることで、自力で荷物の出し入れ可能な障害者がふえる。また、ヘルパーさんに指示する時も「色?」でお願いし易くなる。

  ◆靴下足袋 
(くつした&たび):伸び縮みのゆるい「くつした」の後部をマジックテープにすると、ワンタッチで着脱可能。ゴミ袋雨具:雨の時には、角を切って、頭からかぶせるだけで、雨よけになる。

 ◆スパゲッティ 
湯を沸かす「電気ポット」に20分、ときどき湯掻くこと。インスタントの具をかけて出来上がり。

 ◆二人姉妹の神様(童話) 
 私の話はウソではない。どこの家の天井のすみにも、目には見えないけれど、幸せの神様と不幸の神様が隠れている。大きな体をした姉の幸せの神様は、とても醜くいけれど、家中を良く動き回る。小さな体をした妹の不幸の神様はとても美しいけれど、いつもじっとしている。幸せの神様と不幸の神様はとても仲良しで、手をつないで天井のはりの上に座っている。仲が良いので、不幸の神様が逃げ出すと幸せの神様も逃げ出してしまう。ところが、どこの家でも、不幸の神様だけ追い出したいと考えている。
年の暮れになると、大掃除をして、天井のすみにいる不幸の神様を見つけだし、追いはらってしまいたいと必死になる。ところが、この不幸の神様を追い出したくても、絶対に追い出すことができない。小さな不幸の神様を追い出すと、大きな幸せの神様まで逃げてしまうからだ。家中の者が、じっと耐えていると、働き者の姉「幸せの神様」にしかられ、押さえつけられたまま、妹の不幸の神様はじっとしている。家中の者が歯を食いしばって、一生懸命に耐えると、小さな不幸の神様はおとなしくしている。家族が泣いたり、叫んだり、争ったりすると、不幸の神様はうれしくなって、はしゃぎ出す。
私の話はウソではない。大きな体をした姉の幸せの神様は、強くて、醜くいことを嘆いたりはしない。毎日、飽きもせず、家中を動き回っている。はしゃぎだした妹の不幸の神様をにらみつけじっと動かなくしてしまう。
幸せの神様と不幸の神様は本当に仲が良い。だから、目に見えないけれど、いつも2人の姉妹が家のすみに隠れているのを忘れないで下さい。

  ◆ちよっとした幸せ見つけた 
我家の近所に、「第六天」という神社がある。その神社の横に「神木」と皆が呼んでいる、500年の樹齢を数えるエノキがある。昨年(2003年)8月23年、寿命が尽きてその神木「エノキ」が倒れた。ドオーンという音と共に倒れて、大木に当たった灯篭も崩れた。木でも寿命が尽きることを知った。
500年以上の寿命で、安政の大地震(安政2年1855年10月2日の江戸地震。震源地江戸川河口。マグニチュード6.9。直下型地震。死者四千余人)で倒れたのが、横たわった姿勢から立ちあがって竜の様にそびえていた。見るからに天に向かってわきあがっていく竜であった。500年もの間、雨の日も風の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も、多くの物を 見続けてきた。江戸時代から明治・大正・昭和と、人々の喜びも苦しみも、じっと見ていた。様々な思いをこめて人々が、神社に手を合わす姿も、折れた部分を見たら、もう水分の供給は無く、乾いた状態であった。人々は、寿命が尽きての自然倒壊だと語った。そして、何か不吉な事、悪い事が起こるのではないかと、それぞれに心配していたが、何も起こらなかった。町会の人が協力して、こまかに刻んで後片付けをし、車で運んでいった。年輪を重ね、材木の様に乾ききった、大きな大きな株だけが残った。樹木も死を迎えるのだと感じた。いつの日か、必ず「死」を迎えると。 ところが、2004年の新しい年を迎え、神社にお参りに行ったら、灯篭も新しい物となり、不思議な事に、根に近い所から新しい枝が出て、小さな小さな芽が育ち始めていた。根は死んでなかったのだった。新たな芽は、命の連続性を教えてくれた。
「死」というものが、生きるという連続性の中の1部であるという気がした。死は苦しみであるが、永遠の「無」でないことは確かである。そう思うと、やがて来るであろう「死」が苦しみではなくなっていく。あと250年後、この小さな芽は、立派な大木になるだろう。その頃も、町会は仲良く続いて新しい子供たちが町会を担っているであろう。大きなエノキの下で、ミコシを担ぎ、ダシをひく様子が目に浮かんでちょっと幸せな気分になった。

  ◆文学の草津ハンセン病施設 
すでに232人となってしまった草津ハンセン病施設。私たちの訪れた日、15時20分、 自治会長藤田三四郎氏(実名では無い)の奥様フサさんがお亡くなりになった。昭和21年、圧倒的に男性患者の多い園内で患者同志の結婚、その後58年間の結婚生活。忙しい会長を支え、目の不自由と戦い家を守った。
91日間の闘病生活。ご主人がいつも見舞いに来ていた。夕方、私たちもキリスト教式「仮お通夜」に列席。「もう夫婦喧嘩ができなくなった」と、あいさつにおいても皆にジョークをとばしながら涙をぬぐっていた。ハンセン病施設で一生を終える悔しさを越え、共に歩んできた2人の愛には深いものがあった。
彼の俳句には、「妻」がたびたび出てくる。唯一、心を許せる相手であり、何でも話せる友であった。同じ年の77才に、NHK取材があって、家の中に取材人たちが入ったのは辛くて耐えられなかったと。マスコミもむずかしい。
家の前庭には、さまざまな花が咲いていた。母の日も、妻の誕生日も、ご主人からは花の贈り物だったので花が増えた。目の不自由な奥様が子どものように大切なお花の世話ができないので、やはり明るいと太陽光線がまぶしくて、何も見えないご主人が世話をし、咲いた花にさわり、匂いをかぐ喜びをわけあっていた。もう、それもできなくなった。
病棟には、老いても語り続ける「文学者」たちがいる。体験を聞き、勉強したいと言って、この日も、大学生たちが来ていた。消え行く者の叫びを、1人でも多くの人に聞いておいて欲しい。気丈夫な三四郎氏が、がっくりして、この後の活動を続けられるか心配になったが、「人生、一生、青春」と言い続けている彼の事だから、今後も活躍していただきたいと、心から祈っている。皆さんも、1度、訪問してみませんか?

 ◆平成16年11月21日・日曜日 10:00~20:00九段下(靖国神社、皇居一周、日比谷公園、ビッグカメラ)日比谷―船堀
(映画「ハウルの動く城」)帰宅
靖国神社:
映画2本を見た。靖国中心の映画。1つは、日清戦争。常に頭を使うこと、時代に流されない事。旅順で15000人もの犠牲が出て、失敗に終わった等、知らなかった。負けるかもしれないと思っても、ただ負けるのを待っていることはできないと。日清、日露、太平洋戦争、全てギリギリのイクサであった。明治の戦争は、銃の玉さえもない状態で戦った。負けて当然、勝って奇跡の戦いであった。

 ◆皇居一周 秋の皇居周、映画「ハウルの動く城」:時空を自由に行き来して、画面は極めて美しかったが、戦争はイヤ、愛が全てというだけの、ストリー性がない話であった。老いる事、シンプルになる事。
原作、イギリス「ハウルの城の物語」倍賞智恵子歌。米澤に会った。宮崎駿の映画は、話が通じない点がある。2時間はけっこう長かった。

  ◆キムチ納豆 納豆は、栄養もあるし、安いので、健康指向の現代、テレビにも雑誌にも取り上げられる機会が多い。しかし、匂いがイヤ、ベトベトが耐えられないと言う人は多い。卵といっしょに1分30秒、レンジでチンして、オムレツにすると、匂いは消える。ニラを混ぜたり、キムチを入れても、いくらでも匂いは消える。工夫で、ニラを混ぜたり、キムチを入れても、匂いは消える。それよりも気になるのは、遺伝子組替えダイズを使っている納豆か、アメリカ・中国の輸入か、国産かを気にしている人も多くなった。豆は受難の時代だが、とにかく体に良い食品であることに間違いない。

 ◆韓国の話  40代になると女性は、美人もブスも関係なくなる。50代になると女性は、大卒も高卒も関係なくなる。60代になると女性は、女も男も関係なくなる。 70代になると女性は、生きていても死んで墓に入っていても関係なくなる。
(注:韓国では、土葬なので、横たわっている状態を想像して、話が終わる)

  ◆フェイさんの話 日本には英会話教育のビジョンもカリキュラムもない。高い目標が ない。大学入試だけが目的。4才で始めるべき。社会で、どのように何に英会話を使いたいのか、目標がない。英会話は、国家の将来を決める重要課題。教育目標レベルを、あまりにも低く設定している。中学3年の先生も、高いレベルにチャレンジさせようとしない。国は英会話をどのように位置付けているのか?基礎教育ができていないと外国との交流も学問も貿易もできない。日本の教育にはかなり欠けている部分がある。チームワーク、討論、英会話などの交流訓練がない。


   ◆蔵の話 昔々、ある村に、小さな蔵があった。貧しい村には、お米をしまっておく蔵が無かったので、村人が力を合わせて小さな蔵を造った。蔵は丈夫にできた。 毎日太陽に当たりながら蔵は人々のくらしをながめていた。村人たちの働く姿、子供たちの遊ぶ姿、そして、結婚式やお葬式。平和な毎日であった。
ところが、ある日、大きな台風が来た。雨がはげしくふり、風は強く荒れ狂った。お米を守らなくちゃいけない。蔵はクラクラした。もうすこしで倒れそうになったけれども、懸命に踏んばった。台風は去り、また、平和な日々が続いた。
しかし、ある日、村に大火事がおきた。蔵の近くまで、火の勢いがせまってきた。お米を守らなくちゃいけない。蔵はクラクラした。もうすこしで焼け崩れそうになった。けれども、懸命に踏んばった。火は収まり、また平和な日々が続いた。
蔵の壁は、少しずつ崩れ古くなってきた。それでも昔と同じように毎日、太陽に当たりながら蔵は人々のくらしをながめていた。蔵は村人たちの笑い顔、子供たちの元気な姿を見ているだけで幸せだった。 しかし、ある日ネズミの大群が襲ってきた。蔵の足元を、ガリガリと食い尽くそうとした。お米を守らなくちゃいけない。蔵はクラクラした。もうすこしで穴が開きそうになったけれども、懸命に踏んばった。 ネズミの大群は去り、また平和な日々が続いた。ほら、見てごらん。今も、村人のくらしをながめながら、小さな蔵は幸せに立ち続けているよ。
by rakudazou | 2005-01-18 11:28