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by rakudazou

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誰でも年頃が来ると結婚のことは考えると思います。見る物、聴く物すべてが新鮮に感じられる、箸が転んでも笑える年頃に私は当時の国立身体障害者センターの入所生でした。

 担当のケースワーカーには(あなたは歩けないから結婚の世話もできない。)と何度か言われたことがあります。何故ならば、その時代(1964年~1968年)は、特に最初の頃は、入所している殆どの人が歩ける人で、歩けない人は私を含めて小数で、修了に近い頃になり、ようやくと車イスの人々が社会に参加出来る時代が訪れた来たような社会現象でした。

 また、障碍を持っていても男性は、簡単な話、たとえ重度であっても頭が良くて稼ぎがよければ健常者とも結婚出来るが、女性は家庭のことが出来なかったら、相手にとって結婚する意味がないような言い方が普通に言われている時代でした。障碍が重いということで周囲が考えるほど当事者の私は気にかけては生きていけないと思っていました。

 誰しもそうだろうと思いますが、若いということだけで世の中が何か起こるか分からないそんな期待感で胸がワクワクするそんな年頃でもありました。実際に人生経験を乗り越えて、人なりの個性や人間性が培われて、人の優しさも悲しみも判断力も生まれるのです。

 私は20歳の頃、一回り以上年上の男性をとても好きになりました、いつの間にか気付かずに好きになっていました。彼の方から投げかける好意を周囲の人から指摘されて気づくようなのんき者の私は、彼をとても信頼して愛して、過去になればなるほどに「この世で唯一、心から愛した」人の思い出があるだけで私は幸せな恋愛が出来たと?信じています。
私はファザーコンプレックスではないけれど、その頃、今でもかなぁ?自分より年上で何でも教えてくれる尊敬出来る人、何故か、そんなイメージが作られていました。

心安らげる人
 彼にはいろんな人生観の大きさや行動力や知識で多くの生きるための常識を教えてもらったように思っています。その人が大切であればあるほど、まだ、若くて経験不足の私は、身近な幸せより、未知への冒険にあこがれを持っていました。私なりの社会に対しての正義感や興味を捨てることが出来たら、自らの幸せだけを考えていたら「幸せな家庭」を得られたことでしょう。

 人づてに(結婚した)と聞いた時には、何故か涙がいつまでも止まらなかったのを覚えています。その原因は(こんな重度な私より、いい人がいたら結婚してもいいのよ。)と後先を考えないで言ってしまった後悔、誰かが(自らの幸せは前髪をしっかりと握っていないとダメよ。)そんな言葉が深く刻まれた瞬間でした。

 だから、今でもほろ苦い思い出として残りながら、永遠の人になってしまい、お互いに違う道を選んでしまいました。もう、きっと死ぬまで会うことはないと思います。そして、今度、会うときは私が天国に逝ったときなのです。

 あの時の大きな心の成長が、今日の私を支えている青春時代の懐かしい1ページであったことは確かな事実です。 (つづく)

by rakudazou | 2006-02-27 12:37 | 《エッセイ》中村陽子
 神さまがこの世にいる・・・
 

 交差点に近い大きな国道の端にリフト付き自動車が止まっていました。出掛けることになりで車の止まっている場所までドライバーをしてくれる人と坂道を車イスで行きました。ドライバーをする人は足早に運転席に乗り込もうとしていました。私も急いで後を追いました。そして、何の疑問も持たないで車が駐車してる車道を車イスで走っていました。d0019913_18535950.gif
突然に目指す車がすごいスピードでバックしてきました。私は驚いてとっさのことで声も右にも左にも身体が動かず、ひれる・・・と思いました。すると車道の外側から誰か歩行者が私の車イスを視界から外してくれました。今では顔を見ることも出来ず唯、男の人だったとしか分かりませんが、その人が私を動かしてくれなかったら、私は完全に車にひかれていたことでしょう。
ドライバーの視界には車イスの姿は車の後ろに丁度、隠れてしまって見えなかったようです。その瞬間を思い出すと今でもゾッとしますが、あれは助けてくれたのは神さまだったのかもしれない、あんな車道の外側を人がいるなんて考えられません。それから、危険を避けるために絶対に自動車の後ろには行かないことにしています。

 さまざまな親切な人々
 

  国道の路肩で自動車に乗ろうとして、車イスをたたんで中に入れようとしていると、反対車線に車が止まるのが見えました。ドライバーは前方の信号が青になると横断歩道を駆けて私の側に飛んできてくれました。驚いている私に「どうすればよいのですか」と尋ねてきました。私の日常はいつも一人で車イスを自動車に入れたり出したりするので、唯、入れてくれただけでは降りる時に大変な思いをするので、車イスの入れ方をよく説明してよく、人に入れてもらいますが、その時も行為に感謝しながらも、よく,説明して入れてもらいました。「本当にありがとうございます」というと、自動車の中から見えたので手助けしようと思い、横断歩道を駆けてきてくださり何と親切な人なのだろうかと思いました。

 d0019913_15431992.gifある病院のロータリーで自動車から車イスを下ろして身体の移動を車イスに乗り移ろうとしていた時、1台のタクシーが私の車を乗り越えて急に止まりドアも開けたままで、「お手伝いしましょう」と言われた時、私が何かタクシーの邪魔をして叱られるのではないかと一瞬の出来事で最初は思い違いをしてしまいましたが、私を助けようとしてわざわざ止まってくれ親切に手をかしてくれたタクシードライバーの行動は今でも忘れられません。

 街の雰囲気を楽しみながら食事をしたり、映画を見たり、デパートに買い物にと日比谷や有楽町、銀座に出かけますが、この辺は整備が行き届いていて段差もなく歩道も広いし車イスで安心して行動出来る私のテレトリーです。
 身障者用のステッカーを提示し自動車は日比谷通りに駐車します。この地点から行きかう途中で人と通りも多いせいか、いろんな声をかけられます。デパートで買い物帰りに車イスを押してくれたり、自動車の中に荷物を入れてくれたり、私が車に乗り降りするのも手伝ってくれたり、外出する度にいろんな人々に手をかしてもらって感謝、感謝の日々です。最近は左手が痛い為に筋肉も落ちて車イスを操作するのも大変なのですが、よけい人の心の優しさに胸が熱くなります。いつまでこんな外出が出来るか分かりませんが、リハビリに励んで少しでも多くの人とふれあいたいと思っています。
by rakudazou | 2006-02-23 15:19 | 《エッセイ》中村陽子
 左肩、手が痛いのを江戸川でヘルパー会社をしている友人に強く薦められて、昨日、御徒町の駅の近くの湯島針灸医院にその友人の介助で行って来た。外神田の道が迷路になっている古いビルの5階であった。ビルの入り口も段差があったが1段の段差が1台の車イスが乗ってくれたので女性の力でも何とかクリア出来た。エレベーターも横に広い古いもので車イスがそのままではドアが閉まらず、無理やり横向きになりこれも何とかクリアできた。
 その薦めてくれた友人いわくここの医院の院長とは何十年の付き合いで、彼女の今までの体験では殆どよい結果を出しているので、1度はだまされたつもりで入って結果を見て痛みが無くなることがあればそれに越したことはないと言われた。
 d0019913_16215441.gif針をしている時はスーッと痛みが和らいでいくのが分かった。30分くらいの時間であったが、左手を上に上げて下に下すときにはいつもは途中でくの字に肘を曲げないと下ろせなかったのが真っ直ぐに下ろせるようになったし、腕を横に広げようとすると痛みが走ったが、それもいくらか痛みなく広げられるようになった。手の平で押す力も少しは出てきた。全体に左肩が軽くなった感じがしたが、針の治療は持続力がないのである程度、痛みが取れるためには通院をしなければならないし、保険対象ではないので自己負担も増えるが、1週間に1度くらいずつ通ってよくなるのであれば、このような努力も現在の体制を維持、また持続していくためには選択肢の余地はない。
 一夜明けて、朝方、肩の痛いので目が覚めたが昨日の効果は残っている。2~3回通うことで、私に合っている治療法かどうか結果が出ると思う。私の期待は自動車の乗り降りがこれで楽に出来るようになったらうれしいと思っているし、勿論、日常生活もずっと安心して楽に過ごせると思うが、まだ、結果を出すのには早いし、暫く介助でわざわざ江戸川から駆けつけてくれる友人も忙しい人なので、私のためにその度に時間を費やすのは申し明けないと思っているが今は感謝でいっぱいである。感謝、感謝
by rakudazou | 2006-02-23 15:10 | 《ひとりごと》中村陽子
 ◆親切な一声に勇気が出る 

車イスで外出すると必ずと言っても良いほど、通りがかりの人々に声をかけられます。
後者から「車イス押しましょうか」と声をかけられて私「ありがとうございます。どこまで行かれるのですか?」と尋ねると、駅までとか、そこの十字路までとか答えが返ってくる時には、すでに車イスは押されています。私は先の本屋さんまでとか答えると車イスは目的に向かって押してくれます。ちょうど私の頭の上から声だけが聞こえます。「車イスを押すのは大変でしょう」とか、「家の父も車イスなので・・・」と声は聞こえるのですが、今までほんの一部の人だけしか顔を見たことがありません。「おかげさまで助かりました。ここまでで大丈夫です」と感謝の気持ちを示そうと思っても、サッと雑踏の中に消えてしまうと「もう、誰だかわかりません」唯、男女の別と声の感じで若い人なのか、年配の人なのか想像するだけです。
 d0019913_12483018.gifそんな風景がいろいろな場所でさまざまに人々に私はいつもお世話になっています。ちょっとした坂道を懸命に車イスを押していると、私の心が誰か押してくれないかしら?と期待する時もあり、期待通りになる時とならない時がありますが、坂道の後1mというところでも後ろから親切な声がかかり押してもらうとすごく車椅子が軽くなりうれしくなり同時に本当に感謝します。
 国際障害者年以降に何か最も変化したことは、一般の人々の関心を持ってくれることで、何気なくスムーズに声をかけてくれることで、このことは現在では日常化していると思います。そして、どの人も今の時代では車イスを押した経験があり、皆さんとても上手で怖い思いをしたことはありません。慎重な人は「このくらいのスピードでよいですか」と尋ねられます。

 ◆ある婦人の涙 

 今から20年近くも前の体験ですが、私が引越してほんの数日の頃でした。自分の手動式自動車を運転して、住民届けに同時の港区高輪支所は高台に立ってあり駐車場に止まりました。車イスを自動車から降ろして支所の方へ向かおうとするとすごい急勾配の坂で下の道路に落ちてしまうのではないかと不安になるような場所にありました。私が躊躇していると後ろから年配の婦人が「お助けしましょうか」と声をかけてくれました。「私はいつか車イスを押してみたいと思っていました」とうれしそうに話されました。当時は車イスをケアするということは、まだ、珍しかったのかもしれません。何とか急な坂を助けてもらって支所の方へいくことが出来ました。
婦人は私に話しかけて、「今日はとてもよい日でした。車イスを押せるなんて夢みたいです」ととても涙を浮かべて感激していました。私が恐縮するほど喜んでくれた光景が、今でも忘れられません。d0019913_1152434.gif

 ◆感激のひとこと 

 以前にも近くの商店街に買い物へでかけた折、帰り道で若い女性に声をかけられて「どこまでいくのですか」「家に帰るところです」と答えると「家までお送りしましょう」と自宅まで送ってくださり感激しましたが、最近、近くのスーパーでこれから買い物をしょうとしていた時、若い男性が「買い物を手伝いましょう」と車イスを押してくれて品物も一つずつカゴに入れて、レジのところでお礼を言うと「袋に入れましよう」と手早く入れてくれ、今度こそと思いお礼を言おうとすると「家まで大変だから送りましょう」といわれて、送ってもらい袋が品物を出すまでやってもらい、ごく自然な対応に私の方から「ヘルパーさんですか」と尋ねると近くの東邦医大の看護学生だということが分かりました。
 現在、左手が痛いのをおして出掛けているので本当に大変に助かりましたし、世の中には
こんな日は心もすがすがしくなり、世の中にこんなに親切な人が存在していると思うとうれしくなります。

 ◆雨が降ってきて・・・ 

 車イスに乗って外出する時、必ず天気予報を見て出掛けるのですが、時として夕立やにわか雨に合ってしまい、雨が降ってきても濡れるのも仕方がないし、急いでもそれほとほ早くなる訳でもないので諦めていますが、通りすがりの人や近所のお店の人が傘を貸して上げると言われます。車イスで両手がふさがれていることを一般の人考えていないようです。「させないかd0019913_1245977.gifd0019913_12424625.gifら・・・」と断ると自らと私に2本傘をさして濡れないように家まで送ってくれようとするので、以前は「濡れても急いで変えればそれだけ濡れないので」と断っていましたが、現在のように身体が後退して左手が痛いと断ることは出来なくなりました。
日々の暮らしも含めて多くの人々に感謝しなから生きています。
by rakudazou | 2006-02-07 11:47 | 《エッセイ》中村陽子
 この数年、私の住む大田区のそのまた地域に2件、「車イスでも入れる歯医者さん」が出来た。最初の歯医者さんは私の車イスで20分くらいかかるひとつ先の商店街にあることがあるとき発見した。思い切って数十年ぶりにかかった。昨年、私の住む商店街にも2階で開業していた歯医者さんが、店舗が空いたのを機会に1階になり、窓ガラスに「車イスでも入れる歯医者さん」と書いてあり、そこなら10分で行けるので近くの歯医者さんに出掛けるようになった。
玄関は平らでトイレも車イスも利用出来るようになっている。診察室もなだらかなスロープになっていて、私は全く歩行が不可能なので診察台に上がるときやレントゲン室に入るときもなんとか車イスで入ることが出来たが先生などが親切に手伝ってくれた。

 私の長い間のイメージは町の歯医者さんは必ず段差があり、入り口が狭くて車イスの人は行きたくとも行けない。どうしてものときには障碍者専門の医療機関や大きな病院にいかなければ見てもらえないと思っていた。
幼い頃、母が「あなたは歯が痛くなっても歯医者さんにいけないから、虫歯にならないように注意して」とよく言われて、今でも耳に残っている。
これからは安心して生活が出来るが、障碍者の人は日々の歯磨きには気をつけよう!!
そして、どこの町にもこれからはバリアフリーな歯医者さんや個人医院が多くなることだとおもうし、また、そのような便利な世の中になってほしい。重度な障碍者にとっては生きる場が広がることになる。
by rakudazou | 2006-02-07 10:35 | 《ひとりごと》中村陽子
早いもので2月になってしまった。春の訪れも身近に感じられて、気分的に寒さも和らぐ今日この頃である。
私の左手の痛みも一進一退である。室内のほんの1㎝ほどの段差の衝撃でも車イスでは常に注意しないと危ない。物を床から拾うのでも手で何かに寄りかかるのでも移動を停止するときにはブレーキは習慣として欠かせないが、それでもふとした緊張感を忘れると転落しそうなときに気分を引き締める。

転落したときは室内のトイレの側に上下稼動のリフトがある。どこにいても自分の身体と車イスをその側まで引きずっていって、お尻と両脇にベルトを回し、モーターで車イスの高さまで上に上がり、車イスを身体の中心に手で寄せて、車イスの席に着地、いつも途中で落ちてしまったらどうしようと一人移動は怖い。

特に毎日のベッドから車イスの移動とトイレから車イスの移動は我が家であるから現在のところ、何とか危険を感じながら出来るが、もう、外に出掛けて宿泊するときはホテルでもトイレでも移動に関しては一人では出来なくなってしまった。介助者が必要だということだ。
いままで出来ていたことが出来なくなったと実感したとき、がっかりよりホッとした気持ちになったのも事実である。もう、旅行などは介助者がいないとでかけられないということだ。

今、現在、心と現実の葛藤していることがある。私は30数年、手動式装置をつけて乗用車を長い間、自らの足の確保としていた。今でも運転そのものは困らないのであるが、左手の痛みのため車イスから自動車の座席の乗り移りが困難になってきて、時々と失敗しては誰かに助けを求めなければならない。
もう、やめようか?と思う気持ちと何とか努力をして、いま少し運転したいと思う気持ちがゆれている。私から運転を取ってしまうと更に行動力が狭くなる・諦めきれないひとつの理由として、埼玉に住む年老いた母のところに気軽に尋ねていけなくなることである。

2月に10年目の車検を取る予定をいるが乗れなくなる日が訪れるのは分かっている。悩みながらそれでも車検を取ろうとしているのは希望を引き伸ばしたいからである。乗れなくなると私の生きる活力の減少にもなるが、これから2年間、運転出来たら幸いである。
その後の電動車イスの生活のことも常に考えている。これからは公共機関を利用して社会参加することになる。そこに至るまでの経過が難しいが、身体の後退の現実は決して待ってはくれない。
by rakudazou | 2006-02-01 15:40 | 《ひとりごと》中村陽子