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by rakudazou

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 ◆初めて銭湯に通うようになった頃 

 22歳の世間知らずの若い私がアパート生活をするということは一大決心でした。その頃は車イスでアパート生活するのにはオーナーの許可が必要で探し求めてようやく許可が得られて民間のアパートで一人住まいを始めました。1960年代の頃、世田谷区の瀬田という地域でしたが、下町的な雰囲気がどこかあり懐かしく思い出される場所です。
生活をするのにはいろいろと創意工夫が必要でしたが、6畳一間で台所とトイレだけのアパートでお風呂はありません。
 最初は車イスで銭湯に行くことが最も勇気もいるし大変なことでした。しかし、お風呂に入らない訳には行かないし、ある日、思い切って銭湯に行くとまず番台が高いのでびっくり、湯銭を払うのにもひと苦労でした。私は下から上に手を伸ばして渡し番台の人は腰をかがめて手を長く伸ばし湯銭を取ることが出来ました。d0019913_15374239.gif
 清潔になるために銭湯に行くのに、銭湯の床がどんなにきれいに掃除されていても大勢の人の出入りがあるため、私のように這って行かなければならない者にとっては雑巾代わりに拭いて動くようなもので床の汚れを避けることは出来ません。
入る時は汚れても仕方がないと思いましたが、出る時には雑巾にはなりたくなかったので、慣れてくるうちに自分で雑巾を持って行き、床を掃除しながら入ったものです。今、考えるとこれも若かったから出来たことだと思っています。恥ずかしさより一生懸命に生きることのほうが優先されました。
 お風呂の中はタイルで滑り易く、最も大変だったのは湯船に入る時でした。何しろ私の足は立つことも力を入れることも出来ない、両手で何でもしなければ成り立ちませんでした。入る時は手で両足首を掴み湯船の角を使いなが湯船の上に腰掛けてから中に入り、出る時は湯船の端にまずは座り、そして、安全を確かめて外側に倒れるようにして出るので、他の入っている人がびっくりして「大丈夫?」といつも誰かれなく飛んできてくれてとても助かりました。
 必ず何人かの人に「どうしてこうなったの?」と私の障碍のことを聞かれました。周囲の目は現在のように理解されていない時代でしたので、私の存在が「異様」だったかもしれませんが、それでも銭湯に行きたかったし、裸になればみんな親切な人ばかりでした。

 ◆親切な大家さん 

 銭湯に行っていると話しましたら、アパートの大家さんは八百屋さんが本業で、その大家さんが見かねて家の一番風呂に「入りなさい」とありがたいことに言ってくれました。うれしい気持ちと1人で入れるだろうかと言う不安も残りました。車イスでお風呂場に入るとすぐそこに洗い場があり、洗い場に下りたら車イスを外に出さなければドアが閉まりませんでした。「出た頃を見計らって」車イスを持って来てくれると約束してくれましたが私にはとても気兼ねでした。
 そのうちに用賀という近くにゴミ焼却場の熱を利用し、高齢者用と障碍者用のお風呂付の「いこいの家」が完成し、仕事の帰りには必ず「いこいの家」立ち寄って、大きな銭湯にたった1人で独占して、湯水のたっぷりある暖かいお風呂で疲れと清潔さを保ちました。こんな生活が数年続きましたが、世間並みに結婚をして新宿で私はようやく自分のお風呂を持つことができました。

 ◆入浴を欠かさなかった日々 

 入浴のあり方も長い間には幾つかの変化は仕方がない現実なのでしょうが年々と歳を重ねる度に、当たり前に思っていた習慣や行動も置かれている状況が異なって来るのも仕方が無いことでしょう。d0019913_1539215.gif
 自分のお風呂を持てた時にはとてもありがたいことでした。私が安定した日常生活が始まったのは11階の住宅で確か25歳の頃でした。最初の頃は全自動風呂釜浴槽がある普通の浴室内の洗い場を座ったままでも利用し易いように地面から嵩上げしたスノコを作り浴室を改造し、車イスから下りて1段段差を上がると浴槽と洗い場との段差が5㎝ほどでその頃は楽々に入れました。
 出掛けた時は冷え切った足には入浴で温めから寝るのが一番で、その頃はどんな遅く帰ってきても入浴は欠かすことはなかったし、また、この時代は旅行などをしても温泉などがあると積極的に入浴を楽しんだものです。「その時期に出来ることを楽しむ」そんなことをモットーに生きていました。11階の住宅から将来の健康を考えて同区内の新規に出来る「車イス住宅」に移ることになりました。今度は車イスに乗ったままですへての生活が出来るように設計されているので浴室もとても使い易かったです。
 生活に満足したからといってもすべてがうまくいくものではありません。17年近く続いた結婚生活につまずきを感じ離婚の道を選び、また、41歳にしてイチから生活の出直しをしなければなりませんでした。 

 ◆狭いマンションの暮らし 

 1LDKでの港区からの私の再スタートの部屋でした。ベッドを置くと車イスが縦方向には動けても横には狭くてできないくらいスペースがありませんでした。トイレと浴槽が共同になっているユニット式で、あの頃はまだ、腕にも力がありよく暮らせた思うほど、3年近くの生活でしたが、今、考えると唯、一生懸命に生きていました。d0019913_15403636.gif
 トイレのドアを開けて便器の蓋を開けて、車イスを横向けににしブレーキをしつかりとかけて車イスの席からトイレに腕の力で飛び乗るような状態を続けていました。
 入浴する時も大変で周りがすべてユニットなので滑り易く、まず、蓋の閉めた便器の上に乗り移ってから浴槽と便器の間にフラットの丸いスを入れて便器からそのイスに乗り移り、狭い浴槽には足首から段々に入ると身体が浮くので多少の自由は得られることが出来ました。一番、困ったことはシャンプーをする時でよくは失敗をしました。1度お湯を湯船からなくしてシャンプーをして、終わったらお湯をまた、入れ替えて体が浮くようにして至難の業の入浴でした。
 この頃、母が電話しても連絡がとれないと「きっとお風呂で事故にでもあっているのではないか」と飛んで来てくれたことを覚えています。
 今は懐かしく思い出になりますが、あの頃だったから無我夢中で出来たことで現在ではとてもあの時の真似はできません。

 ◆安全な生活を求めて 

 港区で不自由な生活を送っていた頃、都営住宅に募集がある度に、母と一緒に申し込みました。何度目かに大田区で車イス住宅を募集しているのが分かり、品川を越えていくのだから仕事にも指使いないと思い早速に申し込みました。忘れた頃になって1通のハガキが届きました。ハガキには当選とも何とも書いていなく、②と印がしてありました。友達に聞くと「2棟、募集がありその②なら、当選じゃないの」と言われましたが、戸惑いながら時間は過ぎて、また、忘れた頃に電話で新宿にある都立心身障害者福祉センターの住宅実験室に来てほしいとの話でようやく「車イス住宅に入れるのだ!!」という実感がわきました。今度は中古でしたが私にとっては「夢」のような話でした。母と2人で住宅実験室に行き、2人の使い易いように設計をしてもらいました。d0019913_154134.gif
 現在の大森西に引越してきたのは1992年5月20日でした。あれから16年が過ぎようとしています。引越しして数年後、母の体調も優れなくなり、このままお互いに歳を取るには自立した生活が出来なくなると思い、母は田舎に帰り私1人での生活が始まりました。
 誰でも願うことは出来るうちは自分の身辺の行動だけでも最後まで1人でしたいと思うのは当然のことでしょう。入居して今年で16年目、昨年、私は思い切って浴室を大改造しました。
 
 ◆体力の限界を感じて 

 今まで1人で入浴していて、いろいろとアクシデントがあり、周囲の皆さんに迷惑をかけたこともありました。最も体力に限界を感じたのは、私は乳がんをしたことがあり、その時から左手の握力が弱くなり、車イスで生活していると腕を使わない訳にはいかず、これまで懸命に頑張ってきました。年齢の変化と共に更に左手の握力の低下を招き、入浴時に湯船に入ることは簡単でも出るときが大変になってきていました。何かあったらどうしょう!!と思いながら、入る回数を減らしても入浴を楽しんでいましたが、ある日、突然に変化が起こりました。
 発端は隣の車イスで住んでいた女性がお風呂の中で溺死してしまったことです。夢にも思わなかった出来事が人事には思えない出来事でした。私にも充分にその危険性がありうるからです。それから怖くて1人では入浴できなくなり、ヘルパーが訪れる日にちと時間帯に合わせて入ることにしました。出入りのとd0019913_15412935.gifきの注意と背中を流してもらったり、シャンプーをしてもらったり、入浴の軽減になりました。
 しかし、これからの将来、どのようにして入浴をしていこうかと考えました。私が歳を取っても入れる方法、ある人がザ・シャワーの話をしてくれました。高級なマンションや高齢者の施設などにも最近では取り付けてあるそうです。一般の人の場合には椅子に座って全身にシャワーを浴びるのです。最も安全で介助者の負担を無くすのは湯船に入ることは身体が芯から暖まってすばらしいことですが、私にはその限界が来ていると思いました。

 ◆ザ・シャワーを取り付ける 

 いろいろと悩みましたが、その結果、私は湯船に入ることの「夢」捨てました。全身シャワーのザ・シャワーを入れることにしました。ベッドと同じ高さのシャワーチエァーを作り、ザ・シャワーにつなげて足元にはローラーの着いているバケツを置きシャワーを浴びる、このような構想が出来上がりました。1年近くの準備期間を置き、季節の良い4月から工事が始まりました。まず、湯船のコンクリートを壊し床面をフラットにして、排水のことも考えてタイルを張ってもらいました。お風呂場の入り口の左側のタイル面にザ・シャワーを取り付けてもらいました。これからの私の入浴は全介助でなければできません。d0019913_1664763.gif
 ベットの上で裸になりシャワーチェアーに乗りシャワーチェアーは移動するときには背もたれが付いてあり、シャワーとして使用するときは背もたれも折れるように作ってもらいお風呂場に行き、まず、ザ・シャワーで身体を温めます。温まったら私は前の部分の身体を洗い、ヘルパーは足の部分を洗ってくれます。それからチェアーを前に出して背中を流し、シャンプーをしてもらいます。このとき普通のシャワーは髪に洗っている以外は冷えないように身体に当てています。シャンプー後、また、ザ・シャワーの位置に行きシャワーを浴びて身体を温めます。温まった後、全身を拭いてお風呂場を出ます。そして、髪をドライヤーで乾かし、また、ベッドに戻ります。
 このような状態で春夏秋冬、ちょうど1年経験してきました。果たしてこのようにしたことがよかったがどうかの結論はまだ出せませんが、私はこの状態でこれからも生活するしかありません。丁度1年シャワーになって見て、夏場は最も使い易かったですが、冬場は壁の上にヒーターをつけましたが寒がり屋の私には少し辛かったです。これからどこまでこのような入浴の仕方が出来るかどうかも、私の身体的問題なので予測はつきませんが、出来るだけ長くこのような状態を継続していきたいと思っています、ときには湯船の温かさが恋しくなります。機会があったら温泉にでも行ってじっくりと温かさを楽しむつもりでいます。
by rakudazou | 2006-04-23 15:04 | 《エッセイ》中村陽子