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[ 2007-06 -14 14:40 ]
5月1日は私の誕生日である。長く生きれば歳も重ねる一方であるが、今年の誕生日には、真岡市に住むネコとポンタのところへ訪問した。


毎日、ヘルパーが入っているので、最近はいつもヘルパーの出入りの区切りのついた夕方の時間帯に合わせて出かけている。この夕方から翌朝のポンタを起こしに来てくれる時間までが唯一の二人だけの気の休まる時間であるが、何か緊急なことが起きたらどうするのだろうと心配にもなる。
諦めないで生きること
ネコとポンタは元々、障碍者で生きてきて苦労をしてきたのに、障碍が何であるか理解しようとしないヘルパーやケアマネージャーは何なる脳梗塞や脳溢血の後遺症としか扱ってくれず、一番情けなく困ると言っていた。でも、日常生活のリズムは以前より落ち着いて来たように思われる。残された人生を日々の延長戦で諦めているのだと思う。 今や高齢化社会の中に障碍者は埋もれようとしている現状だ。
ポンタは野鳥のメジロの飼育に余念がなく、1年中ベッドの上でしか過ごせないネコはそれを見て嘆いていたが、もう、こうなったら出来ることだけでも生活に楽しみを見出すことしかない。
障碍者に理解のあるドライバーさんだったので、買ってきたお弁当を広げてみんなで楽しく食べて、話したいことはいっぱいあるのだが、思い思いに話し相手になって、二人とつてはホッとしたひとときだったと思う。

彼らが後に末端で生きる高齢重度障碍者の歴史を作るデーターになるような気がする。
特例で電動車イスが背中も足も上下稼動するまるで動くベッドのようなのがあるが、ネコたちには当てはまらず、でも、ネコもそのような電動車イスであったら、もう少し自由な生活が出来るのにと考えてしまつた。同じ重度障碍者でも「天と地」ほどの差がある。
お互いに余命が分かっていれば苦労もないが、分からないから人間らしさがあるとも言える。電話だけでもいいから元気なうちは頑張って生きていることを確認出来ることが唯一の方法である。縁あって真岡市に移りすんで三十数年、これから出来るだけ1年でも長くふたりでこの真岡市営の車イス住宅で元気で暮らしてほしいと願っている。

そういえば、今年の誕生日近くに、私の甥がアレンジメントの花を届けてくれたことを思い出しながら、時々、遠出するのも私の目にも身体にも自然に触れるよい機会になり何よりの健康法かもしれない。