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by rakudazou

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早朝、こんな早い旅は初めて  
 行きたい人たちが参加する、至れり尽くせりの旅行の行き先は今回、東京から直行便で2100k離れた石垣島である。
 3月6日、深夜の1時に大田区をドライバー兼介助のWMさんと私はスタートした。最初の送迎地、横浜市旭区にKOさんの自宅に2時過ぎに到着、次は葛飾区のTKさん宅に向う、3時近くに到着、次に向う江戸川区のYKさん宅は初めての送迎で、距離は無くても地域間が掴めず訪ねながらの移動で時間がかかり到着したのが4時近くになってしまった。最後は新宿区のKTさん宅、いつも家族のようにお世話しているヘルパーさんに見送られ4時半にスタート、一路、羽田空港へ、5時半待ち合わせの出発ロビーに5時過ぎに到着した。d0019913_23311526.jpg車を駐車場に預けたりトイレをしたりしているうちに、今回のバリアフリー旅行専門の添乗員RYさんと合流した。男女の健常者と車イス2名、さまざまな歩行障碍者3名の総勢7名の旅行だか、みんな無事に集合出来て、まずはホッとし安堵した顔があった。
 JALのスタッフが訪れて、少し、歩行出来る人は用意してくれた車イスに乗って搭乗口の長い道のりを案内してもらう窓の外の景色は朝焼けが少しずつ昇って来て、遠くに富士山も見えて、陽が上がる一面が燃えるような暖色に染まり身体まで温かく感じられた。私たちは一足早くに搭乗し定刻より少し遅れて飛行機は飛び立った。

南の島の暖かい人とのふれあい 
 機内で添乗員のRYさんが用意しくれた朝食を食べながら、窓の外から見える雪の頂の中に映える富士山の全容が近くにいろんな角度でその美しい姿を初めて見ることが出来て感動した。アルプスの山々もすべて銀世界に光って見えた。
 雲海から下がり、南の島に近づくと沢山の島々が現れてはまた、幾つも島の上を飛行している。
青い空と青い海、木々の緑、日差しが眩しい、着陸はもう直ぐだと思いながら島の姿が次第に大きく見えてきて、まもなく午前10時40分に石垣空港に到着した。
全員の人が降りた後、乗降口に専用リフトバスが来て、天井のリフトが上がり飛行機の入り口と同じ高さで停止、私たちは空港の用意した車イスで乗り換えて、空港の入口まで移動し、自分の車イスの人と空港で用意した車イスに乗った人たちは空港関係者に誘導されて無事に到着ロビーの出迎えの人々に会えた。d0019913_2242055.jpg 南の島はムッとする暑さを想像していたが意外に爽やかな空気が流れて来た。出迎えのお世話になるリフトバスの平田観光のスタッフの皆さん、それにWMさんの知り合いで現在、石垣島に住んでいるSHIさんが笑顔で迎えてくれた。
 車イスが8台も乗れる大型リフトバスで平田観光のヘルパーの資格を持つ介助するスタッフを揃えてもらい3台の車イスも用意してくれた。
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今回は参加する人と介助する人とのワン・ツゥ・マンの手配である。早速にバスに乗り込み石垣島観光へと早朝からの長い1日がスタートした。

偶然の出会い
 今回の旅行で現地での女性の介助者が必要であった。旅は出会いの始まりでもあるが、石垣島でのSHIさんは1年前まで大田区の施設の職員だった。趣味のダイビングが高じて、石垣に住み、地元でヘルパーをしながらダイビングを楽しんでいると聞いていた。彼女に会うまで「きっと真っ黒に日焼けしているだろう」と想像していたが、逢って以外だったのは彼女は色白の健康的な美人であった。「30歳になるから日焼けにとても注意しています」とのこと、長袖の衣服で大きな帽子をかぶり1年中、同じスタイルだそうだ。ダイビングをする時もいつも夕方の陽が暮れたから潜るとの話である。沖縄の島々のエメラルドグリーンの海に魅せられて本土の人々がしばらく移り住むことを「沖縄病」というそうだが彼女もそのひとりかもしれない。d0019913_22423142.jpg 聞いて驚いたことはSHIさんの生まれは春日部市ということだ。戦後から私の両親が住み、現在は年老いた母が1人暮らして、近くには長男夫婦と妹夫婦が住んでいる場所である。そして、大田区に移り住んだこともあり、旅先でそんな人と出会うのも偶然である。
 沖縄の人々は100歳を過ぎている人は当たり前の長寿の島である。この石垣島にも長寿の人は多いが、身体は健康でも歳を重ねると「刺激がない」ためか?認知病になる人が多いと語ってくれた。
 後に彼女がメールで届けられた美しい海の中の魚たちと戯れる世界を見たときに、喧騒から離れて1年中、暖かいのどかな島の暮らしは、障碍を持つ身には「楽だなぁ」と感じられた。

石垣島での体験 
 バスは最初に石垣市街で一番高いバンナ展望台に向い、みんな降りて急な坂道を介助する人々にひとりひとり助けられて展望台に来られた。180度パノラマの世界は市街地が一望出来て離島が眼下に広がって見られた。d0019913_22435816.jpg 次は石垣島の景勝地、八重山民族園で石垣島での最初のランチタイムである。グンクルという沖縄特有の魚のカラ揚げを中心に健康に良いゴーヤなどの野菜や海の幸であった。
食後、案内されたのは、元名蔵の丘に八重山の代表的な赤瓦の家が移築復元された名家の中庭での沖縄地方の魔よけの表徴、シーサーの絵付体験である。白地のシーサーにいろんな見本を見ながら絵の具で色を自分で絵付けするのである。出来るか出来ないかは別として、日差しの強いパラソルの下でみんなの絵付体験は個性が現れて楽しいシーザーの土産が出来た。d0019913_22443513.jpg 伝統工芸のシーサー織の染職元を訪れたり、
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富崎観音堂近くにひときわ目をひく中国人のお墓。1852年、アメリカ船内で起きた不幸な事件の犠牲者となった中国人が、地元の人々により手厚く葬られたのが唐人墓は観光地になっている。

石垣島から西表島へ  
 石垣島では東京より時差が1時間あり、陽が沈むのも1時間遅い日差しの明るい石垣港から大原港に定期船に乗り平田観光の介助する人たちと共に、40分の乗船で西表島に向った。多くの船と行き交うがこの海には潮風の匂いはしない。
 日差しの眩しい大原港に到着、海の色はより深くエメラルドグリーンだ。アロハシャツ姿のスタッフが出迎えてくれた。西表観光のリフトバスは西表山猫のマークがついていて、迎えてくれた若い人はドライバーさんだった。d0019913_22462180.jpg「これから1時間30分ほどのドライヴですよ」と言われてバスは安全運転で走り出した。緑と海岸沿の両脇には家並みは全くなく見渡す限り青い静かな海の彼方には幾つもの離島の姿を見ることができた。本土では見られない黒糖の木やガジユマル、シダの木やマングローブの木や花々や民家も台風に強い出来ていいて屋根の瓦も沖縄独特な丸い形が羅列した瓦も風に強く作られているのだろう。d0019913_2247239.jpg ドライバーさんは走りながら、まるで世間話をするかのようにいろいろと西表島の観光案内をしてくれた。島には2つの信号しか無いことを信号機のところで話してくれた。これらの信号は島の子供たちの教育のために作られているそうだ。台風の時に電柱が倒れて来て曲がってしまったガードレールのこと、台風の勢いでマングローブの木々がなぎ倒されている姿がそのまま残っていた。橋の上では右側は海で左側は川だと説明してくれた。住民は月に何度か定期船に乗り石垣島に買い物に出かけるそうだ。西表島から見ると石垣島は都会だと思った。

西表山猫は昔は食料とされていた
 舗装されている道路には車の行き交いは少ないが、この舗装されている道路の地下には、天然記念物になっている山猫の通るトンネルが大小90ケ所も作られて山猫の生態を常に監視カメラで調査しているとの話である。間違って旅の人とかトンネルの中に迷い込んでしまうとカメラで撮られてしまうそうだ。
 現在、100頭以上の山猫が生息されているとのことである。1頭の生息範囲が1k以上の場所で獲物を取っているらしいが、現在は滅多にはないらしいが車に挽かれた姿を見ることはあっても保護化にある山猫を見る機会は殆どの人が見ることはないとの話である。山猫を見た人の話では猫といっても野生味あふれる勇壮な姿らしい。d0019913_2345094.jpg 昔は島で取れたものは何でも食料にしていた島人は山猫も捕獲しては食べていたこともあったとの話で「どんな味?」と訪ねたらチキンのような味だと島の長老は語っていた。
 現在では、西表島では家庭で猫を飼うことはいろんな条件があるとのことである。家の外には出さないこと、予防注射を受けること、身体にチツプを取り付けること、これらを守ることにより山猫の保護も守られているらしい。誰の目にも触れることのない西表山猫、その珍獣の出会いを求めて観光が成り立っている島とも言える。

南の島のエキゾチックなホテル  
 西表サンクチュアリーリゾートニラカナイは、中に入るとバリ島を思わせる雰囲気の南国のホテルであった。冷たいお茶で迎えられて海の一望出来るロビーに続く1階のバリアフリーな部屋に案内されてホッと一息ついた。d0019913_2253406.jpgディナーは和洋中のブッフェで沖縄らしい食材もあり豊富に揃えてあった。みんなでゆっくりと選んで飲んで食べて、ようやくと遠くの南の島に来た実感が沸いた。
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 部屋に戻り介助の必要な人は介助を受けて入浴をした。沖縄地方では入浴する習慣はなく、ホテルなどには本土用の施設にはバスが付いている。
今回、同行している男性のWMさんは勿論のこと、添乗員のRYさんはヘルパーの資格と経験もある高齢者・障碍者の多くの旅行専門の実績を持つ若い彼女は介助もテキパキとこなす障碍を持つ人が共に旅をする頼れるパートナーである。入浴で疲れを取り戻し20時間近い1日はようやく終わった。
 その夜中に停電があったらしく、ちようど、トイレに行こうと起きた人が、様子の分からない真っ暗の部屋の中でトイレを探すのにとても怖い思いをしてしまったと語っていた。こんなことは、後々まで心に残るであろう。
 この2~3年の私の身体状況は左肩腕の痛みに伴う衰退は、旅行中の車イスからの移動は介助が必要な状態になってしまった。

離島めぐり
 のんびりとホテルに続く海辺の散策をたのしみ朝食を取った。10時に昨日と同じドライバーさんとリフトバス、そして、昨日、一旦、石垣島に帰った平田観光の介助をお願いしている皆さんたちと共に迎えに来た。
本日も快晴、一路、大原港から船浮湾遊覧船に乗り白と淡いブルーの美しい南の海の中、マングローブのジャングルの続く森の遊覧を楽しんだ。白浜から船浮は目と鼻の先、船浮集落は交番も郵便局も病院もないし、売店と自販機が一個あるのみ。「舟浮は時間が止まっている」感じがする。港から、40秒も歩けばそこは集落の終わりである。集落のはずれにある民家の飼い犬が吠えかけて挨拶しているようだ。庭先には自然にランやハイビスカス、ブーゲンビリアの花々が咲いて綺麗だ。
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 民家の細い道をみんな車イスで移動した。長老はサンシンを弾きながら島のことを語りながら案内されたのは古い木造のレストランだった。すべて自然の素材で作られた器と見た目にも美しい料理は京都の人が島に移住し京風懐石の沖縄郷土料理のランチである。d0019913_2302892.jpgグンクルのカラ揚げは「たかさご」とも言い、骨ごと香ばしく食べられる。飲み物にリクエストした濃くのあるマンゴジュースは平田観光からのプレゼントにみんな感激した。d0019913_22562980.jpg 
 食後、長老のサンシンと島の観光案内の人に導かれながら、西表山猫の発祥の地や、船浮集楽にたったひとつの小学校と中学校が一緒に建っていた。広々とした校庭と立派な体育館もある正門の前でひと休み、案内の人の話では小学生3人、中学生か2名、校長先生を入れて教員が9名いるそうだ。これらの離島では運動会の時期なると生徒も先生も家族も島挙げて参加し、近隣の島の運動会もお互いに島を挙げて賑やかに交流を深めるのが習慣だそうだ。
 一本道を歩くこと数分、集落の周りの海辺は潮が段々と引けて魚たちが飛び跳ねている。サンシンを弾きながら島の長老は大きな枝を大きく広げているガジュマルの下の古い墓の前でこの集落の由来を語り、サンシンに合わせながら長老の仕草に合わせてみんな身体が動き心から楽しそうに踊った。
 d0019913_22544394.jpg大原港に着くドライバーさんが釣りをして待っていた。収穫はハリセンボンとタコ、龍のオトシゴだった。龍のオトシゴは触ると尻尾を丸くして鎧のようだった。ハリセンボンは触ってもおとなしかったが「フグ」そのものだ。今夜のおかずになると言われた。

水牛車に乗って  
 島全体が亜熱帯植物園になっている由部島まで水牛車に車イスのまま乗ってゆっくりとゆられて千潟を渡っていった。
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水牛車は観光シーズンには土日は大忙しそうだが、角のある雄の水牛だか、お尻を追いにたたかれて、早く歩くもの途中で息切れしてしまう水牛もおり、水牛は巨体な身体をしているがモクモクと仕事をして大変な労働である。ご褒美に枯れ草を食べて、汗をかくと身体に熱がこもるで、日に何回もプールで熱を洗い流してあげるそうだ。
 d0019913_2333148.jpg大原港でリフトバスのお世話になったドライバーさんは茨城県の出身で北海道にも住み九州でも働き、いつの間にか西表島に住むようになりしばらくは暮らすそうだ。石垣島に向う船に乗った私たちを港からいつまでもいつまでも手を振っていた。

石垣港での夕焼け 
 夕焼けを見ながら石垣島に到着し、今夜のホテルは港から歩いて行ける距離で平田観光の人たちも手伝ってもらって、10分もしないでホテルイーストチャイナシーは港の直ぐ前のホテルだ。私は部屋に案内する前にフロントの人に明日の朝、ベットから起きる介助を依頼した。
 女性の部屋は少し狭いが簡易ベットが入ってベッドが3つ、男性の方はとても部屋が狭いと言われた。昨日、入浴していて本当によかつたと思った。
 夕食は沖縄風の洋食、前菜が出てスープ、石垣牛のお寿司やいろんな種類が出た。泡盛やオリオンビールを飲み、短くも内容の濃い旅行に対してみんなで乾杯をした。食後、WMさんが下見をしてあったこの石垣の街の中に参加者だけで出かけた。街は賑わっていたが歩道が凸凹で段差も多いので、みんな注意して歩いた。15分ほどのところに明るいアーケードがありWMさんが見つけてくれていたのだ。お土産屋さんもいっぱいあった。KTさんはそこで殆どのお土産を買っていた。こんな自由時間も楽しいものだ。こうして、石垣の夜の雰囲気を味わいながら無事に戻り宵は暮れていった。
d0019913_23341387.jpg 帰る日、朝、8時30分にレントランに集まりバイキングだった。おかゆをたべたりご飯食を食べたり、パン食を食べたり思い思いに選んでゆっくりと食べた。既に荷物にフロントに下りている。
 平田観光の大型リフトバスが10時に迎えに来ていた。ホテルから石垣空港までは20分ほどで到着した。
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 空港に降りてお世話になった平田観光の皆さんたちとバスの前で記念写真を撮った。皆さんは空港の中でまで入り空港内のお土産売り場をいろいろと案内してくれた。石垣市長もお勧めというトマトプリンを私は買ってしまった。
 
南の島との別れ  
 いよいよと搭乗時間になり、たった2日間だけど、親身になり車イスの介助やバスの乗り降りのお世話になった平田観光の皆さんとのお別れは、旅の出会いと別れはいつも味わうことであるが、名残惜しくて目頭が熱くなってしまった。d0019913_2325524.jpg12時に石垣島を発ち、40分ほどのフライトの中で添乗員のKYさんが沖縄風のおにぎりなどのランチと飲み物を配ってくれた。途中、宮古島で乗客の乗り換えと給油で20分ほど歩ける人はみんな宮古島空港に降りた。乗務員の話ではや宮古島にドイツと姉妹都市になっていて、島にはドイツ村もありドイツ人も住んでいるとの話であった。羽田空港に15時40分に到着、JALのスタッフがひとりひとりに付き、エレベーターの乗り換えとトイレを使用して、ビルの中を移動するだけで車の駐車している側まで案内してもらった。皆さんにお礼を言い、一番今回、いろいろとお世話になった添乗員と介助を気持ちよくしてくださったKTさんともここでお別れ、車の中でみんな手を振りお別れをした。

我が家までが旅の終わり 
 私たちは旅の時だけ合い、そして、我が家に着く時には、また、しばらくのお別れをこれまで何度も繰り返してきた。最初に葛飾区に車は向かい、TKさんとお別れ、次は江戸川区のYKさんとお別れ、ここまでが首都高速が結構渋滞してしまった。新宿区のKTさんを部屋の中まで連れて行きお別れ、最後はまた、首都高速に乗ると都会の夕焼けがビルとビルの谷間に今、明るい日差しを陽が落ち沈む瞬間が見られた。東名高速の降り口を間違えて、横浜市旭区のKOさんとのお別れは8時を過ぎてしまった。何度か高速の上から大田区を行ったり来たりしながら、私の家に到着したのは10時になった。みんな元気で無事に帰宅出来たことを感謝し、WMさんの行くときの深夜から帰りの夜遅くまでの運転に心から感謝してお別れ、WMさんは10時30分過ぎる帰宅になるだろうと思った。
d0019913_22355145.jpg 003.gif長年のホイラー号、沢山元気に走ってくれて本当にありがとう。
 いつも今回で旅も終わりと思いながら、何故か思いは遠い彼方に向いている。

by rakudazou | 2008-04-19 22:47 | 《エッセイ》中村陽子
筑波山の麓の和風レストラン  
 以前、仕事先の周辺でランチの時間に車イスで入れるお店をいろいろと探しているときに、出会ったのが最初で同区内で元々の土地の人だった。手軽な値段で和風のステーキと野菜をいっぱい出してくれるお店には、1人でもいろんな人を誘ってよく食事に出かけてオーナー夫妻とも仲良くなった。d0019913_13132110.jpg
 だいぶ前に二人が尋ねて来られて、つくば市に移転したことを知った。新しくオープンした和風レストランに機会を見つけて母を誘って出かけた。年老いた母でも食べられる柔らかくて美味しいステーキとお刺身に満足し、近くの車イスでも入れるイチゴ狩りのハウスでいろんな種類の採りたてのイチゴの甘い味に大変喜んでくれた。
 そのとき、オーナーシェフの夫妻はバリアフリーのレストランを作りたいと語っていた。

バリアフリーのレストラン・オープン   
 オープンしてまもなく、障碍を持つ仲間たちと一緒に日帰りイベントで出かけた。広々としたスペースに吹き抜けの天井と木の香りのするレストランの奥には、疲れた身体を癒す足湯もあり、観葉植物ものびのびと育ち何か温室にいる雰囲気である。d0019913_131454.jpg
何よりも、窓の外に一望できる筑波山の勇姿と四季の移り変わりが見られることはストレスか解消と健康によい素晴らしいレストランである。
 完全予約制で和風テスーキの他、手打ち蕎麦、新鮮な時期のものの野菜など事前に予算と食べられる量を相談するとその人たちに合ったメニューにしてもらえるし、何よりもうれしいことは、周囲に気兼ねしない少ない人数でも大勢でも完全にお客さんの予約時間になることである。d0019913_13142836.jpg
 駐車場有り、レストランの入り口のスロープ、中には車イスで入れる広いトイレも有り、現在の高齢化社会でこのようなバリアフリーのレストランは、ドライヴをしながら遠くからも家族揃ってお客さんが訪れるということだ。オーナー夫妻の趣味のガーデニングも本格的で、花の咲く木々が沢山あり、季節の花々も手入れされており見るのもたのしみのひとつになると思う。
 食後は四季により、イチゴ狩りやブルーベー狩りなども体験出来て、近くに出かける人には是非、お勧めのレストランである。

 詳しい案内は下記のページをご覧下さい。
http://baramon.be/about/
by rakudazou | 2008-04-08 13:18 | 《エッセイ》中村陽子