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by rakudazou

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散歩・散策

渋谷の街 
 京浜急行、JRだけではなく地下鉄銀座線、新しく出来た地下鉄副都心線に乗る機会があった。
 7月の初めには梅雨の合間の晴天の日に、久しぶりに表参道に出かけた。名目は全国の物産店巡りをしようと当日、行き先を決めて、朝、約束の8時にガイドヘルパーさんが迎えに来た。大森町から京急に乗ると8時台はまだ、通学、通勤の人で混雑している。泉岳寺で乗り換え新橋に降りたが、新橋から地下鉄銀座線に乗るには、エレベーターも2回乗り換え、地上で道路を横断して、ようやく地下鉄に乗り継ぎが出来た。表参道前の駅で降りて地上のエレベーターに乗ると、俗に青山通りという国道246号線の前に出た。
この辺は以前にはよく車で走った。骨董通りや青山墓地に通じる道路はさくらの季節に通り抜けた。神宮外苑のイチヨウ並木は枯葉の頃、車イスが埋まったときもあったが、今では名所になってその時期にはとても混雑するようだ。
まだ、店先もオープン前で人出も少なくて、青山通りと明治通り間を昔からけやき並木があり、表参道通りと呼び、パリのサンジエルジエ通りを思わせる都内でも今では有数の観光地になってしまった。昼間でも人並みが溢れているそうだ。ケヤキも下から見下ろすと本当に大きな大木に育ち、両側のケヤキの木の枝で空が隠れそうである。d0019913_17155388.jpg早くに到着したので朝の静けさが残り行き交う人も犬の散歩やそれぞれと通勤に向う人のようだ。この表参道も様変わりし、通りに面しては殆どが聞いたことのあるブランドの店ばかり、表参道ヒルズの入り口もまだ、静かで目的のカフェもまだ、オープン前であった。この表参道から少し路地に入るといろんなカフェやレストラン、様々な店先がありそりほうが見ていてたのしい。
 そんな路地の通りに新潟県の物産店「食楽園」は入り口がバリアフリーに出来ていて、オープンの少し前に店の中に入れてもらった。目移りしながら食べたい物を選んで12時までに自宅に到着した。

駅が出来た。 
 今だ、新宿の地理は忘れないが、私かこの町から離れて暫くすると明治通りは通る度に長い間工事が続いていた。その工事も終わり、それが地下鉄、副都心線だった。長い事、新宿区大久保3丁目付近は駅が遠くて、都バスに頼っていたが、環状線の道路の中心に地下鉄が出来た。渋谷から新宿、池袋、和光市まで開通し、将来は川越市まで行くそうだ。
 私が長年暮らしていた明治通り沿いに渋谷から6番目の駅「西早稲田」駅が出来た。西早稲田は明治通りより右の奥に入った場所であるが、きっと分かりやすいのでこの名前にしたのだろう。
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 エレベーターで地上に出ると見慣れた風景が見えてきた。この駅は、今は亡くなってしまった友人が住んでいた目の前で、きっと彼が元気でいたら喜んで一番乗りして利用したと思う。
 歩道を右に数歩動くと待ち合わせのファミレスが見えた。今日はここで地域の馴染みの友達2人と待ち合わせている。店の中に入ると2人は既に来ていた。みんな会うと昔の時間帯に戻ってしまい、何気ない会話が弾み、みんな確実に変化しているはずなのにそんな年月を感じさせない。今までにもこのようにして近くで会っていたが、このような便利な場所に駅が完成して、これからもこんな機会が作れるだろう。車イスにとって都内の公共交通アクセスは世界に誇れるように近年充実されて便利になった。
by rakudazou | 2008-07-25 17:01 | 《エッセイ》中村陽子
d0019913_16582873.jpg友人の再会
 新盆の送り火の日、花田春兆さんに10数年ぶりで再会した。彼は俳人、著述業、障害者文化の研究と実践活動、重度の脳性マヒの障碍者で高齢者だ。この世界では有名な人だ。 
 南麻布の外苑西通りに面した、麻布慶福苑という特別養護老人ホームの3階の個室にいつもの見慣れた春兆さんが後ろ向きでパソコンに向かっていた。
振り返った彼の笑顔は最初に出会った頃と殆ど変らない、まるでタイムスリップしたような姿だった。お互いに月日を経て、いろんな事があったのに今年で83歳になるなんて思えぬ昔のままである。以前からの彼は人から見た「幸せ度」は苦労も人への哀れみも憎しみもみんなその笑顔の中に隠し表さないことだ。そう、常に自然体で誰から見ても何か手を出したくなる人徳な性格と詩の心で生きている人である。
 ホームに入って制約もあるだろうが春兆さんなりに自らのポジションをしっかりと確立した生き方を貫いていた。「電動車イスとパソコン」を見た瞬間に感じられた。すでにこのホームで10年の月日が過ぎているとは感じられない、優しさと屈強な精神と鋼鉄な肉体がにじみ出ている。この施設の中でこのようなメリハリを持って生活している人はきっと他には居ないであろう。この中での平均年齢は89歳だと云う、100歳を越えている人も多く居ると云う、しかし、春兆さんははるかにそれらを乗り越えられるほどの生命力を感じられた。 創作能力が落はますます盛んで仕事をするためにこのホームに入ったと本人が語っている。自らのするべき仕事が湯水の如く出て来るということは最も幸せなことだと思う。
 送り火の時間が訪れて、用意された祭壇に春兆さんは最後になり、手を合わす時に祭壇に背を向けてソッポ向いた態度に、今までの彼の人生のすべてを物語っているような感じがいつまでも心に残った。

牛乳とチーズ   
 昔から家を出る時に春兆さんはいつも1本の牛乳とチーズを必ず持ってでかけていた。決して食の贅沢も姿格好も構わなかったというよりは1人では構う事は出来なかった。筋金入りの鋼鉄の身体はそんな年月を経て作られたのだと思う。
 以前は他に用事の無い時には港区芝5町目の都障害者福祉会館の2階の図書室の奥の机にいつもその姿があった。1日、夜、9時まで彼はいる。この場所がずっと仕事場のようだった。電動の充電も職員とかしてくれて、何くれとなく、誰彼となく尋ねてきてはみんなが春兆さんを支えて来たし、また、そのような雰囲気にさせる人だった。
 私が同区内に住んでいる頃、夜、9時過ぎに赤信号で私の運転する車が停止している時に、横断歩道に車イスの黒い陰が走っていく、よく見るとズボンの裾を引きずった春兆さんが真っ直ぐに前を見て通り過ぎる光景を何度も見かけたし今は思い出になっている。
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 ある時、港区役所で一緒になった。応対に出た女子職員が私に向かって「春兆先生は俳人だから変ったところがあり入浴がお好きではないみたいです」という、また、続けて「先生がおいでの時には、私は息を止めています」と云った。私は春兆さんに向かって「入浴が好きでしない訳でないわよね」と云うとと彼は大きな声で「違う・・・」と答えた。私はその職員に向かって「入浴が思うように出来ないだけで好きでそうしている訳ではない」と云うと職員は顔を赤らめていた。
 確かにホームに入る前の春兆さんは家族がいるのに思うように世話をしてくれてない現状があり、時には臭うこともあったが好きでしていた訳ではない。

仕事で入った。 
 その昔、私は仲間と共に新宿区立の福祉センターの一角で「ふれんど」と云うみんながふれあいの持てるような喫茶店をしていた。外からもいろんな障碍を持った人が集まったが、春兆さんは隣りの全国障害者勤労福祉会館、俗に戸山サンライズを訪れた時には必ず訪れて食事をした。メニューはいつもピラフかカレーだった。「どうしてなの」と私が尋ねると「野菜も一緒に食べられるからさ」と彼なりに健康のことは気づかっていた。
 慶福苑の帰りに名刺をもらったが文字が小さくて読めないと云うと春兆さんは「拡大コピーで大きくしてみるくだなぁ」と云われてしまった。後に本当に拡大コピーをして春兆さんへメールを送ったら直ぐに「証拠の返信だよ」とメールが届き「仕事をするために入ったのだから、他の高齢者と一緒にするな」と云う内容であった。そして、この中に入っている高齢者は人に甘えていると云った。まさに住居というよりはパソコンがあり本がいっぱいあり、乱雑に書類が散らばってありベッドがなければ仕事場そのものだ。
 しかも、食事も入浴もすべて付きで、一般の人は9時には寝かされるそうだが春兆さんは11時にベッドに入ると云う、みんなから「先生」と呼ばれて、多少の制約はあっても迸る詩や日本の障碍者の歴史を書くには適しているし、確実に老いは来ていると思うが、彼の熱い思いのほうが勝っているように感じた。d0019913_16592424.jpg
by rakudazou | 2008-07-21 17:00 | 《エッセイ》中村陽子