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by rakudazou

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友達の愚痴 
 車イスの友達との久しぶりの電話での時である。以前は広い考えを持っていたが今は生活感のある愚痴話しを話題にした。自動車でスーパーに出かけた折の事、家族連れが車イスマークの駐車場に車を停めて行こうしていたので「ちょっと、そこは何の駐車場か知っていますか」と小さな子供連れのお父さんに声をかけた。「空いているのだからいいだろう」「あなたのお子さんも大人になったら同じ事をしてもいいのですか?」すると自動車を他の所に停め直したそうだ。
友達は、この頃、歳なのかムカツクことが多くあり、ハッキリと云ってしまったよ。もっと頭に来たことがあるよ。d0019913_2303964.jpg
 トイレが我慢できなくて車イス用のトイレの鍵が壊れていたけれど入った時のこと。ドアをドンドンと叩くんだ。「入ってますよぉ」と何度か叫んでもまた、ドンドンとドアを叩くんだ。そのうちに空けられてしまった。子供連れのお母さんが立っていた。本当に呆れてしまって「子供の教育は学校だけではないと思いますよ。あなたは子供にこのような道徳を教えているのですか?」と云ってしまったよ。「学校だけじゃないだろう道徳を教えるのは・・・きっとその母親は自分の親から教えてもらっていないのだよ」と嘆いていた。d0019913_2314619.gif

徳がマナーを邪魔している 
 マナーとは自然と育って行く中で身に付くものだと思っていたが、今日だけではなく昔から、強い者だけ生き残れるというか、マナーの風習を積極的に教育されたとは思えない。 私の子供の時代を振り返ってもマナー以前に日本人の風土が邪魔をして、身体の不自由な者が家族にいることを世間の目から隔離したい傾向があり、現実に物心がついた幼い頃に人の前に出たがったり、祭りや人混みに出す事を好まず「家の中では好きな事をしても外には出るな」とハッキリと云わなくとも、世間の目から離したいという親の気持ちを汲み取ったように思う。多分それは親が悪いのではなく歴史を考えると「福祉」と云う教育が公になった現実はまだ、日が浅いと考える。戦後が始まり日本人の持つ道徳は変わってしまった。
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権利の時代 
 本当の障碍者の権利は1981年の国際障害者年10年から始まったと考えられる。
戦後の教育の中で親たちが果たせなかった夢を、子供に託して育った子供たちや、その子供の時代では、いつの間に希薄な世の中になってしまった。
平和の時代になり善意を持ち合わせる人も、身心共に素直に行動が出来る人々の存在を感じられるようになった。国を挙げてのアピールは国際障害者年の中でいろんな障碍を持つ人々の参加と平等が世の中に知られるようになったが、最も変化したのは一般の人々の目腺であり、それまで簡単に出せなかった言葉や行動が自然と現すようになった。そして、バリアフリー化も公共の建物や交通機関、街づくりと「障碍を持つ人に便利な物は誰でも便利」な時代となり、より重度な四肢マヒ等の電動車イスの障碍者も社会参加が出来るようになった。
しかし、すべての障碍を持つ人に満足な設備を望むことは難しく妥協が必要でもある。そして、障碍の重軽を計ることは難しく、障碍者が障碍者を差別するこのことは最も許されないことである。今も昔も運動の原点は1歩下がった視点で見ることが大切である。
 高齢化社会の中でトイレやエレベター駐車場の問題、段差等がない安心して出かけられる街づくり、公共の建物や公共交通のバリフリー化、自らの車イスドライバーの他に、車イスのままで乗れるリフト付きやスロープ付き車両の発展により多様な選択が出来るようにはなった。
いずれにしても作られた物はすべての対象者に相応しく使われているか、管理されているが問題である。d0019913_2352783.jpg
生きる権利と生活の利便さを求めて身を持って多くの障碍を持つ先駆者が努力と運動の結果として制度化されていった。現在では事実を知らないままに、今の障碍を持つ人々は行政が作られた制度として受け止めている。
モラルやマナーは、自分がされて嫌なことはやめる。そして、うれしいことは率先して行動に現す、この基本的な気持ちをすべての人が共有されるような社会にすることが平等と参加の世の中になると思うし、すべての障碍のある人々は積極的に外出する機会を作り、体験した事を意見として出す事により、社会環境や義務化がより明確に位置づけられてくる。

自らの位置づけ 
 バリアフリーの向上で、公共建物や駅舎や街づくりの中でエレベーターの義務付けにより高齢障碍者、障碍者ではなく、最も恩恵を受けているのはベビーカを押すお母さんや大きな荷物を持つ人々である。絵文字で掲示されているエレベーターやバス、電車等の中では空いている時には、誰でも便利に使って構わないと思うが、その場の状況を常に把握し順番を合理的に決めるべきだと思う。その現場に居合わせた車イス等の当事者は急いでいる場合は「優先されるのは当たり前」ではなく「先にお願いします」の一言も必要な事であると思う。d0019913_2361835.jpg
車イストイレの場合、一般のトイレと隣接されている時のほうが、使用されている率が多いように思うが、別の場所に独立されているトイレは空いている。また、傾向として、病院、高速道路のサービスエリアのように公共施設の最近では「車イス用」トイレ以外に一般のトイレの中にユニバーサルデザインの障碍者にも子供と共に母子用の優しいトイレが多くなり、後は使う人々のマナーの問題だけである。d0019913_2365368.jpg
車イスマークの駐車場も、警備員のいる駐車場では使い方は守られている様子であるが、高速道路のサービスエリア等の警備員がいない場所では、停める人のモラルの問題となり、せめて堂々と駐車したい人は車両に「車イスマーク」を付けてほしいと思う。車イス使用者が移動する場合は誰が見ても判るが、障碍を持ち運転する、或いは同乗している事は、車両の外側から見るには全く判らない事になる。もし、危険を避けたい場合には「車イスマーク」を付ける事は基本的なモラルになると考える。
 車イスマークの駐車場を利用するために既に地方自治体が先駆けて、スーパーや公共施設の中での登録制度によるリモコンカードの発行とか勧められている。思い遣り制度らしいが、全国に共通したマークの色の認識、制度化を急がなければならない。d0019913_2373168.gif
by rakudazou | 2008-11-02 14:15 | 《エッセイ》中村陽子