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by rakudazou

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身体の変化とほころび

身体の衰退  
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 6月の頃、地域の医療機関、大森中診療所へ行った。内容を聞き終わると消化器科外科の医師が「長い間、同じ姿勢でいたので内臓の動きが悪くなっている」と告げられて納得したことがある。ある時期から車イス~自動車、自動車~車イスへの乗り継ぎを失敗するようになった。動く度にいつも負担のかかっている左肩が痛むようになり年齢を感じるようになったが、その後、腱板炸裂痛と診断され「リフトでの生活を考えなさい」と言われて先行きが想像出来るようになった。車イスと自動車の間に落ちて幾度となく助けを求める時が続き、次第に乗り継ぎの不安が募るようになってきた。確か2008年2月に東京厚生年金病院へ自動車を運転したのが最後になって驚くほどにあっけなく終ってしまった。その後も次々とほころび出て、自らの余生を考えるようになった。

命の恩人  
 d0019913_151229.jpg昔から歩けないとか車イスとか見た目の不自由さよりも、マヒによる影響で排尿排便の精神的な不自由さがどれだけ重荷であった。多くの医師に常にお世話になって来たが、障碍のある身体を理解してもらえる医師に出会うことは少なかった。今日までの命をつないで来られた医師の力にお陰である。当時、脊髄にマヒのある泌尿器科の医師として、日本の5本の指に数えられる宮崎一興先生と出合った。私は独り立ちして常に少し動き過ぎると高熱を出し治ったかなと思うと高熱を出し、尿感染から腎盂炎を繰り返し、22歳の時に「働いていない腎臓は悪い影響がある」と宣告されて右腎臓を摘出した。これで元気になれると思っていたがやはり腎盂炎を繰り返していた。
 昭和40年の終わり頃に、新宿区戸山にあった国立身体障害者センターの病室の看護婦さんから、箱根の病院から月に1度だけ入所している人々を診て下さる医師に「騙されたと思って1度診てもらったら・・」と親切に声をかけてもらった。そして、宮崎先生に初めて会った時に「君はもっと長生きしたいだろう」と唐突に話された。「このままだと天使になってしまうよ」と私の障碍と膀胱と腎臓の関係を分り易く説明されて、ようやくと自らの現実を理解し納得することが出来た。
 まもなく、当時の国立箱根療養所(現在の国立箱根病院)に入院して、膀胱の周りに出来ている壁室を削除するための手術をした。この手術を期に次第に高熱が出る前に抗生物質を投薬し、高熱は出すことが少なくなった。最初の頃、先生に自己導尿を勧められた。なかなかと1人で出来ないでその度に時間を費やしていると私に向って「小学3年生の子が出来るんだよ」と何気なく云われたことに奮起して、自己導尿が出来るようになってから安心して外出や旅行が出来るようになったと思っている。自己導尿して膀胱の中をカラにすると水分も沢山取れたしトイレは長時間大丈夫になり精神的にも安定した生活出来るようになった。d0019913_21175120.jpg
宮崎先生は厚木市七沢リハビリテーション病院の院長となっても「ドライヴのつもりで通院しなさい」という言葉に励まされて月に1度は七沢通いをしていた。
平成時代となり間もない頃に、神奈川に住む友人から「先生が重い病気で入院している」と知らせてくれた。私は1人で運転して道に迷いながらお見舞いしお世話になった気持ちを伝えたかった。病室を尋ねると宮崎先生は奥様とソファーに座っている姿に術後間もないのに驚かされた。「医者の無用心だよ。ガンなんかになってしまって・・」と先生は何かも知っていた。奥様は食事の膳を持って来ながら「お粥が嫌いなのよ。どうせ生きられないのなら好きなお鮨でも食べてもらいましょう」とその時に話された言葉が今でも忘れられない。年明け2月の寒い時期に宮崎先生は胃がんで亡くなった。通夜の会場に行くと車イスの人々が沢山来ており、それらの人々が寒そうに囲むようにして「お悔やみする場所には入れないのかい」と文句を言っている人もいた。多くの人の出入りの中、私は黙って手を合わせるだけで元気な時に先生に合っているので充分に満足であった。宮崎先生を頼りにしている障碍者にとっては大きな損失であったが、先生は70歳になるかどうかで亡くなってしまった。
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 宮崎先生に出会っていなければ、あれから30数年、私はとつくに生きてはいないだろうし、先生の指導で生きられているといつも感謝をしている。
その後、40歳の初めに乳がんで手術をした。後に執力した医師に「本当に手術したほうがよかった訳ですか?」と尋ねると「今頃、天使になっていたよ」とはっきりと云われて、命ごいの強い私は今だ天使にならないで生きている。

身体のほころび 
 d0019913_15233713.jpgしかし、どの時でも常にトイレの問題は付きまとい、宮崎先生亡き後に七沢までドライヴする気力も失い、身近な泌尿器科の先生を頼るようになっていた。そして、現在の東京厚生年金病院の溝口研一先生に診てもらうようになり早10年近くの年月になる。この頃から私の生活環境も大きく変わり、多忙と身体の衰えを感じるようになり、いつの時からか常にバルーンカテーテルを留置する生活になった。この休息感は長くは続かず大きな痛みの始まりであった。カテーテルを留置して生活していると私の常に座っている状態では中では尿道の中は悲鳴をあげていたと思う。現実としていつの間にか、痛みを感じることに鈍い私は座っていると痛みを感じるようになり、溝口先生に何度となく痛みを訴えると我慢の限界の寸前で「手術」となった。原因は長い年月に渡りカテーテルの刺激で尿道の中にシコリが出来て切除をした。しかし、ほっとする暇もなく1年も経たずに同じ痛みが出て習慣的になった事を感じた。2回目の手術の時に膀胱瘻を提案されて右腹下に直接に膀胱の中にカテーテルが入れられていた。自宅生活に入ったが身体の調子が悪かったのか、入り口から尿が漏れて漏れて日常の生活が出来なくなり1ケ月も経過しないで止めてしまった。元の木阿弥となり尿道の痛みに耐え切れなくなると医師の判断で手術をしていた。d0019913_22343419.gif
 暫くの間、あの時の膀胱瘻は塞いでしまって本当によかったのか?という疑問も感じていた。1年程前からも痛みが出だし訴えていたが、2010年1月末に手術する事が決まり溝口先生が私の内面を見たように「もう1回、膀胱瘻に挑戦してみようか」と云われた。2度目の膀胱瘻は手術の折、ヘルニアを外科の医師と除去し運が良いというか恐れた漏れも少なく排尿は順調に過ごしている。

内臓の働きが次第に・・・   
 d0019913_2236583.gifしかし、排尿だけではなく排便も、常に出そうとする努力がないと出来なかった。便秘というより以前の問題であって繰り返しの日々の中で、先々、自分でトイレの移動が出来なくなった時には「どうなることだろうか?」と思い悩むようになった。ヘルパーや訪問看護サービスが訪問時間帯に果たして排便する事が出来るだろうか?と悩むようになった。そして、巡って来た機会を期に6年前の秋、青梅私立総合病院外科の正木医師により盲腸ポートの手術をした。盲腸ポートとは、盲腸に胃ろうキットであるシリコンの管を設置して、その設置された管(盲腸ポート)を通じて、盲腸から大腸全体を浣腸するというものである。この判断が正しかったかどうかは今だ悩むところである。盲腸ポートにして3年近くの間は1日置か2日置きの排便で過ごす事が出来て1泊程度の旅行にも出かけらてれた。お腹の周りがジリジリと痛み、お腹が張り苦しく寝る前に毎日排便をするようになって3年以上が過ぎて、目に見えて状態が変化したのは8月に「薬害性肝炎」で20日間入院した後からであった。少しは効果を期待していたが、返ってお腹の具合が神経質になり、日中でもガスが溜まり苦しくて手立てを考えないといけなくなった。9月から訪問マッサージを依頼し腸の活性化に心がけて、お腹を暖めて自らマッサージ、深呼吸をして出来るだけ身体を動かし運動するように努力をした。長い間、種類の多い薬を飲み続けて身体の後退と共に肝臓機能が薬を受けつけなくなり肝炎となってしまった。暫く前から大健中湯が処方されて飲んでいる。その後、通導散も処方してもらった。10月に入り同時に漢方薬で疲労回復、腸内の改善、身体を温めてくれる柿のエキスのバランスターと天然薬のレオピンを飲み、お腹の動きを活発にミネラルを取り薬が効く身体にしたいと努力している。
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その時まで希望のある生活を・・・   
 漢方薬療法は少しずつ改善は見られるだろうが、本当に効いたと感じられるのには時間が必要であろう。何時の時でも問題は抱えていたが、その度にクリアして今日があるが、長く生きてしまったという感もある。しかし、生かされているようにも感じている。ひとつの対象としては、1歳になったばかりの元気いっぱいのハナ太郎の存在である。ハナ太郎と少しでも長く生活したいと思うと自らの健康を気を付けなければと思うのである。
 深く考えるとこのままお腹が硬くなり終わりなのか?と思ったりもする。しかし、最終的な尊厳は自らが何とか出来る限りは保ちたいと願っている。今までの体験では「突然に出来ない日が訪れる」とも思っている。既に、手動車イスを押して近くでも買い物に出かける事も出来なくなっているし、先日、通院先の院内の移動も疲れを感じて、次第に体力の衰えを感じている。
 地域の多くの支えと支援により現在も生活を維持しているが、超高齢化の社会で更に重度化して寝たきりになったとしても、在宅のままで何か自らでも出来る事を考えて、最後まで目的や希望を失わないで生活したいd0019913_21223169.jpgと思っているが常に2度と得られない人生を歩んでいるのである。
by rakudazou | 2010-10-17 14:57 | 《エッセイ》中村陽子

ハナ太郎の1歳の誕生日

黒猫のような赤ちゃん 
 d0019913_15335822.jpgハナ太郎!!1歳のお誕生日おめでとう。昨年の今頃はハナコの往診で毎日のように近くのイース動物病院の先生が来られていた時分で、ある時、先生ご夫妻からとても運の強い猫の子、今のハナ太郎が救われて育てられていると聞いた。小さな身体と口の中はミルクだと思い土が入り先生に命を助けられた。親切な親元で大切に育てられて、目が見えるようになったら写真を見せてもらえると、昨年の11月に初めて写真を見ることが出来た。


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 実はこの頃、仔猫がほしいという人と知り合いになり、その人に流す情報として、最初に目元の大きい黒猫のような赤ちゃんの写真をメールで送ったが、返事が直ぐに届かないままに、ハナコは12月8日の朝に静かに亡くなってしまった。覚悟はしていたが、まだ、悲しみも癒えない8月15日の日、ハナ太郎は私の処に獣医先生夫妻が連れて来た。いずれこのまま日々を過ごすと、同じようなヒマラヤンの仔猫が送られて来ることは感じていた。これからの余生を共に暮らすペットは親のいない子を育てたいと思い、この日からハナ太郎との生活が始まった。d0019913_10381654.jpg
 一番大変な時期の2ケ月の間、生まれたての赤ちゃんを育てて下さった心優しい玉城さんご家族のみな様、お兄ちゃん猫の元気くん、あれから1年が経ち10月13日、ハナ太郎は元気で1歳を迎える事が出来ました。本当にありがとうございました。今度、ハナ太郎に会いに来て下さいね。感謝。
 お手製の誕生日ケーキが届いて、この日に集った皆さんに分けて食べていただきお祝いをした。ハナ太郎にはチョコレートはよくないので、セブンブンイレブン製の東京の牛乳で作ったシュクリームを少しだけ美味しそうに食べた。
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甘えん坊  
 こうして、生後2ケ月の黒猫のような赤ちゃんを見た途端に「ハナコから送られた仔猫だ!!」と心から感じ、幸いにも♂♀両方の猫と生活することになった。とても元気なハナ太郎は遊びだして私を親として直ぐに慣れてくれた。
トイレも覚えて水を飲むのが大好きである。お煎餅とパンが好物と聞いていたので、カリカリご飯を食べるようにしたが食欲も驚くほどであった。我が家を訪問する人々はピンポーンと玄関が鳴ると必ずダッシュして嬉しそうに迎えに出ては「アッ、ネコだ」と思うらしいがハナ太郎は遊んでくれることを期待して待っている。不思議な事に猫の好きな人をその場で嗅ぎ分けて「好きだ」という仕草をする。何度も訪れる人々は「また、大きくなったみたいね」といつも言われた。一時は目に見えて成長していくのが誰の目にも感じられた。d0019913_15443447.jpg
 特に女性がテーブルに座るとハナ太郎は飛び乗って、待っていたかのように頭髪を両手で頭を抱え込む仕草をしてかなり夢見る想いで髪を何度となく舐めるのであるがハナ太郎の思うが儘に素直に舐めさせてくれる人は少ないのである。よくいろんな声で鳴きながら歩く。無視されていると思うと「ネエネェ、ボクだよォ」と胸元を手で叩く姿がとても可愛いく甘えん坊である。1歳にして私を守る頼もしい存在になった。






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甘噛みしてはじゃれる。
 9月23日、祭日の夜遅く、命の恩人のイース動物病院の先生夫妻が爪切りとカリカリご飯を届けに来られた。最初に深爪をした感覚を覚えていて、ハナ太郎は生まれて3回目の爪切りも逃げてまわっていた。エリザベスカラーを付けられて爪を切ると「カーッ」と歯をむいて唸り身体中で抵抗して暴れまくり爪切りが終わった。後は、ケロッとしてくつろいでいたが、後遺症はこれで終わった訳ではなかった。
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ベッドに横になり呼ぶと飛んで来ては所定の場所にペタリと寝転びお腹を見せる。ゴロゴロと甘えて決して爪は出さないが、興奮してしまうと私の腕や肩を洋服の上から本気でつねるように噛み出し、「コラーッ痛いでしょうぉ」と怒鳴っても効き目なく、重いハナ太郎の身体を両手で掴み胸の上に乗せて本気になって頭を叩いて叱った。叱る時にはしつかり叱らないとたまらない。その後もじやれて本噛みをすることがあるが、適当に叱っては余り相手にしないようにしている。じゃれ過ぎると勢いあまって暴走している。近頃は逆らうと更に喜ぶだけなので少しは噛まれて反応を示さないと諦めておとなしくしている。
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車イスの私の側を日に何度となく存在感を示すために近寄ってくるのでその度に頭や背中を撫ぜてあげるとその側に寝転びお腹を見せたり、シッポを掴んでは身体を左右に動かしてもハナ太郎は全く動じない。
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轢かれるネコ 
 小さい頃は玄関のドアを開けると室内と同じ感覚でチョコチョコと外に出てしまってよく連れ戻した。出かけてドアを開けるとはみ出しそうにハナ太郎が座っていた。そのくらい、独りでお留守番が嫌だった様子である。次第に大きくなって「出ちゃダメよぉ」と云うとじっと我慢するように動かなくなった。帰って来るとドアより1cm近く離れた場所に「遅いぞ」と現在は座っているようになっている。まだ、1度も外を知らないでいるが、家出したら帰れるだろうかと心配になる。
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 ある時、何気なく車イスを動かしたら「ギァオ」と悲鳴が上がってビックリ、最初に車イスにまつわり付いて轢いてしまった時である。足か手でも轢いてしまったのか?とよく調べたがシッポらしかった。シッポと云っても結構先まで神経があり轢かれたハナ太郎はケロッとしていた。比べる訳ではないが、ハナコもシッポの先を轢いてビックリした事があったが、この1度だけで一生身軽で敏捷な身のこなしは車イスで轢かれる事はなかった。しかし、ハナ太郎はこれまでに3回続けて轢いてしまって私の方が神経質になっている。障碍猫にしてしまったらどうしようと今でも恐れているが、この事を車イスメーカの人に話をすると「何度か痛い思いをしたら動物の本能として轢かれないでしよう」との答えであった。しかし、のんきで気を許すハナ太郎はこれからも注意しないとと思っている。
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大きく成長して・・
 d0019913_15321797.jpgハナ太郎の背丈は頭からシッポの先まで60cmを越えて体重も6k近くはあると思う。大きくて重たくて片手では抱き上げることは出来なくなった。月に1度は訪れる母も大きく成長したハナ太郎は重くて抱えられなくなった。身体だけは大きいのに遊びたい盛りで常に訪れる人々に「遊んでくれる人」を求めてはおもちゃでよくひとり遊びをしている。「猫なのに犬みたいね」とよく言われている。外にあこがれ、いつも外の景色をキャットタワーの上からお風呂場の高窓にシャワーチェアーと足湯の発砲スチロールのその上に乗って全身を長くして外の様子を眺めている。今年の暑さはハナ太郎にとっては初めての夏、涼を求めて室内を移動していたが、ようやく秋を迎えられた。ハナ太郎は短毛でも長毛でもなくその中間だと思っていたが、大きくなるにつれて胸元からお腹周りシッポに向っての毛並みは長毛で色も薄茶色、横になり遊んでいる折によく触ってみたが、胸元辺りは既に毛玉になっていることを発見した。ハナ太郎のいずれかの親は長毛だったのだろうか?
猫のブリーダーの宍戸さんが訪れてはハナ太郎を見て「ソマリの血統が入っている」と云うが、写真で調べると顔が小さくて耳が大きいのが似ているかもしれない。d0019913_16122452.jpg
 ベッドの上がお気に入りでよく身体を伸ばしたりお腹を出し過ごしている。私が横になり「ハナ太郎、お出で」と呼ぶと飛んで来て必ず左脇に来ては同じように座り込み次第に身体を伸ばしては撫ぜるのを待っている。
私が何処にいても姿の見える場所にいて、時には「ニャオニャオ」意味不明の鳴き声をしては側に来る。「ウォウォ」と室内をダッシュする時には必ずうんちをした後で多く様子が見られる。ハナコの場合はうんちをする時に、じっと息張り目に涙を溜めてシッポの先がピクと動くとコロコロうんちが出て後は気持ちがよいのかダッシュしていたがものだ。トイレの清掃のために蓋を開けてきれいにするとハナ太郎は直ぐに入って来るとまた直ぐにトイレをする。先日はたまたまとうんちだった。じっと座っているのは同じであるが、そんな力む訳でもなくコロコロうんちを元気よく出していた。ハナ太郎は爪の間にトイレの砂が入ったままで飛び出すので、トイレの周りがいつも散らかしてヘルパーが掃除機を使う前にほうきで掃いてくれている。いつも力余ってご飯入れもお水入れも猫用の物では間に合わなくて早い時期から丼のような器を使っても何故かご飯を外に出している。d0019913_16135489.jpg
 ハナ太郎が大きくなったと感じる時は、ゲージとかトイレに入った時に狭く感じるほどにこの1年の成長は早かった。室内の掃除以外は常にゲージの扉は開いているが、よく出入ったりしては草臥れるとゲージの中のカゴにすっぽり入って寝ているし、探して呼ぶと背伸びをしながら「ボクはいますよ」と何処となく現れる姿を見て安堵している。私はハナ太郎と幸せに過ごす事が出来ているが、このハナ太郎との生活を少しでも大切に長く維持出来るために私の健康を考えるようになった。
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by rakudazou | 2010-10-13 15:53 | 《エッセイ》中村陽子