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by rakudazou

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試練を乗り越えて 
 毎年、届くことは拒むことは出来ない年の瀬になると訃報の通知が届けられ、人の生き死は自然現象である。しばらく健在が定かではなかった友人が、今年の3月31日に亡くなっていたことを兄からの便りで知った。判ると元気なときの姿が思い出されて友人の死を惜しむ気持ちでいっぱいである。昭和24年生まれ61年間、試練は乗り超えられる人だけに与えられるというが、まさに友人は乗り越えて生き抜いた本当に「ごくろうさま」と述べたい。
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友人は社会人になってまもなく、20代の初めから身体に力が入らなくなり、私が最初に会った頃は電動車イスの進行性の筋ジストロフィの障がいを持っていた。あれから20数年が経過し、近年は12~3年会う機会がないままで終ってしまった。しばらくの間、友人は私の仕事を週に3日間ほど手伝ってくれていた。朝早く支度をして、藤沢市城南の高台の自宅から電動車イスを器用に操作して、何度か電車を乗り換えて当時。京浜急行は大森駅だけしかエレベーターが設置してはなく、片道2時間はかかる大森南の事務所まで通って来ていた。いつも時計が11時近くになると大きな身体から優しい声で「お早うございます!!」と元気な顔を見せていた。主にパソコンの仕事をして、いろんな疑問にも答えてくれて、判らないことがあると参考書を両足の間に挟んで持ち帰り次回には解決をした。体重は90キロ以上は有り、ジーパンとTシャツ、寒い時期でも余り厚着はしなかった。坊主頭で思慮深い真面目な性格で勉強家であった。旅の好きな人で同じ障がいの仲間を誘っては自ら重度の人を誘い出し毎年グループで旅行をしていた。私も長野や山形など何度となく共に旅行した思い出がある。

理髪店で・・・ 
 最も印象に残っていることは、当時、私は大森町を通り越して梅屋敷商店街に近い大森西6丁目郵便局が在り、その近くにご夫婦で営んでいる理髪店が何故か車イスでも入れた。私は大きな椅子の上に乗り時々の顔剃りがとても気持ちよかった。
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きっとそんな話を友人に話したのであろう。あるとき、友人と通勤道に近い梅屋敷で待ち合わせて理髪店に案内した。友人は手元には力がなかったが、言葉で椅子に乗り換える方法を理髪店のご夫婦に説明し足らないところは私が何故か心配で付則していた。多分、私が椅子に乗るときのコツがありその経験を経て、友人の体重を掛けないでご夫婦も真剣に友人を椅子に乗せられるように手伝った。すると大きな身体が洗髪台に乗れたのである。椅子は上下稼動で動きは普通の人と同様に、伸びた髪を整えたもらい、髭も剃ってもらい、友人は「どれぼど振りだろうか?こんな気持ちの良い思いをしたのは・・・」と感動し店主夫婦も出来たことにとても自分のことのように喜んでいた。友人はその後、時々とこの理髪店を利用したと思う。今は息子さんが営んでいるようであるが、これから、この理髪店の側を通る度に友人のことを思い出すことであろう。

入浴体験 
 また、ある年の年末に近い日、以前から友人と1度は体験してみたいと考えていた体験入浴を実行したことがある。当時、代官山に近い場所にプチホテルがあり、このホテルの最上階はハンディキヤップルームだけであった。介助付きのホテルということで利便が受けていた。結構、1人で宿泊出来ることで利用者もあり、遠方から利用者があった。ケア付きホテルは当時、画期的なことで、人に勧めるためには体験しなければと友人と私は特に入浴ケアを数時間体験した。それぞれと個室が用意されて、明るい入浴する部屋は広く暖かかった。座ったままの入浴と寝たままの入浴法があり私は寝たままでの入浴を選んだ。中には男女3人のスタッフが待機していて車イスから上に乗せられた。口の悪い人たちは天ぷらを揚げるときと同じようだと云われていた。仰向けに寝かされて前後にスタツフがいて、何度も加減のよい湯がかけられエステをしている感じで全身が気持ちよかった。部屋に行く途中でドアが少し開いていて友人は入浴後の気持よさをベッドの上で目を閉じていた。負担の無い介助付きの入浴が1人で3万円ということもよく覚えている。
 友人はプライベートなことは進んで話さなかったが詳しくも尋ねなかった。お互いに傷を舐めあうことは好まなかった。
 きっと、恋愛もあったであろう。次第に進行する障がいを不安や苦しみも多かったであろう。友人は最後まで保守的な生き方をしたように思われる。人を助けても迷惑はかけたくない、増しや、自らの体重を気にかけて常に遠慮気味に人に接していたと思う。
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 最後に電話で友人と話したのは一昨年の春頃のことであった。既に母上も亡くなり、兄とその子供たちに世話になっていた。自宅は余り改造しないままで、週に2回、ディサービスで入浴をして、後の時間は寝る排泄以外はリフトに乗ったままで生活していると友人は淡々と元気なく話していた。その光景を考えただけで友人が大変な思いをして過ごしていることは想像出来た。どのようなリフトの移動で動いていたのか?はすべてが判るはずもなかったが、相当な努力と忍耐の中で工夫していた事に違いなかった。毎日、1人で排便をして規則正しい食事を兄が作っていると語っていた。人間は・・・人は・・・障がい者・・・は最後には正しい食事と排便を1人で出来るということが、何もかも楽になった友人は天国から笑みを浮かべて「今度はあなたの番だよ」と、爽やかに去って行った友人の生きた証を少しだけ伝え残したいと思った。
by rakudazou | 2010-12-13 11:29 | 《エッセイ》中村陽子

ハナ太郎との日々

いま少し長く元気で暮らしたい 
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 早いものでハナコが亡くなって12月8日で1年が過る。あの柔らかな感触が今でも忘れられない。ハナコの遺骨は49日を過ぎて、母の暮らす自宅の庭に埋葬した。1週間が過ぎて12月15日の日、ハナ太郎は我が家に訪れて1年になった。スクスクと大きく育ち、成長は止まった様子であるが、甘ったれで時には暴れまくっている。短毛の猫だと思っていたが、お腹の周囲が長毛になり、脇の下に毛玉が出来てしまいようやくとハサミで切ったが、短毛だと思い育て身体にクシを入れるクセを付けなかったので、また、毛玉が出来たらどうしょう!!と思っている。日々、穏やかにすごしているが、今度はハナ太郎を置いていく身なので「もう少し、ハナ太郎と元気で過ごせますように」と祈っている。今年の年末年始、母とハナ太郎と3人で過ごせたらとても幸せなことである。いつの年も「これが最後かもしれない」と思って過ごしている。そして、そう思うことは、私自身の限界、体力が最後かもしれないと思っている。体力の不安を身近に感じながら、私が横になるとハナ太郎はベットに上がって来て側に来て、頭を撫ぜてあげると安心して身体を一回転して横になる。ハナ太郎は全く無防備に全身の力を抜いて身を任していた。ハナ太郎の暖かさが直ぐに伝わってきて体の真ん中から腕を通して「いいこ、いいこ」とそっと叩くとグッスリと寝てしまう存在感のあるハナ太郎と過ごせる私は、今が一番、癒されて命の大切さを感じながら過ごしていると思っている。
by rakudazou | 2010-12-03 22:59 | 《エッセイ》中村陽子