人気ブログランキング |

障碍を持つひとの楽しさを支援しています!


by rakudazou

<   2013年 01月 ( 3 )   > この月の画像一覧

都内の大雪

時の早さに就いて行けない
d0019913_23254324.jpg 今年は1月の連休の最後の朝方から霙から見る間に窓の外は雪景色と変わってしまった。私が窓辺に近寄ると猫のハナ太郎もキャットタワーの上に飛び乗りじっと見ている。ハナ太郎にとっては生まれて初めての銀世界である。こんな景色を見るのは、もしかして最後になるかもしれないと、最近、何かの体験や出会うといつもそんな風に気になるのは感傷なのであろうか?d0019913_2326525.jpg
 翌朝は寒いけど空も青く空気まで清んでいるように感じる。何かあったら困るのは自らがパニックなるだろうとは承知している。増すてや電動車イスが何かの衝撃や事故で停まってしまつら「どうしょう!!」と常に不安と怖さを感じているが、一旦、動き出すと場所に問わずにぶつけないように緊張して動いているつもりでもこの1年数か月でいろんな体験をして、その都度、反省するのだが、私の性格そのものが出てその度に何度も反省しながらも、また、危険な行動をしている時がある。「本当に困って見なければ分からないだろう」と周辺の声が聞こえて来るのである。d0019913_23281885.jpg
 この大雪の朝も小平市の国立病院に通院して、帰り道にあいにくとこんな日に限って運転する友人が2時間ほど用事あるので待っていてくれないか?云われたので「いいわよ、友人の家で待っているから・・・」と軽い気持ちで新宿の明治通りと大久保3丁目の交差点の近くで降ろしてもらった。大通りは自動車が絶えず走っているので雪は路肩にあるくらいであった。しかし、これから行こうとする場所は夜ともなると静寂した都会ジャングルのようなお椀の底みたいな場所である。タイヤの跡はあるにしても雪はシャーベット状であるが、遠回りしても少しでも坂が緩やかな道を選んで低速で動きが止まらないようにして緊張しなが走り続けて到着した。d0019913_2330538.jpg
 「連絡も無いので心配していたけど、本当に来てしまってあなたらしい・・・」と
友人家族はびっくりしていた。本音は雪道を電動で試してみたかった。昔、那須の露天風呂のある宿に泊まった時に、翌朝、景色は雪一色で電動車いすの人も3人いて、前輪駆動と後輪駆動で走る車いすがあり、雪かきをした後で走ってみたが前輪駆動は走ったが他の車いすはスリップを繰り返して思うようには走れなかった思い出がある。
 私のも前輪駆動であるので走ったが滑りそうな処を避けて道路も凍ってなかったので何とか走れたと思っているが、決して人にはお勧め出来ない行動である。
 都内で雪のために交通が混乱したのは久しぶりのことである。まだまだ寒い日が続くが身体で感じる寒さは慣れて来たようで乾燥と風の冷たさである。
d0019913_23314389.jpg

by rakudazou | 2013-01-31 23:33 | 《エッセイ》中村陽子
母と私の年末年始の過ごし方
2012年
 d0019913_614530.jpg28日、みんな病気もせずに  元気で過ごせたことには私はそれだけで幸せであるといつも思う。91歳なる母もいろいろと身体の衰退や耳も遠くなったりしているが、年末はとても忙しい1日であった。例年の行事であるが母を年末の28日に友人の車で迎えに行くようになって確か、5年目になると思う。昨年から私が電動車イスになってしまったので、折角、家まで迎えに行けても、専用のスロープはあるのだが、中に入る入り口が直角のために普通の車イスの時の場合は何とかクリアしていたが、家の入口まで来られても亡くなった父に線香のひとつも上げられないのは残念と思うが私の宿命である。順調に車は走り、母を乗せて我が家の近くに来たのは午後の日差しが充分に残っている時間で近くのファミレスに立ち寄り、母はおしゃべりをしながら美味しそうにビーフシチュウーを食べた。今年の年末年始も私は私、母は母なりに気にかけながら出来るだけリラックスした生活をお互いに過ごそうと思っている。予定された私の日常の生活の環境だけは変えることは出来なくなってしまった。気丈な母は一人暮らしがよいとマイペースであるが今でも何となく生活が出来ていると云えことは母の日頃の緊張感と努力にあると感謝している。d0019913_6171513.jpg
昨年の秋の夜、久々の夜の外出をして、私は横浜の大桟橋から夜の遊覧船に乗り港のビル街の夜景からレインボーブリッチの橋の下を潜り川崎の京浜工業地帯までのイルミネーションを鑑賞することが出来てとてもよかった。
d0019913_619566.jpg
父が亡くなった最初の年は母が何もしないでⅠ度でよいから新年を過ごしたいと云う希望で一生にⅠ度の我がまま気持だと思って、私の車の運転でふたりだけでみなとみらいにある、ヨコハマ・グランドインターコンチネンタルホテルに2泊3日の豪勢な行く年来る年を迎えたことがあったことを夜空に輝くホテルの近くに船が静かに行き過ぎた時に懐かしさを感じてしまった。来年は父の13回忌を迎えるはずだ。
d0019913_6205248.jpg


 
d0019913_6225964.jpg

 29日、母は朝食だけは先にしてもらい、いつもの時間に伊藤ヘルパーに通常通りのシャワー浴を済ませて終わってから、私は朝昼食を兼ねて2人共いつもⅠ人で食べることが多いので出来るだけ一緒におしゃべりをしがら食べるときっと脳細胞が活発になり時間を楽しむと何となくいつもより沢山食べられるのである。
母は高齢で胃の手術で胃事態が小さくなっており、日に普通の人の食事の回数よりは多くの回数と栄養を取らないと1度には多くも食べられないのである。普段の日常がお互いに一人で味気ない食事をしているので、いろんな昔話を含めておしゃべりをしながら食事をすることは至極のひとときなのである。d0019913_6242293.jpg
その後、お互いに一休み、母は昼寝の時間が癖になってしまっている。
ハナ太郎の育ての親の元気君のママと娘のレナちゃんが来て、年末年始の挨拶と美味しいハムの詰め合わせを頂いてしまった。暖かな贈り物本当にありがとう!!
午後、Ⅰ時なるとシンクハーツの小泉さんが今年、最後の家事援助のサービスに元気に現れて、付き合いはまだ長くはないが、最近、彼女からいろんな元気をもらって、納得ずくの反省や白黒をその場で解決出来ることが、私の心情や生き方について少しずつであるが安堵感が持てる人である。お互いに性格が強いので言い合いもすると思うが、私は人間関係に身体が重度になるほどに気疲れで身体も疲れ切っているので安心して一時のひとときにせよ任せられることは少しずつ疲れ取れていくような気がして、これが自然と生まれる信頼と云うことかもしれない。d0019913_6255867.jpg
小泉ヘルパーと高齢の母と3人で近くに大きなスーパーに、のんびりと買い物に出かけて、スーパーの中では母はカートを押して店内の中を自由に見て回り買い物をするのが好きなので、私たちは近くから遠くから見守っていたい。これから日々になると「よいお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いいたします」と会う人々への挨拶ばかりである。

 30日、朝から冷たい小雨が降りやまない日であったが、母の携帯が使えなくなったと云われていたので、この日を逃すと滞在中に行けないので、電動で傘を差し、西蒲田まで雨の日の長い外出は初めてある。寒かったが緊張して蒲田の東口に着き、交番のポリスに傘を背中の傘入れに戻してもらい・駅ビルの中は暖かくホッとした。
携帯は過充電で部品交換は保障期間中で無料であったが、部品は無いので新年の休み明けに送ってもらうことにした。最近は理由などは別としても2人ともⅠ度に食べられずに小食になってしまった。母の好き物で少しでも食べてもらいたいと東急デパートの食品売り場に行ったが、正月用の食品で溢れていて、当面間に合う物だけを買って静かな階に移動した。婦人洋品の片隅で一息出来るカフェがあり、ハーブティをゆっくり飲み終わると、気づくと蒲田の東口に行きたいのだが、西口に2度も出てしまった。そんな店内をグルグルと回っている時に50パーセント0FFばかりのセール中であるが、母のコートが古くなっていることを思い出し、Ⅰ点のチャコールグレーのシルクのコートで襟先と袖口にも暖かい毛皮が付いて気に入ったが値段の程が気になり、店員さんも少しでも売り上げを上げたいと親切に何点が見せてくれた。5万の値札がセールでⅠ万5千円にしてもらい、最初に目に止まったコートを買ってしまった。
d0019913_6275063.jpg
東口に行くエレベーを訪ねると「気をつけてね」と親切に案内してもらい、とても感謝であった。待っていた母見せるとサイズもぴったりで母がとても喜んでもらえたのでよかったと思った。

大晦日・31日
ここ数年、シャワー浴をするようになって、いつも入れて貰っているⅠ0年以上も付き合いのある伊藤ヘルパーの好意で午前中に入浴が出来てさっぱりした。
ⅠⅠ時になってから、私は朝昼兼、母は昼食をゆっくりと食べた。私が入れる濃いミルクティーが気に入った様子、緑茶も時間をかけて湯の温度を下げて、湯呑にも急須も暖かくし、丁度よい温度にして飲めるお茶も母は気に入ってくれたようだ。
その後、2人ともちょっと休憩、目が覚めると午後、3時になろうとしている。昨年からとても親切友人の好意で訪問してくれる時間である。携帯を入れると「今、東京駅です」との返事、4時前にピンポーンと鳴り、黄色いコートがよく似合う、いつもの彼女が大きな荷物を持ち沢山のやみやげを持って賑やかに登場である。
昨年も手伝ってもらったので母も周知の友人である。彼女の田舎は遠いので今年は大切な試験も控えているので帰らすにそれぞれと独り暮らしの3人は大晦日の夜まで家族のような時間を過ごすのである。辺りが暗くならない内に年越し蕎麦と天ぷらを買い求めて、スーパーで生のトロの刺身やデザートなどを買って、野菜売り場で八頭の芋の値段が50円としか見えなくて、彼女に聞くと150円だと云う、母がこの八頭が好きで、でも今では値段が高くてねと言っていたのを思い出して、まるでかぼちゃほどの大きい物を2つも買い求めた。
d0019913_6324855.jpg

友人が「何ですか?」と尋ねられて「里芋の親よ」と答えた。母に見せると値段を聞いただけで「偽物だよ」と信用しない。スーパーも新年になったら売れないので安く売っていたのよと云うと、早速に母は一かけらを煮て「本物だ!!」と喜んでいた。この日に必要な買い物を友と2人で大晦日に買い物を出かけられることは楽しいことである。高齢の母は近くのお風呂屋さんに2人で、まるで祖母と孫のような関係で夕方になるとⅠ年の垢を落とすために入浴にお風呂屋さんに出かけてさっぱりした気分で帰って来た。この友人にはとても感謝している。

2013年
 元旦、朝、8時過ぎに毎日365日、御世話になっているセントケアの小暮さんが訪れて、身支度し電動に乗せて貰い、洗顔、髪をとかしてもらって完了。私の最近の風景である。
 新年の挨拶はもっと早朝に「おめでとうございます」交わしてから、ヘルパーが帰った後が新年の初めは雑煮である、餅を焼き4つに小さくして、鶏肉と三つ葉、そして、大騒ぎであった八頭も勿論入れて美味しく食べた。d0019913_6344799.jpg
今年で92歳になる可なり耳が遠くなってしまった気丈な母は、私のために一生懸命にお雑煮を作るためにキッチンに立っている。こんな暖かい姿も来年もお互いに頑張って、もう、少し続けられたらと願わずにはいられない。
 あぁ、今年は届いた年賀状を見ながら私はこれからゆっくりと返事を書こうと思っている。元旦は空も青く晴れの日であったが静かな昔話などをしながら静かにのんびりと過ごしたが、母は張り切って、私の洋服を手治してくれたり編み物、読書と楽しんでいた。母は80歳を過ぎてから読書に目覚めて、テレビを見るよりずっとたのしいと、いつも何か本がないと頼まれて、私はブックオフで母が楽しめそうな本を選んで来る。だから頭は鮮明でボケいないが耳が遠いことは仕方がないと思っている。d0019913_6423127.jpg
元旦の朝は全国的にとても寒くて、日本列島の寒い地方で大雪に悩む人々から比べると、増して東北の3・ⅠⅠで生き残った多くの立場の弱い人々が2度目の新年を慣れない寒い仮設住宅で新年を迎えている人のことを考えると、私たちは幸せ過ぎるのかもしれない。あの日のことを忘れて過ごしたら、日本人は喉元を過ぎればすぐ忘れると云われるし、あの日、多くの御霊が亡くなり、その後も折角、助かっても孤独死が多く続いていることは悲惨なことである。 

2日、いつの間にか、子供たちの影響もあるが、結構と洋食が好きで、77歳の喜寿の祝いの席では父が存命だったので懐石料理などだったが、母の88歳の米寿のお祝いの時も、あれこれと悩んでいたが「祝ってくれるなら、フランス料理が良い・・・」と云われて、フルコースをみんなで食べたものだ。
 そんな訳で、ピザトーストとクラムチャウダー、コヒーでⅠ日が始まり、年末年始の時だけは東京の空も澄み切った空気と青空が毎年訪れて、日差しの暖かい時間に散歩をした。明日、弟が迎えに来るので、母は昼寝の合間に片付けをしてくれたり、荷造りをしたり、昔話をして、改めて、母たちの若い頃の戦後の時代の苦難の話になり、嫁に来た時のタンスの着物の中身がみんなの食べさせる米や野菜などに変わったと、母には今でもその当時の苦労が今だからこそ、懐かしさで話せるのだと思うし、私は出来るだけ多く当時の話を聞く義務があり、何かの折には伝えていく歴史だとも思っている。
d0019913_6465376.jpg


3日、恒例の大学、箱根駅伝の箱根から東海道を通り札の辻の交差点から日比谷通りを走り読売新聞社までゴールで道路が規制されるので、弟はⅠ0時来て、まずはビールを一杯のみ乾し「おめでとう」を云い、何故かたけのこご飯を作り、しじみ汁と八頭の煮物などを食べた。毎月、第Ⅰ日曜日の日には、長男の弟であるが母を日帰りで忙しいが私も母も弟の心優しさにはいつも感謝をしている。テレビを見ていて駅伝の羅列が横浜の駅に来た頃、母は新しいコートを嬉しそうに持ち弟と帰って行った。また、お互いのⅠ人暮らしに戻るがお互いに望んでの生活でもあるのだ。
d0019913_6494860.jpg

 2012年と云う年は私自身にとっても身体も生活の仕方も大きく変化したが、2013年も少しでも気を張って、私のように与えるよりは与えられることのほが多くなり、地域の人々に特に地域の医療、昼夜となく私の手足になって支えてくれるヘルパーの皆さん、ご近所のみなさん、この1年間も無事に過ごせて、また、このⅠ年間もよろしくお願いいたします。
by rakudazou | 2013-01-06 06:50 | 《エッセイ》中村陽子
"おめでとう!!
d0019913_3525853.jpg

年末から来ている高齢の母は
朝起きだしてきて眠い中で「おめでとう」と2人であいさつをした。
 今年は多くの皆様に健やかな明るい年になります
ように心からお祈りいたします。d0019913_3541234.jpg
どのようなことが起きるが分からないこの頃の
社会情勢ですが、自らの判断で精いっぱい
勇気を出して命の続く限り元気で生きたいと
思っています。

d0019913_3551967.jpg
by rakudazou | 2013-01-01 03:58 | 《エッセイ》中村陽子