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by rakudazou

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2016年”謹賀新年

ひと足速いお年玉
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人の優しさに弱くなっている私は、その優しさに触れた年の暮れのこと、涙が止まらずにうれし泣きをしてしまった。しばらく会っていない甥は、仕事も含めて大学を出た後は大阪で暮らしている弟の三男を思い浮かべては心地よい涙が止まらなかった。d0019913_2052523.jpg 年末年始の休みに入った12月28日の午後のこと、甥は大阪から実家に帰る途中に新幹線から降りて訪ねて来たのだ、あいにく、私は留守をして残念ながら会うことは出来なかった。家のドアに練りわらび餅の和菓子の入った紙袋が下げてあり「東京はとても寒いですね?陽子おばちゃんも身体に気をつけて下さい。また、来るからね」と云う手紙が添えてあり、直ぐに携帯に連絡を取ったが繋らなくて伝言を入れた。その夜の10時過ぎにヘルパーのG君が入って来るなり「玄関にお年玉袋が落ちていましたよ」と私の手に渡した真新しい袋を裏返しても名前は記されていなかった。G君の前で甥を想い浮かべて開いて見ると千円札が5枚入っていた。誰!!一瞬に、検討が付かなくなっていた。 
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その夜は大切に仕舞い一旦、就寝。翌日を迎えるともう一度、甥の携帯に電話をするとやはり留守電になっていて、父親の携帯に掛けてみると返事が返って来た。三男の昨日のことを話すと「今、大掃除で傍に居るよ。代わるから・・・」と昨日の甥の声である。d0019913_20555759.jpg私はわらび餅の礼を言うと甥が「ねえーお年玉袋なかった??」との言葉にその瞬間に涙腺から涙があふれ出して、やっぱりそうだったのか!感、極まってその暖かい優しさに「あなたの大切な気持ちは使えないわよ」と心からの涙を流しとても幸せであった。叔母である私は今までに甥や姪たちからお年玉をもらうなんて初めてのことである。d0019913_2057155.jpg甥は遠く家族から離れて暮らしていても、人の寂しさや悲しみが解る感性を持っていることがとてもうれしくて身近に感じられた。4人兄弟で唯一、これから、結婚をする甥は、きっとよい職場、よい友人に恵まれているのだろうと私は思っている。やさしい甥に良きハートナーに出会い幸せになる日まで、元気で過ごしたいと勇気を貰えたのであった。d0019913_2058549.jpgd0019913_2058464.jpg
by rakudazou | 2015-12-31 20:58 | 《エッセイ》中村陽子
本当のクリスマス
 d0019913_20315935.jpg世の中はハローウィンが終わった途端にクリスマス商戦が始まりました。12月になると更に何処どこのコンビニのケーキが美味しいとか、イルミネーションがきれいだとか、クリスマス気分はヒートアップしているようですが、気温は全国的に温暖化で、スキーも出来ない様子です。
 日本人はこんなにクリスチャンがいるのだろうか?と思いましたが、幼い子供たちへのサンタクロースからの贈り物の夢として一夜限りの季節の行事としのクリスチャンで馴染んでしまっているようです。敬謙なクリスチャンの方々はこんな騒ぎはしないと思われます。
 d0019913_203811100.jpg私はクリスチャンでもないし、特別に宗教と云うものを持ち合わせたことがありません。d0019913_1910157.jpgしかし、クリスマスだけには何故か?郷愁があり、メロディに至っては感傷さえ感じます。特にクリスマスソングのあのホワイトクリスマスやブルークリスマスを聴くと、私はフランク・シナトラやエルヴィス・プレスリーの歌声を思い出し懐かしくなります。d0019913_19122243.jpg幾つかのクリスマスの風景が心に浮かび、唯、1度だけ私だけのための旅をしたことがあります。
 夏の季節でしたが、ドイツのロマンティツク街道沿いにあるローテンブルグいう御伽の国のような町の小さなホテルに宿泊して、1日、この町をのんびりと散歩しました。d0019913_19141660.jpgローテンブルクは1年中クリスマスのような町で、世界中から訪れる人々はいろんな店でクリスマス・リースやツリーに飾るこの町でしか無い品物を買い求めるのです。私も余りにも店がいっぱいありクリスマス用品を選ぶのにとても迷いました。d0019913_19171657.jpg それより以前に、障碍を持つ人々の旅の国際会議がポーランドの古都クラコフで開催されました。2月の凍てつく激寒のクラコフの町を観光した折に見た光景が今でも忘れられません。あのショパンの調べが聴こえて来るような教会の入り口で身体も視線も止まり、教会の前には1人の若い女性が微動たにもせずに冷たい地面に膝づいて祈っている姿にハッとしました。d0019913_1923328.jpgしばらくして、もう一度、振り返ると祈る姿も姿勢も最初に見たときとまったく変わりはなく、その信仰深さに深く心を残してその場所を後にしました。今でもその時の祈る姿が心に焼き付いています。寒さのあまりに地面に長く足を付いていられなくて、時折、ステップをする程の厳冬の中での信仰の厚さに心を奪われていまいました。d0019913_19243348.jpg 本来のクリスマスとは、イエス=キリストの誕生(降臨)を祝う祭りです。クリスマス・ツリーの由来は厳しいヨーロッパの冬は一面真っ白な雪に覆われて、その中でも葉を失わないモミの木、常緑樹(エバーグリーン)は永遠の命の象徴とされ尊ばれました。これがクリスマス・ツリーの起源になったと考えられています。d0019913_19254950.jpg ツリーの先端の星は、イエス=キリストがベツレヘムという地で生まれた時にそのキリストの頭の上で輝き始めたと言われている不思議な星で、「ベツレヘムの星」と呼ばれています。私が幼い頃のクリスマス、看護婦さんたちがキャンドルを片手に現れて、明かりを消して謳ってくれたキヤンドルサービスの歌声の荘厳さと美しさが心に残っています。
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by rakudazou | 2015-12-16 20:25 | 《エッセイ》中村陽子