人気ブログランキング |

障碍を持つひとの楽しさを支援しています!


by rakudazou

<   2016年 02月 ( 2 )   > この月の画像一覧

それは突然に変わった
 d0019913_17311325.jpgお風呂はいつも私の健康のバロメーターでした。2014年7月、これまで日常の日課として続けていたシャワー浴(2007年~2014年)から私は突然に訪問入浴サービスに変わった。いずれ、訪問入浴サービスを受けると覚悟はしていたが、その時は突然に心臓によくないと医師から告げられて訪れた。入りたい時に入浴出来ることは私にとって幸せそのものであった。d0019913_17324157.jpgしかし、自らの意志と自力でいつまでも入浴が出来なくなる時が訪れると言え恐れは感じていた。いつの時も旅を共にしている時も、入浴が出来ることは当たり前と思っている健康な人々は目前で遠慮会釈もなく風呂に入れる現実が羨ましく感じたことが幾度とく出会ったことがあった。相手の気持ちを思い遣る心がないその行動には、その度に悲しい気持ちに落ち込んでいた。




お風呂に通って
d0019913_17341672.jpg 最初から充分な準備のないままに飛び込んだ世界であり、入浴をどうするかなどは考えてもいなかった。現実には難しいことばかりが予想された。1967年(昭和42年)10月~1969年(昭和44年)4月、23歳の私は初めて自活することになった。最初に引っ越した先は世田谷・環状8号線沿いの東名高速へと続く瀬田に住み上野毛まで仕事に通うことになった。勿論、6畳1間にキッチンとトイレ付きではあったが銭湯に通わなければならなかった。車イスで通う銭湯は決して楽ではなく勇気のいることであった。風呂屋の入り口は何とかクリアして、人の履いていた靴やサンダルを踏まないようにして車イスから降ると、ようやく番台へ到着して風呂代を払い湯船に着くまでの過程<
持参した雑巾で床を拭きながら入らないと私が汚れて雑巾になってしまった。
d0019913_17352089.jpg しばらくして八百屋である大家宅のお風呂を借りられるようになり銭湯よりははるかに衛生的でよかった。その好意には感謝し切れない温かさが身に沁みた。後に、仕事の合間に自動車を運転して地域行政の入浴の出来る施設に通える事になった。次第に本来の入浴が出来るようになって、これまでの人生で何度となく移り住む地域での葛藤はあった。住んでいる事を認知される存在になると周辺の人々の善意には感謝の気持ちでいつもいっぱいであった。
d0019913_17361615.jpg





 d0019913_1737239.jpg1970年(昭和45年)5月に結婚後、早稲田に3年半、その後、新宿戸山に住みその17年間は私とっての入浴は体調も良好でようやくと心落ち着けて入浴の出来る日々が訪れた。入浴は温かく身体の緊張感が解き放たれる一瞬の至福のひとときであった。1日の中でそれは一時的でもその幸せを感じて再び明日も頑張る意欲が生まれた。しかし、昭和の終わり1987年(昭和62年)12月、23年間住み慣れた新宿を後にして第2の人生を私は探求しなければ精神が維持する事が出来なくなってしまった。

安住の地??
d0019913_1739219.jpgそれにしても大きな引っ越しだけでも5回はした事になる。現在の地は通勤拠点の範囲であると選んだ唯一、私の意志で移転を決めた。大田区大森は坂も無く駅にも近く庶民的な町で終の住処となるように願っていた。いくつかの運命の赴くままに流れ住んだが、短く住んだ地を含めてすべて思い出の地となり私には故郷に感じる懐かしさだけが残っている。d0019913_1740595.jpg 1990年5月20日(平成2年)港区三田から自から自動車を運転して大森に引っ越してから、いつの間にか25年間が過ぎ去ってしまった。時の流れは過ぎ去ると本当に早いものである。何よりも1日の疲れを癒してくれる毎日の入浴がとてもありがたく安心の持てるひとときであり、出来るだけ楽な人生を歩みたいと思った。実際には入浴を諦めた時点から、目に見えない流れが私の出来る動作はそんなにある訳でもないのにひとつずつ諦め受け入れなければならない現実が有った。
d0019913_17405331.jpg


by rakudazou | 2016-02-08 17:24 | 《エッセイ》中村陽子
入浴へのこだわり
 d0019913_19564261.jpgしかし、今から9年前2009年(平成19年)考えた末の結論として、単独での入浴を自ら辞める事実が有った。そのことでお風呂場を広げるために浴槽内を壊し改造を行った。ヘルパー1人での介護で可能なシャワー浴がし易いように広くした。本来の入浴を諦めることは辛い事であったが、やはり風呂内での事故を防ぐためであった。障碍を持つ人の浴槽での事故死が知り合いでも相次いで起きていた。d0019913_19574424.jpg 長い間、私は休む前に入浴する習慣が身についていたが、親しい隣人の突然の浴槽での事故死に合い、他人事ではないとハッとさせられた。隣人の死から「明日は我が身」と私は即座に身の安全のためにヘルパーの訪問に合わせて見守り入浴に変更した。しかし、そんな時期は短く過ぎ去りヘルパー1人の介助で安全な入浴の仕方がシャワー浴であった。シャワーが壊れるか私の身体が壊れるか?いずれかと思いながらシャワー浴は7年間続けられたが、私の身体が先に壊れてしまった。この間、暑い時も寒い時も私も努力を惜しまなかったが、この7年間、私を介助してくれたヘルパーにはとても感謝をしている。

入浴サービス
 d0019913_19594932.jpg今、考えるとシャワー浴にして果たしてよかったか?どうか、温かい浴槽で身体を温めることに憧れだけは残っていたが、今では健康のために身体を清潔に保つことを最優先と考えている。
 2014年(平成26年)7月から入浴サービスは始められた。数人のへルパーの元気な挨拶の声と共に、幾重にも輪にしたロープや沢山のタオルなどを持ち訪れると私のバスタイムが始まるのである。次に、2つ折りにした大きなバスタブが室内に運ばれベットの側で広げられる。枠組みをしてからシートが張られると、入浴カーの中からタッチパネルを開始し湯の通るロープから42℃の温度の湯が勢いよく流れて音をたてて浴槽に入って来るのである。d0019913_2012122.jpg私はベッドの上でシートに乗せられて両脇に棒が入れるとバスタブに運ばれて、シャンプーから始まり浴槽に入っているのは10分程、出来るだけ限られた時間帯で温まりたいと思うが多大な期待は持てない。複数による介護スタッフは通常3人で行われる。1人は必ずリーダーとオペレーターを兼ねた男性フタッフがいて、もう1人はナース、介護助手の構成から成り立ち、一連の予定は息が合うか否か、短い時間ではあったが、湯の暖かさに身体が緊張からもぎ解かれて石鹸の香りと安堵感が残るのであった。
d0019913_20267.jpg

入浴の有り方
 d0019913_203138.jpg1970年(昭和45年)代から1987年(昭和62年)代は個人旅行をよく出掛けた。ドライヴが殆どであったが、遠方の乗り継ぎは飛行機で目的の場所からはいつもレンターカーを使用した。こんな折に車イスで入れる浴室が有るか、更に温泉に入れるかどうか事前に調べることが前提であった。いつも使い易いホテルを探し回っていたが、その後、バリアフリー化の時代に入り公共の宿が増えて来た頃であった。昭和70年代に入り、車イス専用のホテルが東京都内ではニューオオタニを皮切りに一流ホテルの中でも主なホテルには殆ど存在するようになり、現在では公共の宿は減少したが、ホテルとしては高齢化社会の中ではいつでも誰でも利用できる事が当たり前になっている。d0019913_1723180.jpg


露天風呂

ひと昔前、渋谷の閑静な場所に介護者付のちょっとした高級プチホテルが出来て、地方から重度な障碍のある単身で上京した人々が陳情や観光で訪れた折にとても便利に使っていた。出来たのが早々であったか?今では残念ながらなくなってしまった。私も人に薦めるにも自ら体験して観なければ分からないと思い、筋ジストロフィの友人と共に入浴体験をホテルの用意されている入浴設備とスタッフによる介護付きの入浴体験をした事があったが、この時、初めて介護に依る湯に入る折の機械浴の体験をした。d0019913_17244559.jpg

その後、熱海の温泉街の中心に温泉付きのナースや介護人付の短期療養型のホテルが出来た。その宣伝期間中に私も身近な障碍を持つ仲間たちを誘い体験宿泊を試みてみたが用意されたのはすべてシングルの部屋であった。けれども、殆ど日頃から1人暮らしの人々で仲の良い友達と共に同じ部屋で語り合いながら過ごしたい夜遊びがしたい人たちでホテル側の思惑とは違った結果に終わった。d0019913_1728224.jpg

入浴が出来なくなって数年の間は何とか露天風呂に入りたいと思い、近場の露天風呂を探しいろんな諸事情から、静岡県伊東市にある赤沢温泉には室内に貸切露天風呂が有った。私は露天風呂に入るのが目的で有り、個室の中に岩風呂とか檜風呂と有り、露天風呂から外を見渡す相模湾が一体化してとても気持ちが豊かになり、何よりも冷えた身体が芯から温まり一時にせよ幸せなひとときであった。d0019913_1733844.jpgこの頃は自動車を使い、当時の私は信頼の出来る介護人で有り介護経験のある人に車の運転と私を室内から露天風呂への入りの介助を何度か依頼し出掛けた。私なりの試みで有ったが、今にして思うと想い切って、行ける時に出掛けて本当によかったと思う。

d0019913_1773626.jpgその以前は、栃木県奥那須に今では立派な施設になっているが板室温泉・大正村幸乃湯温泉は当時はそれなりにしなびた温泉であった。源泉かけ流し畳敷湯や綱の湯、打たせ湯など濁り湯で健康長寿と美肌など日帰り入浴、湯治を兼ねた宿泊施設である。

溢れる湯に身体の疲れを癒す温泉の効用は多くの健康を気遣う人々が気軽に訪れる。いにしえの頃、車イスの私は初めて訪れた折に大きな驚きもあったが手熱介助で、突然に湯にけむる露天風呂に入れられて湯の暖かさと周りの激励の挨拶が飛んで来て裸で付き合う幸せを得たのも幸乃湯温泉であった。障碍を持つ家族連れ、重度な四肢マヒの人、脳性マヒの夫妻やいろんな機会に立ち寄り幸乃湯温泉は好評であった。

d0019913_1783129.jpg





by rakudazou | 2016-02-08 17:07 | 《エッセイ》中村陽子